平成24年度文部科学省教科書課委託研究
平成24年度「標準規格の拡大教科書等の作成支援のための調査研究」報告書
研究代表者:中野 泰志(慶應義塾大学)
はじめに
我々は、標準規格の拡大教科書等の作成を支援するために、平成22年度から、特別支援学校(視覚障害)[以下、盲学校と呼ぶ]、弱視特別支援学級[以下、弱視学級と呼ぶ]、通常の学級[以下、通常学級と呼ぶ]の弱視児童生徒及びその担当教員を対象に拡大教科書の利用実態やニーズ等に関する調査研究を実施してきた。平成23年度の委託事業においては、1)小中学校で拡大教科書を利用している弱視児童生徒1,158人中928人(盲学校218人[小学部89人、中学部123人、無回答6人]、弱視学級186人[小学校144人、中学校42人]、通常学級524人[小学校357人、中学校167人];回収率80.1%)、2)拡大教科書を利用している弱視児童生徒の担当教員870人(盲学校教員175人、通常の小学校教員361人、通常の中学校教員167人、小学校の弱視学級教員126人、中学校の弱視学級教員41人)、3)教科書発行者45社中18社(40%)を対象とした調査を実施した。その結果、必要な弱視児童生徒に適切な拡大教科書を無駄なく、安定して給与するために、以下の点が必要であることが明らかになった。
目的
平成22年度から実施してきた調査結果は、教科書発行者である教科書出版社やボランティア団体にフィードバックし、拡大教科書の改訂の際に活用できるようにしてきた。そして、平成23年度には小学校、平成24年度には中学校の拡大教科書が改訂され、調査データを参考にして作成された標準規格の拡大教科書が完備された。そこで、我々の調査結果を反映させた拡大教科書の有効性等を明らかにするために以下の点を明らかにするために調査研究を実施した。
- 拡大教科書の選定・活用実態調査:拡大教科書の選定方法や活用状況を調査し、現状分析を行う。また、標準規格に基づく拡大教科書に対するニーズを種目やポイント毎に調査し、現状分析を行う。
- 中学校版拡大教科書サンプル集の試作・評価・評価:学校において、弱視児童生徒が拡大教科書を選定する際に活用することが可能な拡大教科書のサンプル集(中学校版)を作成し、教育委員会・特別支援学校等に配布し、評価を受ける。
- 簡易版拡大教科書選定支援キットの試作:弱視児童生徒の視覚特性等に適した拡大教科書を選定するための簡易な選定支援キットを試作する。
- 教科用図書等のユニバーサルデザイン化に関する事例調査:教科書発行者が発行する教科用図書等について、障害やその他の特性に対応するために実施している配慮事項に関する調査分析を行い、各者の取り組みを事例集にまとめる。
研究実施体制
本研究では、以下のサブテーマに基づいて、研究を実施した。研究の推進に際しては、以下の有識者による研究協力者組織を構成し、研究協力者会議とメーリングリストによる情報交換を行いながら、妥当性・信頼性のある研究が実施できるように努めた。
- 主な研究担当者
- 中野 泰志(慶應義塾大学):研究全体の総括。「中学校用拡大教科書の選定・活用実態調査」、「標準規格の精査にかかわる基礎データの調査」に関する調査研究責任者。
- 前野 隆司(慶應義塾大学):研究全体の進捗状況チェックや研究倫理面でのチェック等を実施するリーダー。「中学校版拡大教科書サンプル集の作成・配布」に関する調査研究責任者。
- 弱視教育及び拡大教科書に関する学識経験者
- 香川 邦生(前健康科学大学):拡大教科書普及推進会議の経緯を踏まえた研究全体に対する助言
- 大内 進(国立特別支援教育総合研究所):主に「中学校用拡大教科書の選定・活用実態調査」に関する研究への助言
- 田中 良広(国立特別支援教育総合研究所):主に「標準規格の精査にかかわる基礎データの調査」に関する研究への助言
- 氏間 和仁(広島大学):主に「簡易版拡大教科書選定支援キット」に関する研究への助言
- 青木 成美(宮城教育大学):主に「中学校版拡大教科書サンプル集の作成・配布」に関する研究への助言
