◆ 2025年度 三田祭論文要旨
「農業と経済発展 ~食料需給の現状と将来に関する計量分析~」
はじめに
。現在、気候変動の進行や人口増加に伴い、世界の農産物需給は不安定さを増し、食料価格の変動や供給リスクが各国の経済に深刻な影響を及ぼしています。特に食料自給率の低い国では、輸入依存の高まりが課題となっており、先進国・発展途上国を問わず、農業政策や食料供給体制の強化が求められています。
そこで本論文では、農業が経済にもたらす影響を明らかにするために、食料需給の現状と未来に関する分析を行い、日本のように食料自給率の低い国々がとるべき政策の検討を行いました。
第1章 農業と経済発展における観察
本章では、世界および日本の農業問題、とくに米不足と農業構造の変化が経済発展とどのように関わっているかを整理しました。
第1節では、人口増加や気候変動の進行により世界の食料需給が不安定化していること、そして日本では米価格の上昇や供給量の減少に加えて、担い手不足や高齢化が深刻化
していることを確認しました。また、生産コストの上昇や自然災害による被害や耕地の縮小などの構造的な要因もみられ、農業問題が食料の安全供給だけでなく日本の経済発展にも関連していることも示しました。
第2節では、農業シェアの変化と経済発展の関係についてペティ=クラークの法則に基
づいて検討しました。その結果、農業シェアと発展水準にはおおむね負の関係がみられる一方で、OECD 加盟国と非加盟国では傾向が異なることがわかった。また、農地面積や農村人口、輸入依存度などの要因により、農業シェアが理論の示す法則から外れる国が存在することも確認されました。
第3節では、農業従事者に関する問題について所得格差、人口動態、補助金の3 つの側
面から整理しました。農業所得の伸びが小さいことが担い手不足と高齢化を促し、農業依存地域で人口減少が進んでいることを明らかとなりました。また、補助金は農業の維持に重要な役割を果たしている一方で、農業の所得水準が他産業に比べて低い国ほど依存度が高く、都市化の進展とともに補助金支出が増加する傾向があることがわかりました。
第2章 農業生産に関する分析
本章では、農業の生産プロセスについて分析し、農業生産に影響を与える要素を明らかにしました。
第1節では、世界各国の特徴を踏まえた生産関数の推定を行い、その推定結果を用いて短期と長期の2種類の供給関数の導出を行ないました。さらに、短期の供給関数に基づいて日本とアメリカの穀物供給量の差の要因分解分析を行いました。その結果、日本とアメリカの穀物生産量の差は主に資本ストックと土地と利潤最大化行動の差によるところが大きく、日本の農業の発展には資本設備や土地の充実のみならず、企業家の経営面の改善が必要であることが明らかになりました。
第2節では、農業の生産性と気候変動の関係を解明するために、農業の生産関数の推定を行いました。推定結果から、世界各国の農業生産性の変化や各国間の差は大規模化の程度や気候変動の程度によって説明されることが明らかになりました。さらに、推定結果から農業生産性の変化および国家間の差に関する要因分解分析を行いました。その結果、気候変動は農業生産に直接的な影響を及ぼすだけでなく、経済・地理・人口などの複合的要因を通じて各国の生産格差を拡大させていることが明らかになりました。
第3節では、先進国の食料品の輸入関税率に関する重回帰分析を行いました。その結果から、輸入総額に占める食料の割合が大きいと輸入関税率が高くなっており、高所得国は自国の農業を守るために高い輸入関税率を設定していることが分かりました。さらに、農業保護に占める関税の割合である関税依存度に関する重回帰分析の推定結果を用いて、日本と他国の関税依存度の差に関する要因分解分析を行い、その結果から、日本は他の国々に比べて政府債務比率が大きく、それが関税に依存した農業保護政策をもたらしていることが明らかになりました。
第4節では、農産物輸出関数の推定を行い、その推定結果からアメリカ、イタリアと日本の農産物輸出額の差の要因分解分析を行いました。その結果、日本は狭い国土での米生産構造が輸出拡大の制約となっていることが分かりました。さらに、日本の相手国別の農産物輸出額に関する重回帰分析を行いました。その結果から、日本の輸出は経済規模の大きい国、EPAを締結した国、訪日外国人数が多いほど大きくなっており、日本の農産物輸出額は増加しているが、コメ生産に依存する構造からの方向転換が求められることが明らかになりました。
第3章 食料自給率に関する分析
本章では、食料自給率に焦点を当てて様々な分析を行いました。
第1節では、日本とOECD諸国の食料自給率の決定構造について地理的要因や政策的要因に分けて推定しました。その結果、地理的要因については、日本の自給率が他のOECD諸国に比べて低いけれども、これは土地制約の影響が大きいことがわかりました。政策的要因については、日本の食料自給率は低いけれども、これは実施されている政策が十分ではないためであることがわかりました。
