[イラク情勢メモ]:改善の兆しを見せないイラクの治安状況をどう見るか?
米英軍によるイラク攻撃の開始,フセイン政権の崩壊,ブッシュ大統領の大規模戦闘終結宣言から3年を経た現在,新憲法にもとづく正式政府が成立したが,イラク国内の治安は依然として改善されず,毎日多数発生する「暴力:Violence」事件によって,軍人・軍関係者はもちろん,民間人にも多数の死傷者が出る状況が続いている。イラク戦争における犠牲者のページのいくつかのグラフが示すように,死者数は開戦の2003年より現在に至るまで,むしろ増加傾向にさえある。
イラク戦争開戦以来,記録し続けてきた「イラク戦争」関連年表をもとに,このことについて考えてみよう。
[ I ] 「暴力」事件の分類
イラク国内の「暴力」事件は,標的の違いから大きく2種類に分けられる。
(1)米英軍など占領軍やイラク軍・警察・内務省治安部隊など軍隊または准軍隊という軍事目標に対する攻撃
(2)民間人を標的とするもの
(1)の占領軍への攻撃は,2004年まではマフディ軍団などによるものが中心であったが,それ以降,現在にいたるまで,実行声明の内容などから,旧体制勢力やアルカイダ系組織などが主導する反占領武装勢力によるものと考えられる。イラク軍や治安部隊への攻撃も外国占領軍への協力者として,しかも米英軍などよりも装備も訓練度も劣るために攻撃容易な対象として標的とされる例が多発している。
攻撃実行者・組織にとっては,直接的には2003年3月に始まった米英軍の武力攻撃と占領に対する反抗・抵抗であって,まさに「イラク戦争」の継続と捉えられるものであろう。より広い文脈で捉えるならば,アルカイダ系組織の諸声明に見られるように,「イラク戦争」を欧米によるイスラム諸国・諸勢力への攻撃の一環と捉え,イラクにおける米英軍への攻撃は反イスラム勢力に対する聖戦・抵抗戦争の焦点と位置づけられるのであろう。この文脈からは,「イラク戦争」はアフガニスタンや南アジア・東南アジアにおけるイスラム勢力による反イスラム勢力攻撃と連関するものとなる。
なお,2005年秋ごろから米軍に対するIED*攻撃などの技術が高度化し破壊力も増大している。米国はイラク政府がシーア派主体となって(シーア派が多数を占める)イランの影響力が強まることを警戒しつつ,イランが反米武装勢力に爆弾材料や技術を提供しているとして非難している。
例えば,2005年11月3日に,イラク多国籍軍報道官のリンチ米陸軍少将が米軍に対する武装勢力の攻撃について,道路脇に仕掛けられた手製爆弾(IED)の起爆装置に赤外線センサーを利用するなど高性能・高機能化しており,こうした技術がイランから移入されている疑いがあると述べている。
他方で,米軍やイラク治安部隊に対する攻撃の主体は,旧政権時代に権力を持っていたスンニ派の武装勢力やザルカウィ・グループなど外国からイラクに侵入したスンニ派テロリストだとしている。イランがシーア派主体のイラク政府に影響力を強めようとしているのだとしたら,そのイランが反政府のスンニ派武装勢力に爆弾や技術を提供するのは矛盾しているように思われるのだが・・・。
*IEDについては【イラク戦争関連用語集】の「IED」の項を参照していただきたい。
(2)民間人を標的とするものは,さらに動機や実行者の違いからいくつかに分類することができるし,分類して考える必要がある。
(a)広義の軍関係者に対する攻撃
米英軍・イラク軍の契約業者や物資納入業者,イラク軍や警官の募集所などに対する攻撃
これらは,実行声明の内容,あるいは死体に「占領軍への協力者」とか「米軍の手先」と書かれた紙片が付された例が数多く見られるように,占領軍と一体化したものとみなして攻撃対象とし,占領軍への協力を拒否するようアナウンスする効果もねらったものと考えられる。
実行者・組織にとっては,これらの攻撃は「イラク戦争」の一環という認識であろう。
また,イラク兵や警官の家族・関係者が攻撃対象とされた場合があるが,これも上記と同様の効果をねらった広義の軍関係者への攻撃という性格をもっている。
(b)シーア派民兵を中心とした内務省の「死の部隊:Death Squads」などによるスンニ派への攻撃
フセイン体制下で弾圧されていたシーア派が,旧体制の幹部や旧バース党員,旧軍幹部,それらの協力者とみなされたスンニ派を対象として,報復的に拉致・拷問・非合法的な「処刑」を行なっていると考えられる事件である。バグダッドやスンニ派居住地域で拷問の痕跡のある射殺体や縛られ目隠しをされた射殺体が多数発見されているが,これらの多くは警官や内務省特殊部隊などに姿を変えたシーア派民兵が実行したものと考えられている。
(c)宗派間や政治勢力間対立に起因する事件
シーア派・スンニ派聖廟やモスクに対する爆破・攻撃事件,それをきっかけとした報復攻撃事件などが頻発している。これらは言うまでもなく,イラク戦争によって宗派間対立や政治勢力間の勢力争いが刺激・助長されたことによるものである。
この種の対立・攻撃と報復の連鎖が激化していけば,イラクはまさに内戦状態に陥ってしまうだろう。そうなれば米軍など外国軍が治安回復のために活動することは事実上不可能となる。1つの勢力の攻撃を阻止しようとすれば,それはその敵対する勢力に加担することを意味してしまい,外国軍自身が紛争当事者となってしまうからである。