- 永井 伸幸(宮城教育大学):主に「検定教科用図書等のユニバーサルデザイン化に関する事例調査」に関する研究への助言
- 教育現場からの助言者
- 三谷 照勝(東京都立文京盲学校):盲学校での調査研究への助言
- 露崎 謙治(横浜市立盲特別支援学校):盲学校での調査研究への助言
- 佐島 順子(江戸川区立小岩小学校):小学校での調査研究への助言
- 熱海 弥恵子(練馬区立開進第三中学校):中学校での調査研究への助言
- 太田 裕子(品川区立鈴ヶ森小学校):通常学級での調査研究への助言
- 医療からの助言者
- 仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター病院):眼科医の観点からの研究全体への助言
- ディスレクシアに関する学識経験者
- 藤堂 栄子(NPO法人エッジ、港区個別支援室):弱視児への配慮がディスレクシアにも有効であるかどうかに関する調査への助言
- 拡大教科書作成者
- 鈴木 淳文(東京書籍株式会社):教科書会社の立場からの助言
- 中沖 栄(株式会社清水書院):教科書会社の立場からの助言
- 大旗 慎一(株式会社キューズ):拡大教科書作成者の立場からの助言
- 土屋 宏(全国拡大教材製作協議会):ボランティアの立場からの助言
- 土屋 暢子(神奈川県拡大写本連絡協議会):ボランティアの立場からの助言
- 遠藤 赫子(神奈川県視覚障害援助赤十字奉仕団):ボランティアの立場からの助言
- その他(再委託先)
- 株式会社ピュアスピリッツ:調査票の印刷・発送・データ収集・データ入力
- 株式会社キューズ:中学校版拡大教科書サンプル集の編集・印刷・製本・配布
研究成果
まとめ
- 弱視児童生徒及び担当教員を対象としたアンケート調査
- 拡大教科書の選定・活用実態と標準規格の精査にかかわる基礎データを収集するために、平成24年度に拡大教科書の無償給与を受けている弱視児童生徒及びその担当教員にアンケート調査を実施した。
- 調査対象:平成24年度に拡大教科書の無償給与を受けている弱視児童生徒の在籍校数、人数、学校・学級種別を把握するために、全国の市区町村教育委員会等546箇所と盲学校70校に対して郵送方式のアンケート調査(第1次調査)を実施した。その結果、471箇所の教育委員会等(回収率86.3%)と63校の盲学校(回収率90%)から回答が得られ、今回の調査の範囲では、拡大教科書の給与を受けている児童生徒が1,438人(通常学級・小学生428人、通常学級・中学生211人、特別支援学級・小学生411人、特別支援学級・中学生118人、盲学校・小学生123人、盲学校・中学生147人)存在することがわかった。この1,438人の児童生徒と担当教員に対して、拡大教科書の選定・活用実態や標準規格への満足度等を調査した(第2次調査)。その結果、1,194人(回収率83.0%)から有効回答が得られた。
- 回答者の特性:回答者の所属学級・学校は、通常学級570人、弱視学級187人、弱視学級以外の特別支援学級205人、盲学校212人、その他20人で、通常学級が最も多かった。また、回答者の視力は、標準規格の拡大教科書が想定している0.1〜0.3が最も多かった。弱視のみの単一障害は657人(55.0%)で、知的障害が210人(17.6%)や発達障害が165人(13.8%)を併せ有するケースが多いことがわかった。
- 選定の実態:選定の基本方針としては、教科書会社が発行している拡大教科書の中から選択させるケースが多かった。選定方法としては、「視力や視野等の視機能の評価結果に基づいて決めた」ケースは277人(23.2%)と少なく、「児童生徒にサンプルを見せ、相談しながら決めた」(511人;42.8%)、「児童生徒や家族にまかせた」(285人;23.9%)が多かった。また、通常学級や弱視以外の特別支援学級は、視覚障害に関する専門性が必ずしも高いとは考えられないにもかかわらず、専門家からのアドバイスを受ける必要性がないと判断しているケースが多いことがわかった。
