【イラク戦争関連用語集(人名・地名・組織名,その他)】 | [慶應義塾大学経済学部 延近 充作成] |
【人名】 | |
語句 | 説明:[ ]は出典。出典のないものはウェブ上や信頼できる諸資料に基づく。*は別項に説明あり |
オサマ・ビン・ラーデン | Osama bin Ladenまたはウサマ・ビン・ラディン(Usama bin Ladin)氏,1957年または58年サウジアラビア・リヤド生まれ。2001年9月11日の米同時多発テロに関与。 1979年,ソ連軍のアフガニスタン侵攻直後,ソ連軍と戦いイスラム教徒を解放するためアフガニスタンに渡りムジャーヒディーン(聖戦士)となる。 アフガニスタン戦争中はアラブ義勇兵のリクルート,輸送,訓練への資金提供で重要な役割を果たし,彼の一族の資産および湾岸の富裕財閥からの寄付の受け皿としてイスラム救国基金カイーダ(al-Qaida,基地)*を設立。この時期はアメリカと協力関係にあった。 湾岸戦争前後に米軍のサウジアラビア駐留を契機に反ソ・反共から反米に転じ,1996年8月23日の「聖地を占領する米国人に対する宣戦布告」で米国への宣戦布告。1998年2月に「ユダヤ人と十字軍との戦闘のための世界イスラーム戦線」が結成され,米国人であれば軍人,民間人を問わず殺害すべしとして無差別テロの方針を採用。米国こそ多くの無差別テロを実行と批判。 1993年2月のニューヨークの世界貿易センタービル爆破事件,1998年8月のタンザニア,ケニア米大使館爆破事件に関与とされているが確実な証拠は示されていない。[state.gov(米国務省),meij.or.jp(中東調査会)など] |
サドル | ムクタダ・サドル師。1974年生まれ。フセイン政権下の1999年に秘密警察によって暗殺されたシーア派指導者ムハンマド・サーデク・サドル師の息子で,イスラム教シーア派の宗教指導者の1人。対米強硬派民兵組織マフディ軍団*の指導者でもある。[wikipedia.org] |
ザルカウィ | アブムサブ・ザルカウィ氏。国際的反米組織アルカイダ*の幹部といわれている。同氏が率いるとされる武装組織「タウヒード・ワ・ジハード(統一と聖戦)」はイラク国内での爆弾攻撃や外国人人質・殺害事件のいくつかについて実行声明を発表している。 「タウヒード・ワ・ジハード」は2004年10月下旬に名称を「イラク・アルカイダ機構」(メディアによって「イラクの聖戦アルカイダ組織」)に変更したとしている。 2006年6月7日,バクバ北方8kmの民家で米軍戦闘機からの精密誘導爆弾による空爆によって死亡。 |
シスターニ | サイード・アリ・シスターニ師(メディアによってシスタニ師)。1930年イラン生まれ。1992年にイスラム学徒集団(ハウザ)によってシーア派の最高位聖職者「大アヤトラ」に選ばれる。シーア派信者に強い影響力を持つ。 フセイン政権下では政治的発言を控えていたが,イラク戦争後,CPA主導の暫定政権作りでは国民による直接選挙を主張,イラク基本法制定では民意を反映していないと批判。サドル師*派とイラク駐留軍との戦闘では停戦合意に尽力した。 |
ジャファリ | イブラヒム・ジャファリ氏。1947年生まれ。医師であるとともにスンニ派の政治家でイスラム・ダワ党代表。 ダワ党は1970年代後半に激しい反サダム・フセイン体制運動を行なったが,フセイン政権の弾圧により77,000人が殺害されたと言われ1982年に壊滅状態になる。生き残ったメンバーはイギリス,シリア,イランなどに亡命し,ジャファリも1980年にイランに亡命した。 フセイン政権崩壊後,ジャファリはイラクに帰国しCPA*によって統治評議会メンバーに選ばれ,2004年6月1日にイラク暫定政権発足の際に,ブラヒミ国連事務総長特別顧問により暫定副大統領に指名された。 2005年1月の国民議会選挙後には統一イラク同盟の首相候補に選ばれ,同年4月大統領評議会の指名・国民議会の承認により首相に就任。ジャファリ氏の妻はシスターニ師*の親戚。[ap.orgなど] |
タラバーニ | ジャラル・タラバーニ氏。1934年生まれ。クルド愛国同盟(PUK:Patriotic Union of Kurdistan)代表,スンニ派。 14歳でクルド民主党(KDP)に入党し20代で幹部となるが,KDPがイラク政府と結んだ停戦協定に反対しKDPを離党,1975年にPUKを創設。 クルド人を抑圧するイラク政府に対し武装闘争も行なったが,フセイン政権がクルド人に対する攻撃(化学兵器も使用)を強めた1988年にイランに逃れた。 フセイン政権崩壊後にCPAによって統治評議会メンバーに任命され,05年1月の選挙で成立し国民議会の投票により,同年4月に大統領に就任。[news.bbc.co.uk,ap.orgなど] |
