[イラク情勢メモ]:イラク情勢の「改善」をどう見るか?

延近 充

[ I ] 07年秋までの治安状況悪化の諸要因 イラクの治安情勢の「改善」

イラク情勢は,2006年秋にはアメリカ国内のメディアが「内戦状態」と表現するほど治安状況が悪化した。
武装勢力の攻撃に起因するイラク多国籍軍(有志連合軍)の兵士の死者は,月平均で,2003年(大規模戦闘終結宣言以降)34.4人,04年63.3人(4月と11月のファルージャでの大規模な戦闘により死者が突出,この2カ月を除くと49.9人),05年58.7人,06年64.5人,と増加していった。
イラクの民間人の死者も,月平均で,2003年(大規模戦闘終結宣言以降)478.9人,04年863.2人,05年1,127.1人,06年2,297.3人と急増していった。
しかし,07年秋以降は多国籍軍の死者・イラク民間人の死者とも急減し,,07年8月までの多国籍軍の死者は月平均93.4人,9月以降33.0人,イラク民間人の死者は8月までは2,495人,9月以降1,087人と急減した。
08年には多国籍軍の死者は同20.3人,イラク民間人の死者は同765.6人とさらに減少した*。
*イラク多国籍軍兵士の死者の月別の推移は下の第1図,イラク民間人の死者の月別の推移は下の第2図を参照していただきたい。最新のデータは【イラク戦争における犠牲者】をご覧ください。
第1図 戦闘行為中のイラク多国籍軍(Multi-National Force Iraq)兵士の死者

[資料出所]
国防総省ニュース:http://www.defenselink.mil/news/
米中央軍司令部:http://www.centcom.mil/
イラク多国籍軍:http://www.mnf-iraq.com/
AP:http://www.ap.org/
ロイター:http://www.reuters.com/
CNN:http://www.cnn.com/
イラク戦争関連年表
から集計し作成。
[備考]
(1) US_KIA:米国防総省発表の「イラクの自由」作戦における米軍の死者のうち,
  「戦闘行動中に死亡(Killed in action)」とされた数および戦闘行動関連による死者数。
(2) Other:米軍以外の有志連合軍の死者数。
(3) est.:当該月の発表日までの多国籍軍の死者総数の増加ペースをもとに推計した1カ月の死者数の予想値。
第2図 「大規模戦闘終結宣言」以降の民間人の死者 月別の推移
[資料出所]
Iraq Body Count(IBC):http://www.iraqbodycount.net/database/,「イラクにおける米国主導の軍事干渉に起因する死者数:Reported civilian deaths resulting from the US-led military intervention in Iraq」をもとに,「End Date」によってソートして作成。
大規模戦闘終了後の外国軍占領・駐留期間において,IBCが信頼するに足ると考える複数のメディアに報道された死者数の最少数と最多数(イラク攻撃に起因する法秩序と治安の崩壊などの結果生じた事件の死者を含む)。
[備考]
上のグラフはIBCのデータをそのままグラフ化したわけではない。この点についてより詳しくは【イラク戦争における民間人の死者】を参照していただきたい。また,イラクにおける実際の民間人死者数はIBCの集計をはるかに上回ると考えられる。この点についてより詳しくは[注釈]を参照していただきたい。
このような状況を受けて,カリルザード米国連大使は07年11月14日に,国連安保理で次のような趣旨の発言をしている。
「07年6月以降,イラク民間人の死者は80%減少,イラク治安部隊の死者は84%減少,米兵の死者は87%減少,民族間または宗派間抗争による死者は95%減少した。また,IEDによる攻撃件数は81%減少し,自爆攻撃件数は72%減少した。しかし,この事実はイラクが安全になったこと,武装勢力が死滅したことを意味しない。イラク・アルカイダ機構は依然として重要な脅威であり,マフディ軍に代表されるイラン支援の武装勢力も同様の脅威である。
彼らはイラクの人々に対する致死的な攻撃を遂行する意思と能力を保持している。」
イラク北部ニナワ州・サラハディン州とバグダッド地域*では,依然としてイラク治安部隊や政治勢力に対する攻撃や宗派・部族間抗争とみられる事件が継続しており,米軍に対する攻撃も散発的に起こっている。しかし,「暴力」事件発生件数,死傷者数とも07年秋以降に急減したことから,ブッシュ米政権や各国メディアがイラクの治安状況は改善され,イラク情勢は安定化に向かっていると評価するようになった。
*イラクおよび周辺地域の地図はこちらをご覧ください
このような情勢の変化を背景として,ブッシュ政権末期の08年12月,アメリカとイラクとの間で09年以降の米軍のイラク駐留継続のための安全保障協定が締結され,米軍は09年半ばまでにイラクの都市部から撤退し,11年末までにイラク国内から全面的に撤退することが定められた。
09年1月20日,バラク・オバマ氏が大統領に就任し,ブッシュ共和党政権からオバマ民主党政権に移行した。オバマ大統領は就任演説において,外交政策の基本姿勢について,ブッシュ政権時の単独行動主義から国際協調主義へと大きく舵を切ることを表明し,「イラクをイラク国民に委ね,アフガニスタンへの平和構築のために力を傾注する」方針を表明した。
オバマ大統領は大統領選挙中に,就任後16カ月以内のイラク駐留米軍の全面撤退を公約している。