これは,もし米国がイラク復興において国連の役割をより尊重するようになり,米軍が国連平和維持軍に替わったとしても同じことである。1993年のソマリア内戦に対する国連平和維持(強制)活動の失敗が典型的な事例である。
(d)宗教的理由による民間人攻撃事件
一般商店や学校・教員などへの銃撃や爆弾事件も多発している。これらは,たとえば理髪店がイスラム教の教えに反する髪型やひげそりを行なっているとして攻撃対象となったり,CDショップで外国の退廃的音楽が販売されているとして攻撃対象とされた例があるように,イスラム教の厳格な(偏った?)解釈にもとづく宗教的理由にもとづくものなのかもしれない。
学校への攻撃も,アフガニスタンでいくつか例があるように,教育を通じて欧米流の文化が浸透することを妨げ,また女性の教育を否定する宗教的立場が理由である可能性がある。
(e)石油施設,電力施設などへの攻撃事件
石油精製施設やパイプラインへの攻撃,電力施設への攻撃によって,石油輸出が阻害され,国民生活も困難な状況が続いている。目的は,武装勢力が占領軍およびその協力者と位置づけている政府の主導による復興を妨げて民衆の不満を強め,反占領・反政府的立場を助長することにあると考えられている。
(3)誤射・誤爆,標的不明
IEDや自動車爆弾などの爆発物事件で民間人のみが犠牲となったものも多いが,米英軍やイラク治安部隊を標的とした攻撃がはずれた例はかなり多い。米英軍やイラク治安部隊による誤射・誤爆・過剰防衛による民間人死傷者が少なくないことを考えると,標的不明の爆弾事件や銃撃事件でも誤射・誤爆によるものも多い可能性は否定できない。
[ II ] 「テロ」と「反テロ」という単純な2分法はこの戦争の本質を見誤る
イラク情勢の現状や今後を考えるためには,以上のように分類して把握する必要があるだろう。(なお,上記の分類は「年表」記載の事実やその出典の資料にもとづく分類であって,何らかの価値判断をともなうものではない。念のため。)
(1) メディアの報道スタンス
APやロイターなどのメディアが「暴力」事件を報道する際には,標的,動機,実行者を考慮した記事となっている。もちろんそれらが明確な場合に限ってではあるが。
一方,日本の3大新聞社(朝日,毎日,読売)のウェブサイトでは,いずれもイラク特集のページを掲載しているが,ほとんどの記事では,意識的なのか無意識なのかわからないが,上記のような分類をせずにほぼ一律に「テロ」という表現を使っている。
これらの新聞社はイラクの治安情勢悪化にともなって05年秋以降イラクに社員の特派員を置いていないため,APやロイターなどの外国通信社の配信を基礎とした報道,あるいは周辺国の特派員が現地の報道や「助手」として雇った現地のイラク人からの情報などを元にして記事を書いていると思われる。
「テロ」の内容と「テロ」を行なう動機や実行者のいかんを問わずに「テロ」と一括すれば,そして「テロ=犯罪」という認識が一般的であろうから,「テロ」=悪,悪に対して立ち向かう勢力=善,という図式とならざるをえない。
これは,自分に敵対する勢力や国家を「テロリスト」や「テロリスト支援国家」と一括し,グローバルな対テロ戦争を提唱するブッシュ大統領およびネオコンらの主張に他ならない。
読売新聞社ウェブサイトのイラク特集では,掲載記事の本数のうち「テロ」事件関係の記事は,5月が47本中9本,4月が45本中9本,3月が57本中9本,2月が35本中7本,1月が36本中8本である。5月の「テロ」事件以外の記事の見出しを追うと,正式政府成立,各国の支援,米英軍を含む各国軍の規模縮小など,例外的な「テロ」事件はあっても全体としてイラク情勢は安定化しつつあると印象を与えるような編集となっている。
これに対して朝日新聞社のウェブサイトはイラク情勢の今後を楽観視しないスタンスで編集されているように思われる。このスタンス自体は正当な認識にもとづくと考えられるが,ただ上述の分類との関係で気になるのは,「テロの無差別化がますます進行している」という表現を使っている5月24日付の記事である。
カイロの「吉岡一」名による記事であるが,上述したような標的・動機等の考慮もなく「無差別化」と断定し,さらに,それが「ますます進行している」として,いかにも読者に「イラクでは無差別なテロが増加している」と印象づけるような書き方である。記事を書いた記者はそのように断定できる根拠をもっているのだろうか?説得力のある根拠を示してもらいたいものである。
また同じ記事の後半では,カリルザード駐イラク米大使が「アンバル州の一部がテロリストと武装勢力の制圧下にある」と認めた事実を書いた上で,「スンニ派住民が多い同州では,米軍が多大な犠牲を払って掃討作戦を続け,いったんは武装勢力の弱体化に成功していた。しかし最近,再び武装勢力が攻勢を強めているという」と解説している。
(2) 報道の背後にある事実を読み取る
しかし,いったい「武装勢力の弱体化に成功していた」と断定する根拠はあるのだろうか?それとも米軍や国防総省の発表を鵜呑みにしただけなのか?