- 活用状況:1,194人の弱視児童生徒が利用している拡大教科書の総数は7,915冊(通常学級3,672冊、弱視学級1,339冊、盲学校以外の特別支援学校1,081冊、盲学校1,727冊、その他96冊)であった。一人あたりの利用冊数は平均冊6.6であった。利用されている拡大教科書を制作者別にまとめた結果、「教科書会社と同じ出版社」が6,779冊(85.6%)と8割以上を占めており、「ボランティア」は554冊(7.0%)であった。ボランティアによる拡大教科書は、標準規格以外の文字サイズが248冊(44.8%)で約半数を占めていた。
- 満足度:7,915冊のうち、とても満足が2,120冊(26.8%)、やや満足が3,596冊(45.4%)で、これらを合わせると5,716冊(72.2%)が満足しているという結果になった。制作者別に拡大教科書の満足度を比較した結果、「とても満足」「やや満足」と回答した児童生徒の割合は、出版社では74.0%、ボランティアでは65.9%で、出版社の方がやや満足度が高いことがわかった。
- 標準規格の課題:満足度で「やや不満」「とても不満」と評定された拡大教科書1,366冊に対して、標準規格の各要素に対してどのような問題があるかについて調べた。その結果、「1ページの内容量は減るが、教科書を小さくして欲しい」が294冊(21.5%)、「他の教科書と違うサイズなので使いにくい」が293冊(21.4%)、「文字を小さくしてもいいので、もっと教科書を小さくして欲しい」が227冊(16.6%)という教科書の大きさに対する不満が最も多かった。また、分冊に関する指摘も「分冊を増やしてもよいので、1冊を薄くして欲しい」が270冊(19.8%)、「1冊が厚くなってもいいので、分冊は減らして欲しい」が259冊(19.0%)と多かったが、相反する指摘であり、標準規格で解決することは困難だと考えられる。その他、「ページの位置がわかりにくい」(189冊;13.8%)、「「1-1」「1-2」という表示方法がわかりにくい」(185冊;13.5%)、「本文よりも文字が小さくてもよいので、同じページに入れて欲しい」(154冊;11.3%)、「脚注の位置がわかりにくい」(146冊;10.7%)という指摘があった。文字サイズ、写真・図表等、紙やインク等に関する指摘は少なかった。以上より、多くの指摘は、可搬性、操作、通常の教科書との対応に関するものであり、これらの問題を解決するのは紙ベースの教科書では困難であると考えられる。今後、タブレット端末等で電子化された教科書にアクセスする等のICT技術の活用が必要だと考えられる。なお、現時点でタブレット端末を利用している児童生徒は301人(25.2%)、その中で、教科書や書籍を読む際にタブレット端末を利用している児童生徒は71人(23.6%)であることがわかった。
- 中学校版拡大教科書サンプル集の試作研究
- 中学校用の最新の拡大教科書の中から、拡大教科書選定支援キット用サンプルとして適切な箇所を選択し、サンプル集を作成した。サンプル集に必要な要件については、過去2年間に作成したサンプル集に対して実施した評価結果に基づいて決定した。
- 中学校の拡大教科書を発行している教科書会社18社すべてにサンプルページとアピール文の提供を求め、A5判(18ポイント相当)、B5判(22ポイント相当)、A4判(26ポイント相当)のサンプル集としてまとめた(総ページ数は263ページ)。実際の拡大教科書の標準的なページ数や厚さ・重さ等を体験できるようにした。
- 本サンプル集の有効性を122機関に調査した結果、50機関から回答があり、96.0%の機関から本サンプル集が選定に役立つという回答を得た。従来のサンプルと比べて「拡大教科書の大きさ、重さ、厚さを実感できる」を評価した機関が多かった(94.0%)。そして、46機関が、本サンプルのように冊子版のサンプル集が必要だと回答した。
- 簡易版拡大教科書選定支援キットの試作