[ II ] イラク情勢「改善」の諸要因

イラク攻撃開始からまもなく6年,はたしてイラク情勢は本当に「改善」され,安定化に向かっていると評価できるのだろうか?オバマ政権のイラクからの米軍撤退は順調に進むのだろうか?
ブッシュ前大統領は2009年1月15日にホワイトハウスから全米向けにテレビで退任演説を行ない,9.11テロ以降,米本土でのテロの再発がなかったとして「世界はより自由になった」と“対テロ戦争”における「実績」を強調し,イラクの治安は07年の米軍増派によって改善され,「イラクは民主化されつつあり,対テロ戦争における同盟国となりつつある」と自画自賛した。
ブッシュ前大統領が,自分が決断した戦略としてイラクの治安改善の原因と強調する米軍増派とは,2007年1月10日,全米向けのテレビ演説でイラクの現状と自身の対イラク政策について,「過ちがあった点については私に責任がある。戦略を変えなければならないのは明らかだ」と述べて発表した新戦略を指す。
その内容は,イラク軍・警察支援のためイラク駐留米軍を2万1500人(バグダッドに1万7000人,アンバル州に4000人)増派して約15万人超の体制に増強し,また経済状況改善のために雇用対策を中心とする経済支援事業に10億ドルを拠出するというものである*。
*この戦略変更は,共和党が06年11月の中間選挙で早期撤退を訴えた民主党に敗北し,08年の大統領選挙を控えてイラクからの出口戦略を模索し,共和党政権の維持を図ったものと思われる。
米軍増派は,当時のイラク多国籍軍のペトレイアス司令官の提言にもとづくもので,ブッシュ大統領の演説の翌日,国防総省から具体的な増派計画が発表された*。
   *DoD Announces Force Adjustments Jan. 11, 2007.
07年2月以降,2万人規模が増派され,さらにピーク時には16万人体制にまで増強された。
たしかにその後,上の(1)に示したデータのようにイラクの治安状況は急速に「改善」され,各種メディアでイラク情勢が報じられることも少なくなった。ブッシュ前大統領が「成果」と自画自賛するゆえんであろう。
しかし,この治安状況の「改善」がそのままイラク国内の安定化につながるとは即断できない。それは,治安状況の悪化をもたらしてきた諸原因が根本から解決されたとはとうてい言えないからである。

(1) 07年秋までの治安状況悪化の諸要因

イラクの治安情勢の「改善」を評価するために,まず,イラク情勢がなぜ「内戦」と表現されるまでに悪化したのかを分析してみよう。
「年表 終わらないイラク戦争」に収集したイラク情勢に関する事実を分析すると,外国軍兵士・イラク治安部隊や民間人の死者が多数発生してきたのは,次の5つの要因によると考えられる。
(a) シーア派系反米民兵組織による外国占領軍への攻撃
(b) 外国占領軍とシーア派主体のイラク政府に反発するスンニ派系住民に支援されたアルカイダ系の武装勢力による占領軍への攻撃とそれに付随する民間人の犠牲者の発生
(c)フセイン政権時代の軍関係者に由来するスンニ派系の武装勢力の占領軍やシーア派住民への攻撃
(d)内務省治安部隊内の‘暗殺集団 Death Squads’によるフセイン政権関係者の暗殺
(e)これらにもとづく報復攻撃の連鎖