チャラビ | アフマド・チャラビ氏。反フセイン体制派組織のイラク国民会議(INC)*代表。イラク戦争前に大量破壊兵器に関する情報や反体制派の情報をアメリカに提供。国防総省は戦後イラクの指導者として重視し,2003年7月にはCPAによって統治評議会メンバーにも選ばれる。 その後,チャラビ氏の提供した情報への疑問が深まり,また同氏が米国のイラク統治批判を強めたことから,ウォルフォウィッツ国防副長官は2004年5月にINCへの財政支援停止を表明。04年8月には通貨偽造容疑で逮捕されたが,その後釈放され,05年1月の選挙で国民議会議員に選出,同年4月に副首相に就任。 同氏のおいのサレム・チャラビ氏はフセイン元大統領らを裁く特別法廷長官。 |
ハキム | ムハンマド・バキル・ハキム師。イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)*の指導者。1980年にイランに亡命して反政府活動を続けていたが,フセイン政権崩壊後に帰国。 2003年7月にCPA*によって統治評議会メンバーに選ばれたが,同年8月に爆弾テロにより死亡。弟のアブドルアジズ・ハキムが後継指導者となる。 |
バルザーニ | マスード・バルザーニ氏。1946年生まれ。クルド民主党(KDP:Kurdistan Democratic Party,彼が生まれた日に父ムスタファ・バルザーニが創設)代表,スンニ派。 父ムスタファが米国で死亡した1979年,KDPの党大会で後任の代表に選出される。 KDPの民兵組織ペシュメルガ数万人を率いて長期にわたるイラク中央政府との民族紛争やPUKとの闘争を戦う。 フセイン政権崩壊後にCPAによって統治評議会メンバーに任命される。[kdp.pp.se,news.bbc.co.uk,ap.org] |
語句 | 説明:[ ]は出典。出典のないものはウェブ上や信頼できる諸資料に基づく。*は別項に説明あり |
カルバラ | カルバラ州の州都。イスラム教シーア派の聖地の1つ,同派の歴史上の指導者を祭るイマーム・フセイン廟やイマーム・アッバス廟などがある。 |
グリーン・ゾーン | バグダッド中心部にある米軍管理区域。フセイン政権時代から大統領宮殿やバース党本部など主要施設が集中する最重要地域で,フセイン政権崩壊後は米軍が接収。 解散前のCPA*本部,イラク暫定政府の大統領府など主要官庁や米大使館などが集中し,米軍が厳重な警備をしている。広さ約10平方km。 CPAからイラク暫定政権への主権移譲後に開催された国民会議の議場,05年1月の選挙後の国民議会の議場がある。 |
サドル・シティ | バグダッドの北東部にあるシーア派の低所得者層が住むスラム街。かつてサダム・シティと呼ばれていたが,フセイン政権崩壊直後に名称をサドル・シティに変更。 「サドル」は,シーア派の最高指導者だったムハンマド・バキル・サドル師の甥,アヤトラと呼ばれるシーア派指導者ムハンマド・サーデク・サドル師(ムクタダ・サドル師*の父,1999年に暗殺)に由来。 |
スンニ派三角地帯 | フセイン元大統領の出身地ティクリート・バグダッド・ラマディの3都市を結ぶ地域で,イスラム教スンニ派の勢力が強い地域。フセイン元大統領がスンニ派だったこともあり,反米意識が強い。 |
ナジャフ | ナジャフ州の州都。イスラム教シーア派の聖地の1つ,シーア派がもっとも神聖視するイマーム・アリ聖廟などがある。 |
バスラ | 人口約150万人のイラク第2の都市。フセイン政権下で抑圧されてきたシーア派イスラム教徒が多数を占める。 2004年1月にCPA*主導の主権移譲プロセスに反対する数万人規模のデモがあり,2004年4月5日にはサドル師*の民兵組織などが州知事公舎を占拠した。 イラン・イラク戦争で被害を受け,湾岸戦争後の反体制シーア派蜂起でも多くの犠牲者が出たとされ,「殉教の街」とも呼ばれる。フセイン政権崩壊後は主に英国軍が治安維持を担当している。[asahi.com] |
ファルージャ | アンバル州の都市で人口約30万人。スンニ派三角地帯内に位置。2004年3月に米警備会社の傭兵4人の殺害・遺体損壊事件が発生し,米軍の集中的・無差別的な攻撃の対象となった。米軍はザルカウィ氏*グループの拠点だとしている。 |
【組織・略語】 | |
