研究紹介

revised on February 11, 1999

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冷戦とアメリカ経済

延近 充
1.はじめに 

   第2次大戦後まもなく始まった米ソを両極とする冷戦(Cold War)は,1989年12月,米ソ首脳のマルタ会談において終結が公式に宣言された(1)。40年余にわたって続いた冷戦はさまざまな点でそれまでの戦争とは異なる特異性をもっている。宣戦布告によって「平和」状態と戦争状態とが区別される典型的な戦争でないだけでなく,一般的な2国間・2陣営間の敵対関係・対立状態とも異なっている。資本主義と社会主義というイデオロギー上もしくは政治・経済体制間の妥協の不可能な対立であるうえに,核兵器の出現によって直接武力行使によって問題の解決をはかることも困難となった点に冷戦の特異性の根源がある。その特異性ゆえに第2次大戦後から現在にいたるまで世界の政治・経済・社会を規定する重要な要素であり続けている。ソ連は冷戦終結後に国自体が消滅したが,アメリカも無傷ではいられなかった。本稿では冷戦がアメリカ経済に何をもたらしたのかを考えてみたい。

2.資本主義戦後体制の構築

   第2次大戦によって,アメリカ以外の資本主義国は敗戦国はもちろん戦勝国も極度の荒廃状態となった。他方,社会主義国は東欧をはじめアジアへも広がり戦前のソ連1国から世界体制となっていった。これに対抗して資本主義体制を再建し強化していくために,戦争によって圧倒的な経済力・軍事力をもつにいたったアメリカが,資本主義戦後体制の構築において主導的役割を担うことになった。

冷戦体制 第1図は第1次大戦期(1914〜19),戦間期(1920〜40),第2次大戦期(1941〜45),冷戦期(1946〜89)のアメリカの軍事支出の推移を示している。第1次大戦期,アメリカの直接軍事行動への参加にともなって軍事支出は急増するが,戦争終了とともに急減している。第2次大戦期も同様の変化が読みとれる。しかし,第2次大戦後では戦争直後でさえ戦前水準をはるかに超える水準の軍事支出が維持され,さらにその後は増加し続けている。朝鮮戦争やベトナム戦争という局地的な(投入された兵力や人的・物的被害は局地的ではあっても決して小規模ではない)戦争はあったが,米ソという敵対する2国間で直接の武力衝突がないにもかかわらず恒常的に軍拡が行なわれるという,それまでの戦争にはない冷戦の特異な性格の一端が示されているのである。

   この軍事支出の恒常的増加は,もちろん軍事力の増強とそれを支える大規模な軍需生産が恒常的に行なわれてきたことを意味している。アメリカは,49年8月のソ連の原爆実験成功によって45年7月以来保持していた原爆独占が崩壊し同年10月に中華人民共和国が成立すると,冷戦戦略の全面的再検討を行ない朝鮮戦争の勃発を契機として全般的な軍拡とグローバルな反共軍事同盟網の構築に着手する。ソ連側も軍拡と軍事同盟網の構築で対抗していった結果,核戦力を中心とした米ソ間の軍拡競争が全面化していった。核兵器という超絶的な破壊力をもった兵器の存在のために容易には実力行使はできない。それでもなお,妥協の困難な両陣営の対立ゆえに全面戦争の場合には「勝利」するための,将来の相手の戦力を予想しさらにそれを上回る戦力を備えようとする行動が,地球上の生命を数十回も消滅させうる核兵器の蓄積につながっていったのである。冷戦は直接の武力衝突はなかったけれども架空の戦争ではなく,まさに「現実の戦争(real war)」だったのである(2)

国際経済体制 アメリカ以外の資本主義諸国経済の復興・成長の国際的枠組みとなったのがIMF・GATT体制である(3)。いずれも貿易などの国際取引を自由で無差別・多角的なものとして各国の経済復興と成長を促進する目的のために設立され,1930年代の長期不況に対して各国が為替切下げ競争やブロック経済化を行なったことが資本主義諸国間の対立をまねいたことの反省から,アメリカの主導のもとに構築されたものである。とりわけIMFはIMF=ドル体制として,前述の冷戦体制と相互に深く関係しアメリカのめざす戦後の資本主義体制の再建・強化に大きな役割を果たした。

   IMFは,第1に,加盟国が自国通貨の為替レートを平価(実際上はドルとの交換比率で表示)の上下1%以内に維持する義務を負うという固定レート制と,第2に,アメリカが対外流動債務(外国の通貨当局が保有するドル残高)について金1オンス=35ドルで金との交換要求に応じることを裏づけとして,アメリカの国民通貨であるドルが同時に基軸通貨(国際取引の決済を行なう通貨)となったことを主要な特徴としている。これらはアメリカとアメリカ以外の国にとってまったく異なる意味をもっていた。