(2) 07年秋以降の治安状況「改善」の諸要因

2007年秋以降,「暴力」事件が減少し,事件による死者が激減して,イラクの治安状況が「改善」されたのは,以下の3つの要因によると考えられる。
1. サドル師派の民兵組織マフディ軍の外国軍攻撃の停止(サドル師,マフディ軍については,【用語集】を参照していただきたい)
(a)のシーア派系反米民兵組織による外国占領軍への攻撃ついては,ムクタダ・サドル師派の民兵組織マフディ軍(イラク全土で5〜6万人規模とされる)が07年8月末のサドル師の指令によって米軍など占領軍への攻撃を停止したこと。
サドル師の休戦指令は以下のとおり。「年表 終わらないイラク戦争」参照。
2007年8月29日:今後6カ月を超えない期間について米軍など外国軍への攻撃の延期を含めて活動休止を指令。
2008年2月7日:07年8月に指令した占領軍に対する6カ月間の休戦と活動休止をさらに6カ月間延長することを指令。
2008年8月28日:07年8月に指令し08年2月に延長したイラク駐留外国軍に対する休戦を無期限延長し,米国の占領に対して平和的手段による抵抗を指令。
反米・反占領軍闘争の急先鋒だったサドル師は,なぜ休戦を指示したのだろうか?
07年2月5日,イラク政府がバグダッドの治安回復作戦実行を目的として,イラク軍・警察など内務省の治安組織を統合的に指揮する統合司令部(指揮官ガンバル中将)を設置した。2月13日には,統合司令部のガンバル・イラク軍中将がバグダッドで14日から開始する武装勢力掃討作戦に先立ち,シリアおよびイラン国境の72時間閉鎖,武器所持許可の停止などの措置を発表する。
翌14日,ブッシュ大統領の命令によってイラクに増派された米軍とイラク軍は,合計9万人規模を投入して,バグダッドおよび周辺地域における大規模な武装勢力掃討作戦「法の執行‘Fardh Al-Qanoon’」作戦を開始した。
作戦実行中,イラク多国籍軍は連日プレス・リリースにおいて,バグダッド各所において,攻撃ヘリコプターや戦闘機による空爆など空からの支援の下に,地上軍の強制捜査によって武装勢力の検挙・殺害,武器集積所の摘発,大量のIED(道路脇の爆弾や自動車爆弾など)の完成品・材料,爆薬・火器類の押収など,作戦の「成果」を発表している。
ブッシュ大統領や政権幹部,国防総省などもこの作戦によってバグダッドの治安は改善されつつあるとコメントしている。
実は,この大規模な掃討作戦の主な対象は,マフディ軍とその支援者であるサドル師派住民であった。
4月15日,サドル師派の幹部は,マリキ首相がイラク駐留米軍の撤退日程を明示しないことへの抗議として,サドル師派の全閣僚6人を内閣から引き揚げる方針を表明した。その背景には,2月からの米軍・イラク軍による武装勢力掃討作戦でマフディ軍が主要な対象となっていることへの反発があったと考えられている。
サドル師自身は,ブッシュ大統領の米軍増派方針発表以降,遅くとも「法の執行」作戦開始までに,イランに脱出したと報道されている。また,サドル師派の幹部も掃討作戦から逃れるためにイランに同行,またはイラク内で地下に潜行したといわれている。
07年8月28日に,カルバラでイラク治安部隊(イラク・イスラム最高評議会 SIIC傘下のバドル軍)とマフディ軍と間で銃撃戦となり,52人が死亡,206人が負傷する事件が起こったが,サドル師によるマフディ軍の活動休止指令はその翌日に出されたのである。
さらに,07年9月15日には,国民議会のサドル師派議員30人がマリキ政権与党の「統一イラク同盟」(UIA)からの離脱を発表し,与党系はUIA(85議席)とクルド同盟(53議席)の計138議席と過半数割れ寸前となり,マリキ政権は窮地に立たされた。その後,マリキ政権は,08年春ごろからサドル師派の掃討作戦をバグダッド東部および南部バスラ地域で実行し,サドル師派およびマフディ軍の中心的メンバー数百人を拘束したとされている。
しかし,2008年10月18日,サドル師の呼びかけに呼応して,バグダッドでサドル師支持者数万人が米・イラク安全保障協定案(イラク駐留米軍の2009年以降の駐留継続を可能とする規定など)に反対するデモ集会を「平和的」に開くなど,必ずしもサドル師の影響力は衰えていないように見える。
これらのことから推測すると,サドル師は,武力による抵抗運動の無理な継続は組織の力をいっそう衰えさせるため,来るべき機会(09年1月末に統一地方選挙が予定されている)に備え組織を温存する目的で休戦を指示したことが考えられる。
2. イラク人による自警組織の役割
(b)のアルカイダ系武装勢力,(c)のスンニ派系武装勢力については,米軍が,スンニ派系住民と武装勢力に対して,1人あたり月300ドルの手当と武器を与えて自警組織*を作り上げ懐柔したことによって,彼らを反米・反イラク政府,親アルカイダから親米・親イラク政府へと「転向」させた。
*自警組織は,イラクの子孫:Sons of Iraq,覚醒評議会:Awakening Council,近隣警備隊:Neighborhood Patrolなどと呼ばれている(これらの詳細は近日追加予定)。
自警組織の構築は,アルカイダ系武装勢力とスンニ派系武装勢力の力が強く,事実上彼らの支配下にあったイラク西部アンバル州から2006年末までに始められ,その後,イラク全土で10万人規模に拡大された。
彼らは,かつては反米・反イラク政府勢力として占領軍や政府治安部隊に対して攻撃を繰り返し,アルカイダ勢力を支援していたのであるが,米軍からドルと武器を与えられたことにより,アルカイダ系武装勢力の掃討のために米軍と政府軍に積極的に協力するようになったのである。
10万人すべてがかつての武装勢力ではなかったにせよ,少なくともスンニ派武装勢力シンパあるいは潜在的武装勢力を懐柔したわけであるから,米軍・イラク政府側にとっては,敵側陣営の10万人が自陣営に「転向」したことになる。差引20万人の増強といえるだろう。
ゲーツ国防長官,マレン統合参謀本部議長,ペトレイアス・イラク多国籍軍司令官(現中央軍 Central Command 司令官)らが,「イラク情勢の‘前進’の大部分が‘Sons of Iraq’との協力による」と高く評価しているゆえんである。
3. 米軍増派による武装勢力掃討作戦強化
米軍2万人規模の増派によって武装勢力掃討作戦が強化され,とくに治安が極度に悪化していた西部アンバル州における攻撃事件・死者が激減した。しかし,1のマフディ軍4〜5万人規模の攻撃停止,2の自警組織による差引20万人の増強と比べれば,米軍増派は,上記の1と2を補強する要因という位置づけが妥当なところではないだろうか。

