簡易版拡大教科書選定支援キット Ver.1.0

中野 泰志(慶應義塾大学)


  1. はじめに
  2.   2008年に「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」(いわゆる「教科書バリアフリー法」)が施行される以前、拡大教科書(当時は、「拡大写本」や「拡大教材」と呼ばれていました)は、とても貴重で入手が困難なものでした。なぜなら、保護者やボランティアや教員の皆さんが、一人ひとりの弱視児童生徒の見え方や要望等に応じて、一冊ずつ手作りで作成し、費用も自己負担するしかなかったからです。当時、拡大教科書の入手は困難でしたが、個々の児童生徒のニーズ等を聞きながら作成したため、とても見やすく、使いやすいものがほとんどでした。

     教科書バリアフリー法が施行され、各教科書会社からすべての教科書が拡大で提供されるようになった現在、拡大教科書は、希望すれば無償で給与されるようになりました。しかし、教科書会社から提供されている拡大教科書は、標準規格というルールに基づいて作成されており、個別対応ではないため、すべての弱視児童生徒にとって見やすい・使いやすいとは限りません。また、文字や判の大きさが異なる2〜3種類の拡大教科書があるため、どの文字サイズ・判サイズが対象児童生徒に適しているかを判断する必要があります。さらに、標準規格では十分でない場合には、ボランティアに個別対応(プライベート・サービス)をお願いするかどうかも考えなければなりません。

     拡大教科書を使う必要があるのかどうか、どのような文字サイズ・判サイズが適切なのか、ボランティアに個別対応をお願いすべきなのかどうか等々、拡大教科書を選ぶ際には、様々な疑問があるのではないかと思います。また、拡大教科書は「大は小を兼ねる」というわけにはいきません。文字が大きすぎるとかえって読書の効率が低下することがあるからです。しかも、適切な文字の大きさは、児童生徒によって異なっているのです。

     この「簡易版拡大教科書選定支援キット」は、これらの疑問に答えるための、一つの根拠を提供するツールです。ぜひ、ご活用いただければ幸いです。なお、本支援キットは、平成22〜23年度文部科学省科学研究費基盤研究(B)「拡大教科書選定のための評価システムの開発―発達段階を考慮した生態学的アプローチ―」(課題番号22330261)で行った読書に関する基礎研究に基づいて作成しました。平成24年度文部科学省教科書課「標準規格の拡大教科書等の作成支援のための調査研究」で、拡大教科書の給与を受けている弱視児童生徒の担当教員等に配布させていただいた「拡大教科書の文字サイズ評価キット」は、そのサブセットです。

  3. 選定支援の流れ
  4. 拡大教科書が必要かどうかを聞き取る際の留意点
  5.  弱視の児童生徒には、全員、拡大教科書が必要かと言うと、そうではありません。では、拡大教科書を希望する児童生徒のみに拡大教科書を提供すればよいのでしょうか? 拡大教科書を希望している弱視児童生徒や保護者に提供するのは当然ですが、希望がなかったからと言って、不要だと結論することは早急だと思われます。なぜなら、発達段階等によって、自分自身では必要性がよくわからないことがあるからです。また、必要なのにもかかわらず、遠慮して希望を出せないケースもありますし、使ってみて初めて、その効果に気づくケースもあります。つまり、拡大教科書が必要かどうかを適切に聞き取るのは、簡単そうで、難しい課題なのです。拡大教科書が必要かどうかを聞き取る際には、以下の点に留意して、面接を実施してください。

     以上のように、児童生徒にとって、本当に必要なら、遠慮せずに、拡大教科書の給与をお願いしてもいいのだという雰囲気で、ヒアリングを行ってください。なお、拡大教科書を使う必要性のない場合や拡大教科書を使うと逆に読書効率が低下してしまう場合もあります。また、発達段階によっては、ルーペや拡大読書器等の補助具を活用することが重要な場合もあります。したがって、「拡大教科書を使った方がいいよ」という無理強いにならないように留意することも大切な留意点です。