米軍が2004年以降,アンバル州の各地で数多くの武装勢力掃討作戦を行なってきたのは事実である。アンバル州東部ラマディ・ファルージャ地域,北部ハディサ周辺地域,シリア国境近くのカイム周辺地域で武装勢力掃討作戦が何回も繰り返されてきた。
これら地域で掃討作戦を実施し,武装勢力X人殺害,Y人拘束,武器集積所Zカ所を発見し大量の武器・爆弾等を押収など,米軍は「戦果」の報告とともに作戦終了を発表する。それから長くても数カ月以内にほぼ同じ地域で掃討作戦を実施する,というパターンが繰り返されてきたのである。
もちろん,作戦の実施の都度,米軍が発表しただけでも決して少なくない(地元の病院や住民の証言ではそれをはるかに上回る)数のイラク民間人の犠牲と,イラク兵や海兵隊員を中心とする多数の若い米兵の犠牲をともないながら・・・。
このことは「弱体化に成功」したことを示すのではなく,むしろ「弱体化」できないからこそ,何度も大規模な掃討作戦を繰り返し実行しなければならなかったと理解すべきことであろう。
同様のことは,アンバル州の北隣のニナワ州タルアファルについても言えそうである。この地域は武装勢力が事実上支配していたが,2005年9月に米軍・イラク軍合同の大規模な武装勢力掃討作戦が実施され,武装勢力,米軍・イラク軍,民間人に多数の犠牲者を出したのち,9月22日,米軍はタルアファル制圧を宣言した。
10月には憲法案についての国民投票が実施され,11月のジョン・マーサ米民主党下院議員の米軍撤退要求に象徴されるように,この頃,米国内でイラク情勢の安定化への期待から米軍の早期撤退を求める声が強まる。
ブッシュ大統領は,タルアファルを武装勢力制圧の成功例として(誇らしげに)言及しながら,当面は米軍が中心となって武装勢力を制圧し,これと並行してイラク治安部隊の訓練と増強を進めることによって米軍のイラクからの撤退が可能になるとの考えを繰り返し表明した。
しかし,タルアファルでは11月に早くも米軍戦車へのIED攻撃によって米兵1人が死亡する事件が発生,06年1月にはIED設置中の武装勢力を米軍が発見し空爆,その後もIED攻撃によってイラク兵と民間人に死傷者が出る事件が2件など,武装勢力の攻撃が再び活発化しはじめる。
3月以降は米兵に死傷者が出るIED攻撃や民間人にも犠牲者が出る自動車爆弾事件が再発するようになり,5月には警察署へのIED攻撃で警官・民間人24人死亡,35人負傷,武装勢力と米軍・イラク治安部隊の戦闘やイラク治安部隊によって多数の武装勢力容疑者の逮捕が行なわれている。
米軍の掃討作戦によって武装勢力の制圧が宣言されてからわずか6カ月ほどで,タルアファルは武装勢力と米・イラク軍の戦闘が再燃する地域となったのである。
(3) “テロとの戦い”を軍事力だけで勝利することはできない
ある地域に米軍がイラク軍とともに地上部隊だけでなく空爆を含む圧倒的に優勢な軍事力を投入して武装勢力を制圧したかに見えても,武装勢力は周辺地域や国境外に一時逃れるか民間人の中に潜伏し,米軍の兵力が手薄になった頃に舞い戻って攻撃を再開するという(ベトナム戦争の際に南ベトナム解放民族戦線がとった戦術のように)ゲリラ戦術の典型的なパターンが繰り返されていると言えるだろう。
こうした武装勢力掃討作戦には民間人の犠牲者が必然的にともない,また米軍兵士による誤射・誤爆・過剰防衛(あるいは意図的な発砲?)などによって民間人に多数の死傷者が発生し続けていることを考えると,そして,これらが犠牲者の関係者に対して外国占領軍への怒りや反発の感情を生むとすれば,武装勢力はただ舞い戻るだけでなく多数の新たな戦士をともなって攻撃を再開しているのかもしれない。
06年6月7日にイラク・アルカイダ機構リーダーのザルカウィ氏が米軍F-16戦闘機の空爆によって死亡したが,ブッシュ大統領やラムズフェルド国防長官も認めざるをえないように,またマリキ首相が認識しているように,これによって「暴力」事件が激減しイラク国内の治安状況が顕著に改善されるとは考えられない。