[ III ] イラク情勢の真の安定化のためには?

以上の考察から結論づけるとすると,つまり,ブッシュ前大統領が強調するような米軍増派によって武装勢力を軍事力で鎮圧したことによって,治安が劇的に改善されたのではないということである。
イラクの治安状況の「改善」は,シーア派民兵組織の攻撃停止と反米武装勢力や反米感情を持つ住民をドルと武器で懐柔したに過ぎないのである。
現在,米軍の撤退を実現するために,民間自警組織の米軍管理からイラク政府の管理への移行が進められている。
自警組織のメンバーが今後も反武装勢力・親政府であり続けるためには,彼らをイラク軍や警察などの治安部隊へ編入すること,または職業訓練など受けさせ,政府の政策によって雇用機会を作り出し,彼らの雇用を確保して月300ドルの手当に代わる収入を得られるようにすることが必要になる。
この移行が順調に進み,イラクの治安改善が継続してイラク情勢が安定化に向かうかどうかは,シーア派主体の政府が,治安部隊へ民間自警組織の編入と経済復興を実現できるかどうかにかかっているといえよう。
もし,復興が順調に進まなければ,彼らは容易に反米・反イラク政府,親アルイカイダに再転向しうるであろう。その場合,彼らに武器を供与し軍事訓練を施したことは両刃の剣になりうる。米軍が訓練した兵士たちが,米軍が供与した武器によって,米軍やイラク政府を攻撃するという事態である。
また,サドル師支持派の住民たちの多くは貧困層であるから,彼らを懐柔するためにも経済復興が鍵となるだろう。
2009年1月7日,サドル師は,イスラエル軍のガザ地区攻撃に対して「シオニストへの復讐の攻撃を要求する」とイラク駐留米軍への報復攻撃を主張する声明を発表した。1月18日にガザ地区では一応の停戦が実現し,現時点ではサドル師の声明に呼応したと考えられる米軍やイラク軍に対する攻撃事件は起きていないが・・・。
(未完)

