AAC技法を適応する際、個々人がすでに獲得している行動や発達段階に適した導入が必要である。そのためには、個々人の行動を詳細に観察し、やり取りを通して、どのような発達段階にあるか、また、何が当面の課題であるかを見極めていく必要がある。しかし、行動観察から発達段階や課題を見極めるのは容易ではない。特に、複数の障害を併せもつケースでは、なぜそのような行動を行うのか理解するのが困難な場合が少なくない。例えば、以下のような事例が示す行動をどのように理解すればいいのであろうか?
事例1:小さな穴を覗くのが好き。変なくせなの?
ダウン症のB君は変わった趣味があ ります。時計やベルトなどの小さな穴が大好きなのです。先生の時計を取り上げては穴をじっと覗くのです。いったい何が面白いんでしょうか? 子供の気持ちに近づこうと同じ行動をして見たんですが、B君が何を楽しんでいるんだかわかりません。
事例2:何かを見せると嫌な顔をする。見たくないの?
肢体不自由のC子さんは、何かを見せようとすると、決まって顔をしかめてしまいます。嫌いなのかと思って、見せるのをやめると今度は大騒ぎ。とてもわがままです。
事例3:部屋の片隅を好む。はずかしがり屋なの?
知的障害のあるDさんが生活している部屋は南向きで広くてとても明るい素敵なところです。でも、Dさんはいつも部屋の片隅で一人うずくまっているのが好きです。部屋の中で他の仲間が楽しそうに活動していると、うらやましそうにしているのですが、でも、いざ、みんなと一緒に活動しようとすると嫌がってしまいます。もちろん、外に出るのも大嫌い。いったいどうしてなんでしょうか?
事例4:見えているのに見つけられない?
目がいつも揺れている肢体不自由のEくんは、文字の読み書きもでき、よく見えているようです。でも、ときどき、読み飛ばしをしたり、近くにいる先生が発見できなくて泣きべそをかいたりすることがあります。「早とちりで、おっちょこちょい」なんでしょうか?
上記の事例は、いずれも視覚障害が原因となって起こった行動であり、視環境の整備という観点からアプローチした結果、行動の原因が理解でき、より適切なAAC技法を展開できた。これらの事例から、視覚障害を併せもつ重複障害者・児の自己決定・自己選択においては、視機能を正確に把握し、その状態に応じて適切な環境整備を行う必要のあることがわかった。そこで、本マニュアルでは、自己決定を引き出す事前評価として必要な、視機能評価の基本原理やその基礎知識について整理した。
エピソード:最初に、ものを詳しく見ようとするときに眼鏡をはずしてしまうという盲ろうのMさんへのケアの例を紹介する。Mさんは白内障のため水晶体の摘出手術をして(無水晶体眼)いて、+11Dの眼鏡を通常はかけていた。補聴器をしているが言葉でのコミュニケーションはまだ出来ず、触覚的なサインが少しわかるようであった。最初、保護者や担当の先生は「眼鏡をかけないでも見ているようなのでいいのかな?」という方針であった。しかし、Mさんと遊んでいる最中、Mさんはレンズに興味を示してくれ、最終的には+16Dという現在Mさんが使っている眼鏡よりも近くに焦点が合うレンズを離さなくなってしまった。そこで、そのレンズをフレームに取り付け、眼鏡代わりにして遊ぶことにした。そうすると、小さなものを見るときにもその簡易眼鏡をはずさなくなっただけでなく、レンズが落ちてしまったり、汚れてしまうと不機嫌になり、レンズをきれいに拭いて簡易眼鏡にとりつけると、機嫌を直してくれた。ときどき、簡易眼鏡をはずすことはあるが、必要なときには要求するようになってきた。また、かかわっている人にも、彼女が眼鏡を要求するのがわかるようになってきた。
ビジョン・ケア:その人の見え方や必要性に合った眼鏡や弱視レンズ等の道具を選んだり、見る環境を整えたりすることをビジョン・ケアと呼ぶ。これは、よく見える条件づくりだけでなく、楽に、楽しく見る環境づくりを含んだ概念である。自分自身が眼鏡をかけている人は、目や顔に合わない眼鏡の不愉快さを知っているはずである。障害を併せもっている人にとってもその不快さは同じはずである。自分の見え方をよりよくし、遊びをより楽しくしてくれる眼鏡は大歓迎なはずである。しかし、私達が眼鏡を選ぶように、その人たちが眼鏡を選べるようにするためには、障害の特性に合わせた適切な支援が必要である。