06年5月に,ジョン・マーサ下院議員は05年11月のハディサにおける海兵隊員の民間人殺害事件に関するインタビューで,「この戦争は軍事的に勝利することはできない」と語ったと報道されている。彼が元海兵隊員でベトナム戦争従軍経験を持つことを考えると,この言葉の意味するところは重い。
米・英軍という最新技術の兵器を装備し質・量ともに圧倒的な軍事力に対して,抵抗する側が取りうる戦略と戦術は,民衆の中に身を隠しながらあらゆる手段を駆使してゲリラ戦を行なうことである。
ゲリラ戦を中心とするレジスタンスが多数の民衆の支援と協力を得ながら実行された場合,もともと正規軍同士の戦闘を想定して編成されている軍事力によって「勝つ」ことは不可能である。
たとえ,ある地域をごく短期間に限って「制圧」できたとしても,レジスタンスとその意思,レジスタンスに協力する多くの民衆という構図を完全に破壊できなければ,「戦争は終わらない」からである。
わたしが「イラク戦争」関連年表のトップ・ページの表題を「終わらないイラク戦争」としたのは,実はこのような認識を開戦以来持ち続けてきたからである。
(2006.6.10記)
イラク情勢は,2007年秋以降,不安定要因をはらみながらも一時に比べて急速に治安が改善されていった。これと対照的に,アフガニスタン情勢は,現アフガニスタン政府の腐敗の横行と復興の停滞を背景としたタリバン勢力の巻き返しにともなって,2005年以降,加速度的に悪化している。さらに,アメリカがパキスタン北西部アフガニスタン国境付近の部族地域をタリバンやアルカイダ勢力の拠点とみなして,パキスタン政府を支援しながら武装勢力掃討作戦を実行させ,アメリカ自身もCIAの無人偵察機のミサイルによって越境攻撃を行なっている。パキスタン国内でもパキスタン・タリバンによる大規模爆弾テロ事件が頻発するようになって,パキスタン情勢も悪化している。
米軍・NATO軍の軍事行動にともなって住民・非戦闘員の死傷事件が多発し,そのことが犠牲者の親族や関係者の武装勢力への参加を促進し,イラクにおけるのと同様に,外国軍のアフガニスタン駐留およびその軍事行動が反政府・反外国軍武装勢力の勢力をかえって強める結果となっているのである。
私はイラク戦争関連年表を「終わらないイラク戦争」と題したが,その「終わらない」という性格付けの正しさが現実の事態の進行によって裏付けられていると感じている。「終わらないイラク戦争」をより明確に「終わらない対テロ戦争」とすべきではあったが・・・。
2009年8月27日に,アフガニスタン駐留米軍のマックリスタル司令官が,米軍・NATO軍の個別の作戦行動における成功が治安情勢の改善をもたらさず,むしろ反政府・反外国軍武装組織の勢力拡大と攻撃の増大の結果を招いている現状について,米軍・NATO軍が10人の武装グループと戦い2人を殺害したとしても,死者の親族が復讐を望んで武装勢力に参加することによって,「この場合の計算式は10-2=8ではなくて10-2=20(以上)となる」という認識を示している。
米軍が殺害しているのは武装勢力だけではなく多数の非戦闘員・民間人も殺害していることに言及していないことを除いて,この認識自体は正しいが,それにしても米軍のトップ・レベルがこの認識にたどり着くのに,アフガニスタン攻撃開始から8年!,イラク攻撃開始から6年半!とは・・・。
私がイラク戦争について収集した資料と私なりの分析を公表する場として,「終わらないイラク戦争」のサイトを開設したのは2004年9月であった。(2009年8月28日追記)
イラク戦争にかんするわたしの分析視角や上で取り上げたイラク情勢の具体的事実などについて,より詳しくは共同研究「イラク戦争を考える」のページをご覧ください。
このイラク情勢メモおよび共同研究「イラク戦争を考える」の著作権は慶應義塾大学 経済学部 延近 充が所有します。無断で複製または転載することを禁じます。
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