   まずアメリカ以外の各国に対して,固定レート制は,国際収支の均衡化を義務づけ,そのために経済力を強化し国際競争力を上昇させる政策をとることを強制する意味をもっている。なぜなら,戦後の経済荒廃のもとでは各国は経済復興や国民生活の維持のために必要物資を輸入しなければならないが,外貨準備高も輸出などによる外貨収入も不十分である。当然国際収支は赤字傾向となり,為替レートはドル高・自国通貨安の方向に動こうとする。したがって,固定レートを維持するためには国際収支を均衡化する政策,とりわけ輸出を増やし輸入を抑制するための政策すなわち資金や資材・労働力を生産力の発展=国際競争力の強化に集中する政策をとらなければならないのである。もちろん,こうした政策はただちに効果をあげることはできないから,経済復興が完了するまで為替取引制限や保護貿易政策をとることはIMF協定やGATTでも認められていたし,アメリカは各国の資本主義的復興を促進するために対外援助や技術輸出を実施していったのである。

   他方,アメリカの場合にはたとえ国際収支の赤字が継続してもこのようなメカニズムによって均衡化を強制されることはない。なぜなら,国民通貨であるドルが同時に基軸通貨であるために国際収支の赤字はただドルが海外に流出するだけであり,為替取引によって自国通貨レートが変動することがないのである。アメリカのみが国際収支の赤字を継続できるという特権をもったことになる。むしろ,ある程度の赤字は国際取引を媒介するのに必要な通貨=ドルを供給する役割を果たすとして正当化されるのである。もちろん金交換という制約があり,まったく国際収支の赤字を無視できるわけではないが,圧倒的な経済力をもち世界の金準備のうち大半(ピーク時49年で246億ドル,世界の73%)を保有している限り,この制約はほとんど意味をもたないのである。

   こうしてIMF=ドル体制によって,アメリカ以外の諸国は経済力の強化を義務づけられ,アメリカは国際収支の赤字を続ける特権を獲得し,この特権を冷戦戦略の実行のために利用していったのである。

3.資本主義戦後体制のメカニズムとアメリカ経済の衰退

 第1表はアメリカの基礎収支(経常収支+長期資本収支)の推移を政府部門と民間部門とに分けて示したものである。50年代は政府部門の赤字を民間部門の黒字で相殺している時期もあるが概ね赤字であり,60年代に入ると恒常的に赤字となり,特に後半には民間部門の黒字幅縮小と政府部門の赤字増大によって大幅な赤字となっている。70年代に入ると民間部門も断続的に赤字となり,合計の赤字額はさらに増大している。両部門の内訳の推移を分析してみると,政府部門の赤字は海外軍事支出と対外援助によるものであって,まさに基軸通貨ドルの特権を利用した冷戦戦略の実行にともなう赤字なのである。

   民間部門は,資本収支は海外投資=アメリカ企業の多国籍化の進展にともなって赤字となっているが,これは投資収益等の本国への送金によってほぼ相殺され,60年代までは巨額の貿易黒字によって合計すると黒字となっている。しかし60年代後半には,アメリカのベトナム戦争への本格的介入にともなって海外軍事支出は急増する一方,貿易収支の黒字幅は減少し,70年代には赤字基調が定着していく。

   このようにアメリカがIMF=ドル体制のもとで冷戦戦略を実行し国際収支の赤字を続ける一方で,西欧諸国や日本は順調に経済復興・成長を実現していった。50〜60年代を通じて,西欧諸国は年平均5%前後,日本は10%前後の実質経済成長率を記録し,安定的な 資本主義国となっていった。アメリカの目的はみごとに成功をおさめたといえよう。しかし,皮肉にもそれは同時にアメリカ経済そのものを侵蝕しIMF体制を崩壊させることになるのである。

 第2図はアメリカの金準備額と対外流動債務額の変化を示している。西欧諸国が復興をとげ日本が高度成長期に入った50年代後半,金準備額は減少し始める一方,対外流動債務は累増して60年には総額が,ついで64年には対公的機関分も金準備額を上回ってしまう。このことはアメリカのドルが実質的に金の裏づけを失ったことを意味し,ドルに対する信認は大きく揺らぐことになった。60年のロンドン市場の金価格急騰以降,たびたびドル危機が起こるが,アメリカは国際収支の根本的改善策をとらず国際収支の赤字はいっそう増大する。この結果,68年の金二重価格制を経て71年にはついに金とドルの交換停止が宣言され,固定レート制もスミソニアン体制を経て73年以降主要国は変動レート制に移行することになったのである。