福祉や教育の場面では、クライアントやその家族のニーズやシーズに基づき、学習や生活の各場面の課題を分析し、それぞれの課題を遂行するのに視覚がどの程度有効に活用できるかを明らかにし、課題解決の方略(strategy)を組み立て、その方略の適切さを評価しながら訓練やサービスを実施する必要がある。したがって、福祉・教育的な取り組みにおいては、学習や生活の中で遭遇する作業を視覚活用によってどれだけ達成できるか(パフォーマンス;performance)、また、補助具(エイド)や環境を整備することでそのパフォーマンスをどれだけ向上させることができるかを評価しながら、最終的な課題達成を目指していかなければならない。課題分析の手順の一例を表1に示す。
a) 直面している課題を明らかにする。
例)
b) 課題を分析し、阻害要因を絞り込む。 例)
c) なぜ、課題達成が困難なのか、そのメカニズム(仕組み)を明らかにする。 例)
d) 予想したメカニズムが妥当かどうかを検討する。 例)
e) 課題解決の方略を列挙する。 例)
f) 各方略を実現するために、課題を達成可能なスモール・ステップに分ける。 例)
g) 達成が容易な課題から順番に1ステップずつ楽しく出来るようにしていく。1つ1つのステップが達成できたことを喜ぶ。達成できなかったときには、もう一度ステップを作り直す。 h) 課題達成の楽しさを繰り返し実感し、単独でも主体的に継続して課題に取り組めるようことを目指す。 |
上述した手順は、行動理論(レイノルズ, 1978)の考え方を取り入れた課題分析の例である。このような大きな流れの中で、課題解決の方略を決定する際に鍵を握るのが視機能評価である。課題達成そのものを考えれば、どのような方略をとってもよいことになる。つまり、先の例で言えば、調理された素材を使うという方略をとっても構わないし、視覚情報を活用するのをあきらめてアイマスクをして包丁操作練習を行っても構わないのである。もしかすると、いくら配慮をしても視覚的に問題を解決できる可能性は低いかもしれない。しかし、もしかしたら、照明を工夫するだけで、楽に調理ができるようになるかもしれない。このように視覚活用についての期待や諦観に対してより客観的な情報を提供するのが視機能評価の役割である。
医療の分野での視機能検査は、眼疾患を予防・発見したり、治療の方針を立てたり、治療の効果を客観的に把握するのが目的である。視力、視野、色覚、明暗順応、眼球運動、調節、両眼視等の諸検査は、前述の医療的な目的を満たすために実施されているものである。これらの諸検査は、検査の条件や方法が厳密に定められ(標準化された)、結果の解釈に専門知識を必要とする医療検査である。これに対して、教育的な視機能評価とは、子供たちの生きる力を養い、生活を豊かにする上でどのような場面でどれだけ視覚が活用できるかを把握し、その結果に基づいて、より快適で効果的な学習や生活の環境を作ることを第一義として日々の生活の中で実施されるものである。このような目的を達成するためには、医療を目的とした標準的な視機能検査の結果とは別に、日常生活により近い状況や課題で視機能がいかに活用可能かを評価(アセスメント)する必要がある。以下、福祉や教育の分野での視機能評価の主な目的を列挙する。
Mehr&Shindell(1990)は、見えにくさがある人(ロービジョン)のアセスメント(assessment)においては、視機能を標準化された条件と環境を変化させた修正条件の両方で見ていく必要があることを述べている。標準化された条件での視機能とは、一般に眼科検査で用いられているような標準検査(standardized test)で、分類や比較に有用なものである。これに対して修正条件(modified condition)での視機能とは、例えば、異なる照明下で視力を測定するような場合であり、最適な状況を明らかにしたり、個々の状況下でのパフォーマンスを知る際に有用である。すなわち、修正条件での視機能評価とは、環境と視機能の相互作用を定量的に測定するものだと言える。Mehr&Shindellは、弱視児・者の処遇(treatment)においては、この環境を変化させた条件での視機能を測定する必要があることを述べている。なお、弱視の視機能評価の全体像については、Rosenthalら(1996)によるレビューを参考にされたい。
視機能評価は、次の3つの観点から行う必要がある。
以下、福祉・教育的観点からの視機能評価の原理を上記の3つの観点と関連させながら紹介する。
(1) 視力は何を表すのか?