- 拡大教科書を選定するためには、視力や視野等の視機能評価や読書効率等のパフォーマンス測定等が必要である。しかし、拡大教科書の選定に関する調査の結果、「児童生徒にサンプルを見せ、相談しながら決めた」、「児童生徒や家族にまかせた」という回答が多く、「視力や視野等の視機能の評価結果に基づいて決めた」ケースは2割程度しかなかった。その理由を研究協力者で議論した結果、読書効率等の評価・測定には、専門的な検査用具や専門知識が必要であることがハードルになっていることが予想された。そこで、拡大教科書の選定を簡便に評価できる支援キットを作成した。
- 本選定キットの有効性を122機関に調査した結果、86.2%の機関から有効だという回答が得られた。特に、読書効率評価チャートに関する評価が高かった。
- 本キットを用いた事例研究の結果、拡大教科書の文字サイズ・判サイズを変更する必要性があることが示唆された。そして、評価結果に基づいて文字サイズ・判サイズを変更した結果、使いやすさが向上することが確認できた。
- 教科用図書等のユニバーサルデザイン化に関する事例調査
- 教科書発行者が発行する教科用図書等について、障害やその他の特性に対応するために実施している配慮事項に関する調査分析を行うために、教科書出版社や教科書協会に対するヒアリング調査を実施した。
- ヒアリングの結果、教科書発行者は、学校教育法第81条や新しい学習指導要領に対応できるように、身体に障害のある児童生徒だけでなく、LD(Learning Disabililies;学習障害)、ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder;注意欠陥多動性障害)、高機能自閉症(High -Functioning Autism)等の発達障害のある児童生徒も考慮した検定教科書の作成を心がけていることが明らかになった。
- カラーユニバーサルデザイン(CUD)、ユニバーサルデザイン書体の活用、ルビや脚注等の文字サイズへの配慮、説明、指示等の文章の簡潔さ、イラストや図解等の併用、文節改行、ポイントの強調、図等の背景色や飾りの簡潔化、ページ構成、写真・図・内容ごとの区別、学習の目標や手順の明確化等の配慮を行っていることがわかった。
- また、各社での個別の取り組みだけでなく、研修会を開催し、共有化が図られていることがわかった。
提言
以上の調査・研究の結果から以下の提言を行う。
- 拡大教科書を選定するためには、視力や視野等の視機能評価や読書効率等のパフォーマンス測定等が必要であるにもかかわらず、これらの客観的な評価を実施しているケースは2割程度しかなかった。また、事例調査の結果、拡大教科書に対する不満は、標準規格そのものではなく、文字サイズ・判サイズ等の選定が原因になる場合もあることがわかった。そこで、本研究では、簡易版拡大教科書選定支援キット及び冊子版拡大教科書サンプル集を試作・配布した。アンケート調査の結果、その有効性が確認できたが、担当教員が選定支援を効果的に実施できるようになるためには、今後、理解・啓発活動が必要だと考えられる。また、冊子版拡大教科書サンプル集のニーズは高く、今後も継続して作成・配布する必要があると考えられる。
- 現行の標準規格に基づいて作成されている拡大教科書の満足度は比較的高く、ボランティアによるプライベートサービスを僅かに上回る結果となった。この結果から、標準規格の拡大教科書は、一定の成果を挙げてきたと考えられる。また、満足できていない原因の分析の結果、課題は可搬性、操作性、通常の教科書との対応であり、これらの課題を解決するためには、新たなイノベーションが必要であることが示唆された。
- 教科書のユニバーサルデザイン化への取り組みは、年々、進展しており、教科書協会での研修会も開催されていることがわかった。カラーユニバーサルデザインについては、科学的な根拠に基づいて行われているが、他のユニバーサルデザインの要素については必ずしも科学的な根拠が明確とは言いがたい。そこで、今後、ユニバーサルデザインのエビデンスの評価が必要だと思われる。
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