語句 | 説明:[ ]は出典。出典のないものはウェブ上や信頼できる諸資料に基づく。*は別項に説明あり |
CPA | The Coalition Provisional Authority:連合暫定当局。2003年4月,イラク人による統治機構が確立するまでの間,暫定的に行政権限を行使する機関として,フランクス米中央軍司令官が設立を発表(初代局長はフランクス司令官)。 占領開始当初はORHA*が暫定統治を担当したため名目的な存在であったが,ポール・ブレマー大統領特使が文民行政官(civilian administrator)に任命され,2003年5月から復興事業全体を統括することになる。 2004年6月,イラクへの主権移譲により解散。[dod.gov(米国防総省),globalsecurity.orgなど] |
IAEA | International Atomic Energy Agency:国際原子力機関。原子力の平和的利用のための研究,開発および実用化を奨励し援助するとともに,原子力が平和的利用から軍事的利用に転用されることを防止することを目的とする。[iaea.org] |
IMF | International Monetary Fund:国際通貨基金。1944年協定調印,1947年業務開始。第2次大戦後の国際経済の復興と成長のための国際通貨体制として創設された。詳しくは研究紹介のページを参照してください。 |
INA | Iraqi National Accord:イラク国民合意。イヤド・アラウィ(シーア派)が1990年に軍・警察機関の反体制派を中心にイラク国外で結成した親米反フセイン政権組織。 ヨルダンのアンマンを拠点としてCIAの支援を受けてサダム・フセイン政権打倒を目的に活動。期待された成果をあげられなかったため,アメリカは親米反体制組織支援の重点をINC*に移す。 フセイン政権崩壊後はINC*のチャラビ*に代わってアメリカの支援を受けたアラウィがイラク暫定政権首相(2004年6月〜)に任命される。[wikipedia.orgなど] |
INC | Iraqi National Congress:イラク国民会議。サダム・フセイン政権下で国外に亡命したイラク人の反フセイン体制派の組織。米国防総省の支援を受けていたといわれる。代表はアフマド・チャラビ氏*。 |
ISIL | Islamic State of Iraq and the Levant:2006年10月にイラク・アルカイダ機構がスンニ派系武装組織と統合してイラク・イスラム国を名乗るようになり,さらに2011年1月に始まったシリアの反政府運動が政府軍と反政府派の武力衝突が内戦状態に拡大する中で,反政府派武装勢力と一体化して,イラクとレバントのイスラム国となった。メディアによってはレバントではなく,イラクとシリアのイスラム国ISISとしているが,原語は現在のシリアだけでなくレバノン・パレスチナ・ヨルダン地域などを含む「大シリア」という意味なので,レバントのほうが適切と思われる。 |
KDP | クルド民主党:Kurdistan Democratic Party。1946年創設。代表はマスード・バルザーニ*氏。[kdp.pp.se,news.bbc.co.uk] |
NATO | North Atrantic Treaty Organization:北大西洋条約機構。冷戦開始当初に結ばれた北大西洋条約(1949年4月調印,同年8月発効)にもとづく集団防衛機構。 設立当初の加盟国は,アイスランド,アメリカ,イギリス,イタリア,オランダ,カナダ,デンマーク,ノルウェー,フランス,ベルギー,ポルトガル,ルクセンブルグの12カ国。 1952年にトルコ,ギリシャ,1955年に西ドイツ,1982年にスペインが加盟。 冷戦終結後の1999年にハンガリー,チェコ,ポーランド,2004年にエストニア,スロバキア,スロベニア,ブルガリア,ラトビア,リトアニア,ルーマニアの7カ国が加盟し,26カ国に拡大した。 ロシアは加盟していないが,2002年5月からNATO・ロシア会議が設立され,協力国として協調的行動をとることになっている。[nato.intなど] |
ORHA | Office of Reconstruction and Humanitarian Assistance:復興人道支援局。戦後のイラク復興において国連諸専門機関やNGOとの連携を果たす役割のために,ブッシュ米大統領の指示により国防総省が2003年1月20日に設立。 局長はジェイ・ガーナー退役陸軍中将,国防総省,国務省など多数の米国政府機関からの派遣職員を中心としてで構成。イラク占領初期の暫定統治を担うが,2003年5月にCPA*の一部局になり,同6月にCPAに統合される。[dod.gov(米国防総省),globalsecurity.orgなど] |