視力(visual acuity)は細かいものを見分けられる能力のことである。つまり、どれだけ小さいものを発見できるか(最小視認閾)、どれだけ狭い間隔まで分離して見ることができるか(最小分離閾)、どれだけ小さな文字や図形を弁別できるか(最小可読閾)、どれだけ細かな直線や輪郭のずれを検知できるか(副尺視力)を示す能力である。福祉・教育的な取り組みと関連させて述べるなら「1mの距離で人がわかる」「ピッコロ人形なら50cm離れていても見つけ出してなめに行く」「大好きなウインナーには手をのばす」というような行動を誰もが了解できるように客観的な言葉で表現したのが「視力」である。つまり、視力とは、本来、「子どもにとって何が情報をとなり得るか」を知るためにある尺度であり、どのくらいの大きさのものがどのくらいの距離でわかるかを示すものである。そして、例えば「指数弁の視力があるのなら30cmで2cmくらいのものがわかるはずね」というように行動を客観的に予測するための手がかりになりうる。
(2) 見る対象の大きさや位置を示す単位=視角(visual angle)
私たちが世界を知ることができるのは、網膜を通してである。網膜にある視細胞が到達してきた光に反応し、その情報が脳に伝達されるという仕組みを使って世界を見ている。つまり、私たちが対象を見るとき、直接、手がかりになるのは、対象から反射もしくは発散された光が網膜に投じた映像のみである。したがって、例えば、私たちが見ている対象の大きさを問題にする場合、対象そのものの物理的なサイズ(外延量)を長さという単位で測定しただけでは意味をなさない。網膜に移っている像の大きさを問題にしなければならないのである。なぜなら、同じ大きさの対象でも眼から対象までの距離(視距離)が変化すれば、網膜に投影される像の大きさが変ってしまうからである(図2)。そこで、見る対象の大きさを網膜における像の大きさで表現する方法が考案されたのである。
ところで、網膜像の大きさそのものを直接測定することは困難である。網膜像の大きさ(視角;θ)は、対象そのもの(視対象)の大きさ(d)と眼から対象までの距離(視距離;D)によって一義的に決まる(図3)。しかし、視対象と視距離を併記する方法では、網膜像の大きさを比較する際に不便である。例えば、「1cmの大きさの視対象を5mの視距離で見たときと5mmの視対象を3mの視距離で見たときの網膜像はどちらが大きいか」という場合、計算が必要になる。そこで、網膜像の大きさを視対象の眼に対する角度(θ)、すなわち、視角(visual angle)で表現する方法が考案された。網膜像の大きさは、視角がわかれば一義的に決まる。また、視角は視対象の大きさと視距離がわかれば、一義的に計算できる。
三角関数を使えば、視対象の大きさと視距離から視角を計算できる。
今、見る対象の大きさをdcm、対象と眼までの距離(視距離)をDcm、視角θ(ラジアン)とする。ここで、レンズの結節点を頂点、対象を底辺とする三角形は二等辺三角形になっている(図4)。頂点から底辺に垂線を降ろすと、2つの直角三角形ができる。この内、一方の直角三角形(下図右側)に着目すると、三角比の公式より、
tan(θ/2)=d/2D
となる。tanの逆関数は、arctanである。すなわち、y=tan(x)のとき、xは、x=arctan(y)で求めることができる。したがって、上式からθを求めると、
θ/2=arctan(d/2D)
θ(ラジアン)=2arctan(d/2D)
となる。ラジアンを角度で表現するには、180/πをかけてやればよい。したがって、
θ(ラジアン)=2arctan(d/2D)
θ(度)=2arctan(d/2D)×(180/π)
となる。
なお、arctanを使わずにθを算出するための近似式を以下に示す。
θ(度)=57.3(d/D)
θ(分)=(57.3×60)(d/D)=3438(d/D)
θ(秒)=(57.3×3600)(d/D)=206265(d/D)
計算方法の詳細は、さておいて、重要なのは、視角が網膜像の大きさを記述するための単位だという点である。
(3) 視角と視力(visual acuity)の関係とMAR
