◆ 2015年度 三田祭論文要旨

「貯蓄と経済発展 –財政の持続可能性と国民が享受する効用の維持の検討-」

第19・20期生

はじめに

 近年、日本の政府債務は拡大し続け、政府債務残高は非常に大きい水準にある。そして、先進国の中で日本に次いで政府債務の大きいギリシャが2015年6月に事実上の財政破綻に陥った。しかしながら、ギリシャよりも政府債務の大きい日本は、今まで財政破綻に陥ることがなく政府債務を拡大させ続けており、様々な経済学者が日本の政府債務の大きさによる財政破綻の可能性について議論を重ねている。そこで私たちは、日本の財政破綻の可能性を検討する上で重要となる「貯蓄」をテーマとして選択した。 本論文では、日本の巨額にのぼる政府債務を持続可能にしている日本の経済構造を分析した上で、政府、家計、そして企業という各経済主体の貯蓄率決定要因を分析した。そして、その分析結果をもとに将来の貯蓄率を推計し、日本が財政破綻に陥らないような政策の検討を行った。

第1章 経済発展と貯蓄の関係

 本章は、日本の政府債務が拡大してきた背景を明らかにし、貯蓄が財政の持続可能性を担う重要な役割を果たす要素であることを実証した。まず、国民の幸福度が低い日本の現状に注目し、その原因として国民が不安感を覚えている日本の財政問題に焦点を当てた。日本の政府債務残高は先進国の中でも非常に大きい水準であり、その原因を解明するため、政府債務拡大の背景を分析した。当研究会が行ったアンケート調査をもとに分析を行った結果、国民の政府債務に対する危機意識の甘さが明らかとなり、日本の経済状況も相俟って国債が発行されやすい構造が形成されていることが判明した。このような国債発行構造の中で、政府債務残高は今後も増加していくと予想されており、危機的状況にあることが判明したことから、日本の財政破綻の可能性を検討するため、財政破綻のメカニズムを分析した。その結果、伝統的経済成長理論においては投資に回ることで経済成長を促す役割を果たすとされてきた貯蓄が、現在の先進国においては政府財政の資金源として国債の消化に用いられ、財政破綻のリスクを下げる役割を果たしていることが明らかとなった。したがって、日本の財政破綻の可能性を検討するためには、現在の日本における貯蓄の役割の重要性を踏まえる必要があることがわかった。

第2章 日本政府債務拡大の原因

 本章は、OECD諸国のデータをもとに推計した景気悪化により生じる財政赤字よりも日本の財政赤字が過大であることを示し、政治的視点と経済的視点から分析して、景気以外の日本における財政赤字拡大の要因を明らかにした。まず政治的要因としては、政権基盤が脆弱な日本において政府・与党が国民からの支持を得るために行う大衆迎合的政策を取り上げた。そして、財政赤字と内閣支持率の関係を分析したところ有意であることが明らかとなり、歴史的観察から内閣支持率が40%を下回ると大衆迎合的政策が行われてきたことがわかった。そこで大衆迎合的政策が受け入れられてきた背景を探るために当研究会はアンケート調査を行い、その結果をもとに効用関数を推定したところ、年齢・年収によって人々の財政政策に対する意識が異なることが明らかとなった。そして年齢・年収による財政政策に対する意識の違いが財政政策に反映され、財政赤字に結びついていることが判明した。次に経済的要因としては、財政構造から財政赤字を分析するため、歳出額と税収額それぞれを説明する式を推定したところ、歳出額の大きさはGDPや人口などの要因から、税収額の大きさはGDPや税率などの要因から影響を受けていることがわかった。

第3章 家計・企業貯蓄の変動メカニズム

 本章は、一国全体の貯蓄のうち、民間部門の貯蓄を家計貯蓄と企業貯蓄に分け、日本における家計の貯蓄率及び企業の貯蓄率に関してミクロレベルで分析を行いそれぞれの決定メカニズムを求めた。まず家計貯蓄率を国際比較によるマクロ的視点から分析したところ、年齢と所得による影響が大きいことが明らかとなった。そこで要因分解分析を行ったところ、年齢及び所得の変化が近年家計貯蓄率に負の影響を与えていることが判明した。また年齢及び所得の階層別データによるミクロ的視点で分析を行った結果、所得、物価、社会保障不安、雇用不安といった家計貯蓄率を説明する要因の影響力の違いが、ミクロレベルでの家計貯蓄率の違いを生み出していることがわかった。次に企業貯蓄率の動向を観察し、要因分解分析を行ったところ、企業貯蓄率の変化は産業及び規模ごとに異なり、変化に影響を与える外的要因も産業及び規模ごとに異なることがわかった。したがって、家計貯蓄率の決定メカニズムは年齢・年収階層別、企業貯蓄率の決定メカニズムは産業・規模別に異なっていることが明らかとなった。

第4章 日本および世界の財政に関する考察

 本章は財政赤字を拡大し続ける日本の財政構造や財政健全化政策について観察し、海外の財政健全化政策の応用可能性を検討した。まず日本の財政赤字が拡大する要因を財政構造の観点から検討したところ、地方の国に対する財政依存が起因して地方財政悪化による補助金の増加が生じている点、不十分な制度改革により特別会計が巨額であるため予算が社会の需要を反映しにくい点が明らかとなった。そこで1970年代から現在にいたるまでの日本における財政健全化の変遷を検討したところ、1975年以降の日本の財政健全化政策は失敗を繰り返しており、現在も新たな健全化目標に向けて適切な健全化政策を求められていることが明らかとなった。次に一定の成果をあげている先進諸国の財政政策に注目した。国家によって方策は異なることからクラスター分析を用いてOECD諸国を財政政策の観点から分類し、日本とは異なるクラスターに属する各クラスターの代表的な国家の財政健全化政策を検討したところ、その多様性と日本へ応用できる可能性が明らかとなった。最後に欧州委員会の推計をもとに各クラスターの代表的な国家と日本の財政の将来予測を観察した結果、先進国の中でも財政を改善する必要のある国家は存在し、日本は特に深刻な状況であることが確認できた。したがって財政赤字が拡大し続ける日本において、一定の成果をあげた他の先進諸国の財政健全化政策を参考に適切な財政健全化政策を行う必要があることがわかった。

第5章 日本の将来の貯蓄率・政府債務・幸福度の予測

 本章は日本の将来的に発生しうる財政破綻リスクの上昇を明らかにし、持続的な経済発展を遂げるために必要な政策の提言を行った。まず第2・3章の分析結果を踏まえて家計及び企業貯蓄と政府債務の決定メカニズムを総括した。そしてそれぞれの将来予測を行ったところ、現状の財政政策を維持した場合、2040年以降の日本の財政破綻リスクが危険な水準に達することが明らかとなった。しかしプライマリーバランスの黒字化を早期に達成することができれば財政破綻リスクが高まるのを回避し、持続的な経済発展を達成できることがわかった。そこでプライマリーバランスの赤字を是正するために必要な財政政策として①歳入削減型(財政赤字削減額の8割を歳入増加、2割を歳出削減に頼る政策) 、②中立型(財政赤字削減額の5割を歳入増加、5割を歳出削減に頼る政策)、③歳出削減型(財政赤字削減額の2割を歳入増加、8割を歳出削減に頼る政策)の3パターンを挙げ、それぞれに関して政策シミュレーションを行ったところ、③歳出削減型の政策を採用した際に財政破綻リスクの上昇を回避しつつ最も国民の効用を高い水準で維持できることが明らかとなった。