  6. 現在、利用している拡大教科書が適しているかどうかのチェック
  7.  拡大教科書は「大は小を兼ねる」わけではありません。目の病気や視力や視野等の状態によっては、文字が大きすぎると逆に読書の効率が低下することがあるからです。そこで、文字サイズが適切かどうかを評価する必要があります。視覚障害特別支援学校(盲学校)等の視覚障害に関する専門機関には、視力や読書効率等を評価するための専門家や評価ツール等が揃っていると思いますが、通常の学級や特別支援学級には、必ずしも弱視教育の専門家が配置され、評価ツール等が揃っているわけではありません。そこで、簡便に拡大教科書の選定を支援するためのツールを作成し、拡大教科書の給与を受けている学校に配布させていただきました。

     簡易版拡大教科書選定支援キットは、教室環境での視力を評価する「近距離視力評価チャート」、簡便に読書の効率を比較することができる「読書効率評価チャート」、拡大教科書の文字サイズを調べるための「文字サイズ確認用スケール」から構成されています。以下、各ツールの使い方を解説します。

    1. 教室環境での近距離視力のチェック
    2.  標準規格の拡大教科書は、0.1〜0.3程度の視力(小数視力)の児童生徒用に作成されています。そこで、目安として、児童生徒の視力を把握しておいた方がよいと考えられます。ただし、拡大教科書の利用場面を考えると、近距離(30cm)の視力を、拡大教科書を利用する教室環境で評価する必要があります。

       評価には、「近距離視力表」を利用してください。ただし、通常の学校等では、「近距離視力表」を用意していないことが考えられるため、調査対象校には、「近距離視力評価チャート」を配布しました。この「近距離視力評価チャート」は、教室等の環境で、どの程度まで細かいものが見えるかを確認するためのチャートです(あくまで見え方の目安を評価するものであり、視力検査ではありませんので、ご注意ください)。

       評価は、教室等の拡大教科書を利用する場所で、実施してください。眼鏡やコンタクトレンズを利用している場合には、いつも通りに装着し、両眼で見てもらってください。本チャートを目から30cmの距離に固定し、大きな視標から順に切れ目の方向を答えてもらってください。1行に5つの視標が並んでいますので、左から一つずつ、切れ目の方向を答えてもらってください。5つの内3つ以上正当すれば、その視標はクリアです。次の視標(1段階小さな視標)を同様に試してください。3/5の正当が得られなかった時点で評価は終了です。3/5の正当が得られた最も小さな視標が目安となる視力です。なお、視標が小さくなると、近づいて見たがりますが、30cmよりも近づいたり、遠ざかったりしないように注意してください。

       例えば、0.02の視標で5つすべて正当の場合、次の0.025をチェックします。0.025では4つ正答、0.03では3つ正答、そして、0.04では2つしか正答しなかった場合、ここで評価を終了してください。この例では、目安となる視力は0.03になります。

       視力が0.3未満の場合、拡大教科書が必要である可能性は高いと考えられます。なお、「近距離視力評価チャート」には、0.4までの視力票しかありませんのでご了承ください。

    3. 読書効率のチェック
    4.  児童生徒に適した文字サイズを決める際には、好みだけでなく、読書効率(読書の速度、誤答等)や操作性等も参考にした方がよいと考えられます。読書効率の評価には、様々な方法がありますが、最も一般的なものは、文字サイズと読書速度の関係評価する方法です。

       文字サイズと読書効率の関係の評価方法にも、いくつかの種類がありますが、世界で最も良く利用されている方法は、ミネソタ大学ロービジョン研究室で考案されたMNREAD(エム・エヌ・リード)視力チャートです。MNREADの日本語版は東京女子大学の小田浩一研究室で開発され、株式会社「はんだや」から販売されています。なお、MNREAD-Jでは、視距離を固定して評価することになっていますが、児童生徒によっては、距離を一定に保てない場合があります。そのような場合には、文字サイズごとに視距離が異なっても読書に関するインデックスを計算できるツール(URL)をご活用ください。

       通常の学校や弱視学級等では、MNREAD-Jでの評価が難しい場合があります。そこで、調査対象校用に読書効率を簡便に評価する「読書効率評価チャート」を配布させていただきました。以下、利用方法を示します。