PFLP | Popular Front for the Liberation of Palestinian:パレスチナ解放人民戦線。1967年創設。PLO*内の反主流派急進組織で,1970年代の欧州各地での民間旅客機ハイジャック事件など世界各地で武装闘争を展開している。 |
PLO | Palestine Liberation Organization:パレスチナ解放機構。1964年5月,アラブ連盟の指導と支配下に設立。69年2月に,ファタハ*(パレスチナ民族解放運動)の指導者アラファトが執行委員会議長となり,パレスティナ解放をめざす独立の政治組織として全面的に再編された。 1974年にアラブ首脳会議でPLOがパレスチナ人の唯一の正式代表として認められ,同年の国連総会でもパレスチナ人の代表としてオブザーバー参加が認められた。1970年代には世界中の100を超す国々がPLOを正式に承認した。 |
PUK | クルド愛国同盟:Patriotic Union of Kurdistan。1975年創設。代表はジャラル・タラバーニ*氏。[news.bbc.co.uk,puk.org] |
SCIRI/SIIC | Supreme Council for the Islamic Revolution in Iraq:イラク・イスラム革命最高評議会。サダム・フセイン政権下でイランに亡命したムハンマド・バキル・ハキム師*が中心となって1982年に結成したシーア派の反フセイン体制派の組織。イラン政府の支援により大規模な国外反政府組織へと発展した。 民兵組織バドル軍団を保有している。2007年5月12日に党名から「革命」を削除し,イラク・イスラム最高評議会 Supreme Islamic Iraqi Council:SIIC」に改称。党首のハキム師によると改称の理由は「もはや革命を模索する必要はない」。 |
UNMOVIC | United Nations Monitoring, Verification and Inspection Commission:国連監視検証査察委員会。湾岸戦争後,大量破壊兵器等の廃棄のためにイラクにおいて査察等を行なってきたUNSCOM*に代わって,監視や検証をより強化するために国連安保理決議1284(1999年12月17日採択)にもとづき設置された。 2000年3月1日にハンス・ブリックス前IAEA事務局長が委員長に就任し,組織化が進められたが,イラクと国連の間で査察受け入れに関する合意は得られず,査察活動は行なわれなかった。 2002年11月8日にイラクの大量破壊兵器の査察に関する安保理決議1441が採択され,11月13日にイラクが査察の受け入れを表明したことにより,UNMOVICとIAEAがイラク全土において査察活動を開始した。2004年3月19日に米英のイラク攻撃が開始されたため,査察活動は停止された。[un.org/Depts/unmovic,mofa.go.jp(外務省)] |
UNSCOM | United Nations Special Commission on Iraq:国連大量破壊兵器廃棄特別委員会。1991年の湾岸戦争の停戦条件を定めた国連安保理決議687(1991年4月3日)にもとづいて,イラクにある化学兵器等の大量破壊兵器及びミサイルの脅威を除去することを目的として1991年5月1日に設置。 IAEAとともにイラクの軍事施設に事前通告なしに立ち入り検査を実施する権利を与えられた。[mofa.go.jp(外務省)] |
WMD | Weapons of Mass Destruction:大量破壊兵器。核兵器,生物兵器,化学兵器の3種類の兵器を集合的に指す。核兵器は核爆発を利用した兵器だけでなく,放射性核物質を散布する放射線兵器,いわゆる「汚い爆弾Dirty
Bomb」を含む。 いずれも使用時に人間を大量かつ無差別に殺戮する兵器であるだけでなく,自然環境や次世代にも深刻な影響を与える兵器である。 |
アルアクサ殉教者団 | Al Aqsa Martyrs Brigades。PLO*主流派ファタハ*の軍事部門(メディアによって,Brigadesの訳を軍団,旅団,部隊など)。 2000年9月にシャロン・リクード党首(現首相)がエルサレムのイスラム教聖地を強行訪問したことをきっかけに起こったパレスチナ騒乱(第2次インティファーダの始まり,93年3月のオスロ合意崩壊)後に結成された。アルアクサは騒乱の発端になったモスク名。 |
