“対テロ戦争”は何をもたらしたのか
慶應義塾大学経済学部 延近 充
はじめに−トランプ政権の対テロ政策の誤謬
2017年1月20日にドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ大統領に就任した。トランプ大統領は就任から1週間後の1月27日に,対テロ政策としてシリア難民の受け入れを無期限停止,シリア以外からの難民の120日間受け入れ停止,中東・アフリカ7カ国からの入国ビザ発給の90日間停止などを内容とする大統領令に署名した。
この大統領令に対して各州の司法長官や民主党からの批判,市民からの抗議行動が行なわれたが,ロイターの世論調査(30〜31日実施)では大統領令に賛成が49%,反対が41%と賛否が拮抗しつつも,賛成が上回っている。また,この大統領令の実施によって,アメリカは「より安全になる」という回答が31%,「安全でなくなる」が26%,トランプ大統領の対テロ政策の成否については懐疑的な者が多数となっている。
トランプ政権は,トランプ大統領就任直後に「アメリカ第一主義の外交政策」を発表し,ISISとその他のイスラム過激主義テロリスト集団の打倒を最優先課題として挙げ,必要であれば攻撃的な軍事作戦も辞さないとしているが,この大統領令はISの打倒という最優先課題に反する影響をもたらす可能性が強いと考えられる。
その理由は,
(1) トランプ大統領は,宗教・民族差別という国内外からの批判に対して,この大統領令はイスラム教徒を対象としたものではなく,イスラム過激主義の「テロリスト」のアメリカへの入国を阻止することを目的としていると主張している。
しかし,イスラム教徒が多数を占める7カ国からの国民を無差別に入国拒否することは,イスラム教徒にとっては宗教差別以外の何物でもなく,アメリカがイスラム教に対して敵対的姿勢をとったと受け取られても仕方のない政策である。
これはイスラム教徒の反米感情を高めることになるであろうし,イスラム過激主義者の反米行動へのシンパシーを醸成することになるだろう。トランプ政権の思惑とは逆に,この政策はイスラム過激主義勢力を強化・拡大する危険性が高いのである。
実際,アフガニスタンのIS最高指導者は,アメリカ大統領選挙でのトランプ候補の勝利の直後に「彼のイスラム教徒に対する嫌悪は我々が多数の戦闘員をこの国で勧誘することをより容易にする」との声明を発表している。
また,イランのザリフ外相は1月29日に,この大統領令は「過激派とその支持者たちへの偉大な贈り物として歴史に記録されるだろう」,「集団的な差別はテロリストの勧誘活動を支援するものだ。深まる断絶は支援者らを増やそうとする過激派の扇動家らに悪用されるだろう」と批判している。
(2) この大統領令は「外国テロリストの入国からの合衆国の保護」という題名であるが,最近欧米諸国で発生した「テロ」事件は,これら7カ国から入国した「テロリスト」によるものではなく,「ホーム・グロウン」といわれる自国内で生まれ成長した若者がISの過激思想や主張に共感して実行されものである。(入国ビザの発給を停止した7カ国はイラク・イラン・リビア・ソマリア・スーダン・シリア・イエメンで,2001年の9.11同時多発テロの犯人とされる19人のうち15人の出身国サウジアラビアが対象となっていないのも不可解である。)
大統領令はこの事実を無視しており,逆にアメリカ国内に居住しているイスラム教徒への差別を助長する効果をもつであろうから,「ホーム・グロウン」の過激思想への共感を強めること,つまり「テロリスト」を育てることにしかならないだろう。したがって,この大統領令はアメリカを「より危険にする」結果をもたらす可能性が高いだろう。
オバマ前大統領は1月30日に信仰に基づくあらゆる差別を非難する声明を発表し,トランプ大統領の対テロ政策を暗に批判しているが,彼は8年間の大統領在任中の「対テロ戦争」の経験から,このことに気付いたからかもしれない。
トランプ政権の対テロ政策は,アメリカに,そして世界に何をもたらすのか?
この問題を考えるためには,「対テロ戦争」とはどのような性格をもつのか,それは何をもたらしたのかを分析する必要がある。
(トランプ政権の政策については,「対テロ戦争」と関連するトランプ政権の政策関連年表2017年をご覧ください。)
実は,ISを含むイスラム武装組織を対象とする「対テロ戦争」は,軍事力行使を主体とする強硬な手段では決して「終わらない」性格をもっていることに留意しなければ,アメリカだけでなく,世界が「より危険になる」可能性が高いのである。
この問題についての私の見解は下記の論文をお読みください。
“対テロ戦争”は何をもたらしたのか(2017年3月25日)
この論文を基礎として私の対テロ戦争についての見解を大幅に加筆して,拙著『対テロ戦争の政治経済学』(明石書店,2018年3月)にまとめました。ぜひお読みください。
なお,「対テロ戦争」の「終わらない」性格について,上記の論文と著書の理解のための参考文献として,下記の拙著2冊をお読みいただければ幸いです。
『薄氷の帝国 アメリカ― 戦後資本主義世界体制とその危機の構造』(御茶の水書房,2012年2月,本書の構成と序論)
『21世紀のマルクス経済学』(慶應義塾大学出版会,2015年7月,本書の目次)
2017年3月25日記
この「“対テロ戦争”は何をもたらしたのか」の著作権は
慶應義塾大学 経済学部 延近 充が所有します。無断で複製または転載することを禁じます。
Copyright (c) 2017 Mitsuru NOBUCHIKA, Keio University, All rights reserved.