   継続的な国際収支の赤字がドルに対する信認を低下させていったのであり,ベトナム介入と貿易収支の黒字減少・赤字転落がそれを決定的なものとした。ベトナム介入がアメリカの冷戦戦略の一環であったことは言うまでもないが,貿易収支の赤字転落についてもその主因はやはり冷戦体制に求めることができる。

   冷戦が核戦力を中心とした軍拡競争という内容をもっていたために,アメリカにとって軍事関連の原子力,航空・宇宙・ミサイル,エレクトロニクス等の超新鋭産業を政府主導によって創出・育成することが至上命題となった。研究開発のための資金や科学者・技術者はこれらの産業に集中された。他方,これらの産業と産業連関の希薄な在来重化学工業は,海外投資による多国籍企業化と西欧や日本の成長によって,国際競争力の相対的優位性を失っていった。海外企業からの輸入とアメリカを母国とする多国籍企業からの「逆輸入」が増大していくなか,60年代とりわけベトナム介入にともなう好況=景気過熱はインフレーションと失業率低下による賃金上昇をもたらし,アメリカの在来産業の国際競争力の低下をいっそう促進していったのである。

4.レーガン軍拡と「双子の赤字」

   1970年代,IMF体制崩壊にともなう世界的インフレーションに対する総需要抑制政策および第1次石油危機によって,資本主義諸国は長期停滞におちいった。80年代に入って,アメリカでは「強いアメリカ」の再建をスローガンとするレーガン政権が成立し,軍事力の大増強とレーガノミクスにもとづく経済再生のための諸政策を実行していく。

   減税や規制緩和,福祉予算の抑制などによる「小さな政府」の実現が労働意欲と生産性の向上を通じて産業を再生させ,通貨供給量の抑制がインフレを抑制して,経済を活性化させるというシナリオであった。しかし,実際には政策がスタートしてすぐに政策転換も行なわれ,第3図 レーガノミクスのシナリオと現実に描かれているように,シナリオとは異なる道筋で景気回復をもたらす一方,大規模な軍拡が財政赤字と貿易赤字の増大という「双子の赤字」と産業の空洞化をいっそう深刻化させた。そして80年代後半,ついにはアメリカを世界最大の純債務国に転落させる結果となったのである。

×        ×        ×
   アメリカが第2次大戦によって獲得した圧倒的な支配的地位を基盤として主導した資本主義戦後体制の再編・強化は,冷戦の遂行によって「成功」すると同時にその支配的地位自体を掘り崩していった。その地位の再建をめざしたレーガン軍拡は,アメリカ経済のみならず資本主義世界経済自体をもいっそうの混迷に導いた。こうして冷戦に終止符を打たざるをえなくなったのである。そして,そこには勝者はいない。

(慶應義塾大学通信教育部 『三色旗』1997年7月号所収)


[注]

(1)冷戦がいつ始まり,いつ終わったかについては議論があるが,ここでは冷戦開始の公式宣言とされる1947年のトルーマン・ドクトリン演説からマルタ会談までとしておく。冷戦の意味・起源については例えば永井陽之助『冷戦の起源』(中央公論社, 1978年)を参照されたい。本文へ戻る
(2)詳しくは,延近「アメリカの軍事力増強と軍事支出増大の恒常化について」(慶應義塾大学経済学会『三田学会雑誌』82巻1号・1989年,83巻3号・1990年)を参照されたい。本文へ戻る
(3)IMF(International Monetary Fund 国際通貨基金)は国際取引を媒介する通貨・為替に関する制度であり,GATT(General Agreement on Tariffs and Trade 関税と貿易に関する一般協定)は関税その他の貿易障害を軽減して自由貿易を促進するための協定である。本文へ戻る

[補足]

 私は1997年度から日吉で開講されているオムニバス形式の講義「戦争と社会」の講師を3年間担当していました。私が担当する回の講義は,この「冷戦とアメリカ経済」を柱として話をしました。この講義では毎回,講師の話の後で受講された皆さんに感想文を書いてもらうことになっています。また,この文章をWebページ上に公開してからは受講者以外の人(慶應義塾大学の学生以外の人を含む)からも感想や意見,質問が送られてきました。
 
 講義をきちんと聴かずに適当に感想を書いたものや,学問的批判でなく文章を理解せずに感情的に批判したものもありましたが,素直に講義(文章)内容に好感をもった,わかりやすかった,知らなかったことを教えられた,もっと勉強したくなった,こういうことも採り上げてほしかったという感想も数多くありました。たくさんの貴重な批評・感想を読むことができて感謝しています。今後の参考にします。
 