アルアラビーヤ | アラブ首長国連邦(UAE)の衛星テレビ局。サウジアラビア,ヨルダン,UAEなどの資本が出資し,アルジャジーラ*に対抗する24時間ニュース専門放送局として2003年3月開局。 開局直後は比較的穏健な論調であったが,米国政府からの非難や米兵の銃撃による同局記者の死亡事件,イラク暫定政権からイラク支局の閉鎖などの措置を受けて反米・反西欧傾向が強めてきている。 他方で,反体制勢力からは米国寄り放送局とみなされ攻撃を受けたこともある。[alarabiya.net,arabiago.netなど] |
アルカイダ | al-Qaida,オサマ・ビン・ラーデン氏*がソ連のアフガニスタン侵攻に対する闘争のために設立。当初は反ソ闘争資金集めのための基金であったが,ビン・ラーデン氏が反米に転じてからはイスラム原理主義の反米闘争の国際的ネットワーク組織に成長。 1998年8月のタンザニア,ケニアの米大使館爆破(計257人死亡),200年10月のイエメンの港に寄港していた米駆逐艦へのボートによる自爆テロ攻撃(17人死亡)などの事件に関与したとされている。[state.gov(米国務省),meij.or.jp(中東調査会)など] |
アルジャジーラ | カタールの衛星テレビ局。1996年11月開局。2001年のアメリカのアフガニスタン攻撃の際に オサマ・ビン・ラーデン氏*のメッセージの独占放映や戦闘の実況中継などで世界的な注目を集めた。[aljazeera.netなど] |
アルフッラ | アルジャジーラ*やアルアラビーヤ*に対抗するため,アメリカ政府が出資して2004年2月に開局。米バージニア州の放送局と中東支局から衛星を使って放送。 アラブ世界では米国のプロパガンダ放送局とみなされ,視聴率も低迷している。[arabiago.comなど] |
イスラム宗教者委員会 | イラク・ムスリム・ウラマー協会。イラクのスンニ派(スンナ派)宗教指導者の連合体で,イラク戦争後のイラクにおけるスンニ派の事実上の最高権威機関。2004年4月の日本人人質事件で人質解放に尽力。 メディアによって,イスラム宗教者委員会,イスラム聖職者協会,Association of Muslim Scholarsなど。ウラマーの適切な訳語がなく,定訳はない。[wikipedia.org] |
イラク・アルカイダ機構 | ザルカウィ氏*が率いるとされる武装組織。イラク戦争後,イラク国内での爆弾攻撃や外国人人質・殺害事件のいくつかについて実行声明を発表している「タウヒード・ワ・ジハード(統一と聖戦)」が,アルカイダ*との連携を深めて2004年10月下旬に名称変更した組織。メディアによって「イラクの聖戦アルカイダ組織」。 |
イラクの子孫(Sons of Iraq) | イラク・スンニ派系住民の自警組織,詳しくは「サフワ」の項目を参照してください。 |
イラク民主会議 | フセイン政権崩壊後に生まれた少数政党や宗教団体、非政府組織(NGO)など192団体で構成。メンバーは1500人程度。[asahi DNA] |
イラク復興信託基金 | 第3回拠出国会議(東京)で,イラク暫定政府が(1)05年から3年間の歳入を石油収入や国際支援を合わせて880億ドルにする,(2)今後3年間を移行期間として,国家統制で弱かった民間の力を強化し,貿易の自由化や積極的な海外投資を目指す,(3)雇用を創出して差別をなくし非政府組織(NGO)などの市民社会を育成する社会開発プログラムを進める,などを柱とする復興戦略を発表。 |
覚醒評議会(Awakening Council) | イラク・スンニ派系住民の自警組織,詳しくは「サフワ」の項目を参照してください。 |
近隣警備隊(Neighborhood Patrol) | イラク・スンニ派系住民の自警組織,詳しくは「サフワ」の項目を参照してください。 |
サフワ | イラク・スンニ派系住民の自警組織,イラクの子孫:Sons of Iraq,覚醒評議会:Awakening Council,近隣警備隊:Neighborhood