       「読書効率評価チャート」は、練習用チャート2枚(通常版、白黒反転版)、グレード1用チャート(小学校1年生の漢字を用いた文章)2枚(通常版、白黒反転版)、グレード2用チャート(小学校3年生までの漢字を用いた文章)2枚(通常版、白黒反転版)の合計6枚で構成されています。1枚のチャートには、11から32ポイントまでの文字サイズで印刷された30文字1ブロックの文章が6ブロック並んでいます。このチャートでは、様々な文字サイズの文章を読み上げる速度を測定することで、読書速度の観点から適した文字サイズを評価します。児童生徒に1ブロックずつ声に出して文章を読んでもらい、1ブロックを読み上げるためにかかる時間、間違って読んだ文字数、読み上げているときの視距離を測定してください。なお、本チャートは簡易評価ですので、正式には、ロービジョン・クリニックのある眼科盲学校等で詳細な検査や冊子版のサンプル拡大教科書を用いた評価等を受けてください。

    5. 利用している拡大教科書の文字サイズのチェック
    6.  拡大教科書の本文の文字(漢字)に、「文字サイズ確認用スケール」の枠を当て、最も文字の大きさに近い枠を見つけてください。枠の左側に書いてある数字が、その文字のポイントサイズです。文字はぴったりの大きさではなく、「なア永国東」の文字のように、少し余裕のある大きさになっています。

       「読書効率評価チャート」で評価した文字サイズと「文字サイズ確認用スケール」で測定した拡大教科書の本文の文字サイズが一致していれば、問題ありません。しかし、拡大教科書の文字サイズが大きすぎたり、小さすぎたりしている場合には、適切な選択が出来ているかどうかの確認が必要になります。その際には、図表や判サイズ等、他にも考慮すべきことがありますので、以下のホームページでさらなるチェックを行ったり、専門機関等に相談したりしていただけますようお願いいたします。なお、「文字サイズ確認用スケール」は、配布資料やテスト等の文字サイズをチェックする際にもご利用いただけますので、ぜひ、ご活用ください。

    7. 文字サイズ以外のチェック
    8.  拡大教科書を選択する際、本文の文字サイズは重要な要因の一つですが、それだけで判断することは出来ません。図・写真や脚注等の情報を読み取ることができるかどうかも重要な問題だからです。また、国語の新出漢字は、文字が同定できるだけでは不十分で、トメやハネ等も確認できる必要がありますし、算数・数学では添え字や演算記号等が確認できる必要があります。これら各教科の学習に必要な、本文以外の要素について、適切に読み取ることができるかをチェックする必要があります。もし、現在、使用している拡大教科書では対応できない場合、文字サイズを変えたり、ルーペ等の補助具を併用したりする必要があります。また、教科によって、ポイントとなる要素が異なるため、必要な文字サイズが変わってくることもあり得ますので、注意が必要です。

       上述のように、本文、図・写真、脚注等、様々な部分を見た上で、最も利用しやすい拡大教科書を選択しなければなりません。また、ルーペ等の補助具を併用する必要がある場合には、通常の教科書の方が使いやすい場合もあります。さらに、判サイズ、重さ、ページ対応等も含めた使いやすさを総合的に判断する必要があります。加えて、発達段階や進路等によっては、拡大教科書だけに依存せず、ルーペ等の補助具を活用する力を身につける必要性に迫られる場合もあります。

  8. 個別対応の拡大教科書をオーダーする際に必要なチェック
    1. 標準規格の拡大教科書のチェック
    2.  個別対応(プライベート・サービス)をボランティア団体に依頼する前に、依頼しようと考えている条件の拡大教科書が、教科書発行者からすでに発行されていないかどうかチェックを必ず実施してください。リンクしたホームページには、現在、出版されている標準規格の拡大教科書のリストが掲載されています。このリストには、本文の文字サイズ、判サイズ、分冊数等に加え、サンプルページが掲載されているものもあります。