第2節では、食料の入手の安定性と健康の関係について、特に自給率に注目しながら分析を行いました。その結果、米のみならず、米以外の食料の安定供給も健康寿命に関わっていることがわかりました。また、男性と女性では食料自給率が非感染性疾患の死亡率に影響する食料自給率の品目が異なっていることも明らかとなりました。
第3節では、米と小麦、および穀物と非穀物の価格と消費量のデータを用いて米に関する効用関数を推定し、日本の時系列比較とOECD諸国との国際比較を行いました。その結果、日本の時系列比較では、近年、米への嗜好が弱くなっていることがわかりました。OECD諸国との国際比較では、日本は他のOECD諸国に比べて米を含む穀物への嗜好が強いことが明らかとなりました。
第4章 農産物の需給に関する分析
本章では、農産物の需給に焦点を当てて様々な分析を行いました。
第1節では世界の米の需要曲線と供給曲線を推定しました。推定の際には価格の内生性に対処するため2段階最小二乗法を用い、第1段階で誘導形である価格関数を推定し、その推定式から得られる価格の理論値を用いて、第2段階で構造方程式である需要関数と供給関数の推定を行いました。米の代替財として小麦とトウモロコシの価格を説明変数に入れ、穀物同士の価格の影響を分析しました。需要面では、米の需要量は米価格とは負の関係を持ち、小麦とトウモロコシの価格に影響を受けないことがわかりました。供給面では、米の供給量は米価格と正の関係を持ち、小麦と競合の関係にある一方、トウモロコシは非競合の関係にあることがわかりました。
第2節では第1節の結果を用いて、米価格の変化および国家間の差と、米の消費量と供給量の変化の要因分解分析を行いました。分析の結果、米価格の変化には資本ストックが大きくかかわっていることと、国家間の差には耕地面積が大きくかかわっていることが明らかとなりましたた。また日本の米の消費量の変化には世帯人数要因と有業率要因が大きくかかわっており、米の生産量の変化には米価格要因が大きくかかわっていることが明らかとなりました。
第3節では食料の流通について、特に米に注目しながら分析を行いました。その結果、米の取引において大きな流通マージンが存在することがわかりました。また米が消費者に届くまでの過程によって、物流構造や市場構造が食料の価格に影響を与え、さらにその影響が品目間で異なることが明らかとなりました。
第5章 農産物の需給に関する分析
本章では、本論文が行った様々な分析において推定した式の関係を整理することによって、本論文と既存の先行研究との違いを明らかにしました。その上で、農業の特徴に基づいてクラスター分析を行い、その結果に基づいて世界の国々についてグループ分けを実施し、それぞれのグループにおける農業政策の特徴を整理しました。その後、食料需給に関する自給率の引き上げにつながる政策を検討しました。
第1節では、食料需給に関して先行研究が示してきたことの整理と、本論文の第2章から第4章の分析において明らかとなった指標間の関係の整理を行いました。それにより、分析の対象範囲が限定的である先行研究と異なり、本論文では食料に関する生産、流通、需給と経済発展について自給率に注目しながら分析を行ったことで、経済全般にわたる各分野が相互に影響し合う関係を捉えていることが明らかになりました。
第2節では、世界各国の農業の特徴に基づいて、クラスター分析によりグループ化した各グループからそれぞれ代表国として日本、アメリカ、イタリアを選び、それらの国々で行われてきた農業に関する政策について検討しました。日本では農業政策を行ってきたものの、米の価格変動が大きく農作物の輸入が拡大し、対外依存が進んでいることが特徴としてあげられます。アメリカでは国内農業保護を中心とした政策によって高い生産性を維持し輸出も安定しているという特徴があります。イタリアでは農作物のブランド化を進める政策を中心として生産性を維持し、輸出を保っているという特徴があげられます。これらから各国の農業は変化してきていますが、その中で政策が有効であった国と有効でなかった国が存在していることがわかりました。
第3節では、日本の食料需給に関する政策を長期的および短期的それぞれの視点から検討しました。まず現在危惧されている世界全体の気候変動と人口増加がもたらす影響について整理したうえで、日本の食料自給率を引き上げる関税、補助金、生産性引き上げのそれぞれの政策について検討した結果、大きな効果を得るためには、大幅な財政健全化と農業生産の構造改革が必要となることがわかりました。また、米価格高騰を抑制する政策について検討した結果、価格抑制を維持していくためには大幅な財政健全化と流通構造の改革が必要であることも明らかになりました。