Patrolなどとも呼ばれる。 イラク駐留米軍が,反米・反イラク政府,親アルカイダ勢力であったスンニ派系住民と武装勢力に対して,1人あたり月300ドルの手当と武器を与えて自警組織を作り上げ懐柔したことによって,彼らを親米・親イラク政府へと「転向」させた。 自警組織の構築は,アルカイダ系武装勢力とスンニ派系武装勢力の力が強く,事実上彼らの支配下にあったイラク西部アンバル州から2006年末までに始められ,その後,イラク全土で10万人規模に拡大された。彼らは,かつては反米・反イラク政府勢力として占領軍や政府治安部隊に対して攻撃を繰り返し,アルカイダ勢力を支援していたのであるが,米軍からドルと武器を与えられたことにより,アルカイダ系武装勢力の掃討のために米軍と政府軍に積極的に協力するようになった。このことが,2007年秋以降のイラクの治安状況の劇的な改善(外国軍への攻撃事件,民間人死者数の激減)の最大の要因の1つとなった。 なお,この自警組織はイラク多国籍軍のペトレイアス司令官の発案といわれており,彼が米中央軍司令官に就任後,アフガニスタンにおいても同様の自警組織の創設が企図されている。[延近「イラク情勢の‘改善’をどう見るか?」] |
統一イラク同盟(UIA) | United Iraq Alliance。2005年1月実施予定の移行国民議会選挙のために,SCIRI*,アッダワ党,INC*などシーア派を中心としスンニ派の一部や少数派を含む有力22政党・グループが2004年12月9日に結成を発表。シスターニ師*が支援。代表はSCIRIのハキム師*。 |
バース党 | バース(バアス)はアラビア語で「復興」,「再生」を意味。1940年代初期のシリアのアラブ民族主義運動の組織を母体として1947年に党として正式に発足,53年アラブ社会党と合併してアラブ復興社会党となる。 その後,党組織はイラク,ヨルダン,レバノン,スーダン,南イエメンなどに拡大。反資本主義,反帝国主義,反シオニズムをスローガンとし,アラブの統一・外国支配からの自由・社会主義の三大原則にもとづく単一アラブ国家の樹立を主張する。 イラクでは,63年に軍事クーデタで政権に参加したが短期間で排除される。68年に軍事クーデターによりバクル書記長が大統領に就任。 79年,サダム・フセイン副大統領がバクルを引退に追い込み大統領となるとともに,イラクの最高意思決定機関であるバース党イラク地域指導部(RC)および革命指導評議会(RCC)合同会議議長に就任。 イラク戦争の結果,バース党員は公職から追放された。[平凡社世界大百科事典,meij.or.jp(中東調査会)など] |
ハマス | Hamas。1987年12月9日に始まったインティファーダ(反イスラエル抵抗闘争)をきっかけに,エジプトのムスリム同胞団のパレスチナ支部の発展的組織として結成され,イスラエル占領地域(ガザ地区,ヨルダン川西岸地区)での武装闘争を開始。 武装闘争と並行して低所得層に焦点を当てた社会福祉・教育文化活動で支持を広げ,PLO*主流派ファタハ*(故アラファト議長の支持母体)の最大の政治的ライバルとなる。 創設メンバーで精神的指導者だったヤシン師は2004年3月にイスラエル軍によって暗殺され,後継者のランティシ氏も同年4月にイスラエル軍に暗殺された。 |
ファタハ | Fatah。正式名はパレスチナ民族解放運動。後にPLO議長になるヤセル・アラファトが第2次中東戦争後の1950年代後半にクウェートで結成。イスラエルに対する武装闘争によって多くのパレスチナ人の支持を獲得し,1969年にアラファトがPLO議長に就任してPLOの主流派となる。 |
マフディ軍団 | イスラム教シーア派のムクタダ・サドル師*の民兵組織(メディアによって,マフディ軍,マハディ軍)。 2003年7月CPAが統治評議会メンバーを任命した直後に,サドル師の呼びかけによって結成された。 |
ムジャヒディン評議会 | Mujahideen Council。2006年1月にイラク・アルカイダ機構と5つの武装グループによって新たに形成された組織とされる。06年1月16日にタージ北方(ミシャダ村)で米軍ヘリAH-64アパッチを撃墜(米兵2人が死亡)したとの声明を発表したのが,メディアに登場した最初である。 |
語句 | 説明:[ ]は出典。出典のないものはウェブ上や信頼できる諸資料に基づく。*は別項に説明あり |
アシュラ | イスラム教シーア派の祭日(2月19日)。イスラム教開祖の予言者ムハマドの孫,イマーム・フセインの命日でシーア派信徒にとって1年でもっとも聖なる日とされる。[ap.org,reuters.com] |
ラマダン | イスラム暦の第9月で断食月。1ヵ月間,日の出前から日没まで飲食・性行為を断つほか,虚言・悪口・怒りを避ける。[広辞苑] |