 ところで,それらの中には講義(文章)内容を誤解したと思われるもの(たとえば,アメリカと違って日本は軍隊を持たず平和だったから経済成長が実現できたことがよくわかった,といった感想),あるいは次のような論点を指摘したものが少なからずありました。

(1) 冷戦と日本との関係はどうなのか
(2) 戦争が経済を刺激する,あるいはプラスの効果を生む面もあるのではないか。

 テーマの性質上(講義ではむしろ時間の関係で),内容がやや舌足らずだった点および講義やこの文章で採り上げられなかったことについて補足する必要を感じましたので,参考文献とともに以下に記します。

(1) アメリカの冷戦戦略の実行と日本経済との関連について

日本の占領・戦後改革・独立の回復は,冷戦の開始・激化にともなうアメリカの冷戦戦略に強く規定されている。 これが戦後の日本の政治・経済・社会の方向性を形成しその後さまざまな問題を生むことになった。
具体的な内容について述べることはここでは到底できないのですが,現在も残る問題として(一見関係ないように見えて実は)このことに規定された問題はたくさんあります。たとえば,多数の中国残留婦人・孤児問題の解決を非常に困難にしているのは,独立回復時にアメリカの冷戦戦略のもとで台湾と平和条約を結び中華人民共和国を承認しなかったことにその根本的な原因があります。アメリカの占領政策と日本経済との関係については参考文献を見てください。
日本経済の復興・成長にも冷戦は大きな影響を与えている。
これも詳しく述べることはできませんが,2点だけ指摘しておきます。
1) 1949年のドッジ・ラインの実施によって日本は深刻な不況におちいり社会不安が高まったが,朝鮮戦争による特需によって‘朝鮮半島の分断の固定化・戦争による犠牲者と引き換えに’回復し,その後の高度成長の基盤がつくられた。
2) 第1次高度成長が終わった後の64年の不況は,アメリカのベトナム戦争への本格的介入にともなう輸出の拡大によって回復し,第1次を上回る急速な高度成長が再現された。
  日本はアメリカに対して,基地・物資・労働の提供,駐留米軍費の肩代わり・アメリカの政策への支持など,戦闘への直接参加以外の全面的な支援を行なった。ベトナム戦争は,言うまでもなく兵士・一般人を問わず多数の戦死者・戦傷者を生み,環境破壊や現在も解決しない子孫への影響をもたらしている。
日本の経済成長は決して「平和的」に実現されたものではない。また,アメリカが犠牲になって日本を助けてくれた,という理解も情緒的すぎる理解であろう。そのことをどう評価するかは皆さん自身であるが。
[参考文献]
井村喜代子『現代日本経済論』有斐閣,1993年
延近「戦後日本の経済成長の性格」(慶応大学通信教育部『三色旗』1996年4月号)
 

(2) 戦争と経済との関係について

  戦争・軍事支出が経済を刺激する面があるのはそのとおりである。どんな場合にもそうなのかどうか,理論的にも現状分析としても,興味を持った皆さん自身で勉強していってもらいたい論点である。手がかりとなる参考文献をいくつか掲げておきます。

[参考文献]
R.ディグラス『アメリカ経済と軍拡』ミネルヴァ書房,1987年
『アメリカの核軍拡と産軍複合体』新日本出版社,1988年
『核軍拡の経済学』大月書店,1989年
『軍縮が世界経済を変える』NHK出版,1990年
Hugh. G. Mosley, Arms Race: Economic and Social Consequences
延近 充『薄氷の帝国 アメリカ― 戦後資本主義世界体制とその危機の構造』(御茶の水書房,2012年)

(3) その他  講義(文章)内容のいっそうの理解のために

[参考文献]
南克巳「アメリカ資本主義の歴史的段階―戦後=「冷戦」体制の性格規定―」(『土地制度史学』第47号,1970年)
延近 「アメリカの軍事力増強と軍事支出増大の恒常化について」(慶応大学経済学会『三田学会雑誌』82巻1号,83巻3号)
二瓶敏「冷戦体制とその解体について」(専修大学『専修経済学論集』33巻2号)
平井規之・中本悟編『アメリカ経済の挑戦』有斐閣,1990年
延近 充「アベノミクスは日本経済を救えるか?」(論文ドラフト)
延近 充『21世紀のマルクス経済学』(慶應義塾大学出版会,2015年)

(4) イラク戦争関係の参考文献・資料(このページの視点と関連するもの)

延近 充編著 共同研究 「イラク戦争を考える」 慶應義塾大学経済学部 延近研究会

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