    3. 個別対応を担当してくれるボランティア団体等のチェック
    4.  まず、近隣に、拡大写本のボランティア団体がないかどうかご確認ください。近隣にボランティア団体がない場合、「全国拡大教材製作協議会」(http://www.kakudai.org)の協力を得ることが可能です。なお、ボランティア団体に拡大教科書を依頼した場合にも、所定の手続きを行えば、無償給与の対象になります。

    5. 個別対応の拡大教科書をボランティア団体に依頼する際の留意点
    6.  ボランティア団体に個別対応の拡大教科書を依頼する際には、以下の点に留意してください。

    7. 文字サイズのチェック
    8.  最初に、前述の「読書効率評価チャート」による読書速度のチェックを行ってください。その結果、26ポイントでも十分な読書速度が得られていない場合には、個別対応の教科書が必要である可能性があります。本キットでは、32ポイントまでしか、読書速度をチェックできませんので、それ以上の文字サイズについて調べるためには、専門機関でMNREAD-J等を用いた検査が必要です。

    9. 白黒反転のチェック
    10.  前述の「読書効率評価チャート」を使った評価の結果、白黒反転の方が明らかに読みやすいという回答があったり、白黒反転の方が読書速度が明らかに速い場合には、白黒反転の拡大教科書を検討する必要があります。ただし、白黒反転の教科書は、鉛筆では書き込みが出来なかったり、カラーの写真等を見る際に見えにくい場合もあります。そこで、「教科書サンプル」(本キットの「白黒反転評価用サンプル拡大教科書」)を見せ、教科書すべてが白黒反転になることをよくイメージさせてから、最終的な結論を出してください。

    11. ボランティア団体とのやり取りのチェック
    12.  教科書出版社の拡大教科書は、標準規格のルールに基づいて作成されています。それに対して、ボランティアによる拡大教科書は、個別対応であるため、文字サイズ、書体等についての確認が必須です。使いやすい教科書にするためには、弱視児童生徒や教員のニーズを適切に伝えると同時に、ボランティアからの確認や問い合わせ等に協力する必要があります。

  9. 拡大教科書を活用する上での配慮に関するチェック
  10.  拡大教科書は、ページの表記や行等が通常の教科書と異なっています。そのため、授業で活用する際には、注意が必要です。また、拡大教科書が必要な弱視児童生徒は、教科書以外でも、見え方・見えにくさに応じた支援が必要なはずです。しかし、外見上は困っているように見えなかったり、「困っているなら言ってね」と声をかけても、「大丈夫です」と答えてしまうことが少なくありません。そのため、本来は、学んだり、活動したりする力があるにもかかわらず、見えにくさ故に過小評価される可能性もあります。そこで、以下のチェックリストを利用し、拡大教科書を授業で効果的に活用したり、教科書以外で必要だと考えられる配慮を行ったりして、弱視児童生徒が持っている本来の学習能力を引き出してくださるようお願いいたします。

  11. ご相談・お問い合わせ
  12.  本キットの使い方やデータの見方の他、拡大教科書の選定、個別対応の拡大教科書の作成、弱視児童生徒に対する指導や環境整備等についてご相談やお問い合わせがある場合には、メールでご連絡ください。

  13. おわりに
  14.  「障害者の権利に関する条約」が平成18年12月に国連総会で採択され、平成20年5月に発効しました。我が国は平成19年9月に同条約に署名しており、平成23年8月に「障害者基本法」の改正を、平成24年7月に「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」行う等、締結に向けた取組が進められています。この条約では、「障害を理由とするいかなる差別もなしに、すべての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、及び促進することを約束する」(第4条第1項)とともに、「平等を促進し、及び差別を撤廃することを目的として、合理的配慮が提供されることを確保するためのすべての適当な措置をとる」(第5条第3項)と定められています。そして、「意思疎通」の方法として、拡大文字が明確に位置づけられています(第2条)。

     拡大教科書によって弱視児童生徒の権利が守られ、彼らが自分の能力を最大限に発揮できるような環境を創造していただきたいと思います。本キットが、その一助となれば、幸いです。


編集責任者:中野 泰志(慶應義塾大学)

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