(2008年9月20日記,2009年1月25日一部修正・追加)

米軍は,アフガニスタンにおいても同様の計画,アフガン人に武器を与えて民兵組織を構築させタリバンと戦わせることを計画している。
この計画はペトレイアス米中央軍司令官(彼がイラク多国籍軍司令官時代にイラクで自警団創設計画が開始された)の発案と言われている。

09年2月4日に,アフガニスタン内務省がこの計画は既に開始されていること,アメリカがこの計画に要する費用(アフガン民衆防護部隊(Afghanistan Public Protection Force APPF)の隊員にカラシニコフ自動小銃を買い与える費用を含む)を全面的に負担することを発表した。

私は,上記のように,イラクにおいてもこの政策は“両刃の剣”であることを指摘したが,アフガニスタンにおいてはさらに逆効果をもたらす可能性が高い。
この点については,近日中に論じる予定。(09年2月7日追記)
イラク情勢が不安定要因をはらみながらも一時に比べて急速に治安が改善されたのとは対照的に,アフガニスタン情勢は,現アフガニスタン政府の腐敗の横行と復興の停滞を背景としたタリバン勢力の巻き返しにともなって,2005年以降,加速度的に悪化している。さらに,アメリカがパキスタン北西部アフガニスタン国境付近の部族地域をタリバンやアルカイダ勢力の拠点とみなして,パキスタン政府を支援しながら武装勢力掃討作戦を実行させ,アメリカ自身もCIAの無人偵察機のミサイルによって越境攻撃を行なっている。パキスタン国内でもパキスタン・タリバンによる大規模爆弾テロ事件が頻発するようになって,パキスタン情勢も悪化している。
米軍・NATO軍の軍事行動にともなって住民・非戦闘員の死傷事件が多発し,そのことが犠牲者の親族や関係者の武装勢力への参加を促進し,イラクにおけるのと同様に,外国軍のアフガニスタン駐留およびその軍事行動が反政府・反外国軍武装勢力の勢力をかえって強める結果となっているのである。
私はこの<資料>を「終わらないイラク戦争」と題したが,その「終わらない」という性格付けの正しさが現実の事態の進行によって裏付けられていると感じている。「終わらないイラク戦争」をより明確に「終わらない対テロ戦争」とすべきではあったが・・・。
2009年8月27日に,アフガニスタン駐留米軍のマックリスタル司令官が,米軍・NATO軍の個別の作戦行動における成功が治安情勢の改善をもたらさず,むしろ反政府・反外国軍武装組織の勢力拡大と攻撃の増大の結果を招いている現状について,米軍・NATO軍が10人の武装グループと戦い2人を殺害したとしても,死者の親族が復讐を望んで武装勢力に参加することによって,「この場合の計算式は10-2=8ではなくて10-2=20(以上)となる」という認識を示している。
米軍が殺害しているのは武装勢力だけではなく多数の非戦闘員・民間人も殺害していることに言及していないことを除いて,この認識自体は正しいが,それにしても米軍のトップ・レベルがこの認識にたどり着くのに,アフガニスタン攻撃開始から8年!,イラク攻撃開始から6年半!とは・・・。
私がイラク戦争について収集した資料と私なりの分析を公表する場として,「終わらないイラク戦争」のサイトを開設したのは2004年9月であった。(2009年8月28日追記)

イラク戦争にかんするわたしの分析視角やイラク情勢の具体的事実などについて,より詳しくは共同研究「イラク戦争を考える」をご覧ください。

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