視力とは、視覚系が識別できる最小の大きさを視角で表現したものである(MAR;Minimum Angle of Resolution)。ここで問題とされているのは、言うまでもなく、網膜での大きさ、すなわち、視角である。より小さな視角、すなわち、網膜に映っている映像が細かくても見分けることが可能という場合、その眼は高い分解能(resolution)をもっていると言える。これに対して、網膜像を大きくしなければ見分けられない場合、その眼の分解能は低いということになる。視力というとすぐにC型のランドルト環を思い浮かべる場合が多いと思う。しかし、視力の本来的な意味は、これまで述べてきたようにどれだけ細かな識別ができるかを視角で記述することでなのである。最近では、視力の本来的な意味を明確にするために、視力を表現する方法としてMARやMARを(常用)対数で示したlogMARが用いられることが多くなってきた。
(4) ランドルト環(Landolt ring)視力の意味
視力という場合、最も多く知られているのはランドルト環を使った視力検査であろう。このランドルト環視力は、1909年の国際眼科学会において定められた視力の表現方法である。ランドルト環は、太さが外径の1/5、切れ目の幅が同じく外径の1/5のリングである。ランドルト環視力では、特定の距離(通常は5m)からこの視標を観察し、切れ目の方向がようやくわかるときの切れ目の幅の視角(最小分離閾;minimum separable)を指標に用いている。眼の分解能が低いほど、切れ目の幅が大きくなければ、認めることができない。つまり、最小分離閾の値が小さい程、分解能が高いことを示し、最小分離閾の値が大きい程、分解能が低いことを示す。そこで、最小分離閾(分)の逆数をもって視力と定義されている(逆数にすると値が大きいほど、分解能が高いことを意味するようになり、理解しやすくなる)。最小分離閾をθ(分)とすると、そのときの視力Vは、
V=1/θ(分)
で示される。例えば、1分の大きさの切れ目の方向を見分けることが可能であった場合に視力が1.0になり、2分の大きさの切れ目でないとわからない場合には視力は0.5ということになる。
(5) 視力検査の課題
視力は視覚系の分解能であるが、どのような課題で測定するかによって値が異なるので注意が必要である。視力検査に用いられる課題を分類すると以下の4種類になる(図5)。
(6) 視力の表記方法
日本では、視力の表記は、0.1、0.2のように小数(小数視力)で示される場合が多い。しかし、欧米では、スネレン(Snellen)によって考案された分数の表記形式(スネレン分数視力;Snellen acuity fraction)をとる場合もある。例えば、20/100という表記の仕方である。この分数視力の分子は検査距離を示す。分母は弁別すべき部分が視角1分となる距離である。20/100の場合「100feet(約30m)の距離で視角1分となる視標(スネレンの文字視標の場合、線の太さが約9mm、文字の大きさが約45mmのサイズ)を20feet(約6m)の距離で弁別できた」ことを示す。小数視力に換算するときには、単純に分子を分母で割って小数に直せばよい。この例の場合、0.2になる。
最近では、国際的にlogMARが視力の単位として使い初められている。小田ら(1998)は、logMARを次のように説明している。「logMARは、国際的に使用され始めた視力の単位。最小分離閾の視角を常用対数にしたもので、ログマーと発音する。つまり、小数視力1.0では、視角1分が最小分離閾になるので、log101で、logMARは0になる。換算式は、log10(1/視力)である。小数視力0.1では、1.0logMAR、同0.01で2.0logMARと、小数視力で1/10になるごとに、logMARでは、1ずつ増えていく。数が多い方が、ロービジョンが重篤になる。」なお、logMARは、視力そのものの対数をとる「対数視力」とは異なるので注意されたい。
(7) 眼科で実施される視力検査−標準視力検査−
視力は検査器具、検査室の環境条件、検査距離、検査手順等の影響を受ける。例えば、視標を印刷したインクと検査表の紙とのコントラスト、視標を照らす照明や室内照明の明るさ等の影響を受ける。そのため、誰がどこで実施しても同じように信頼のおけるデータが得られるように、検査方法の詳細が決められている(湖崎, 1978)。このように標準検査は、厳密な条件下で決められた方法に従って実施しなければならないのである。医療データとしての視力はこの標準視力検査に準じている。標準視力検査は器具の管理や検査方法等を厳密に行う必要もあるし、データの解釈にも専門知識が必要であるため、医療機関で検査を受診するべきである。ランドルト環を使って測定すれば、それが視力というわけではないので、注意が必要である。
(8) 最大視認力や最小可読視標の意味と誤解
最大視認力は、通常、30cmの視距離で測定する近距離視力表を用い、視距離を自由にしたときにどれだけ小さな視標が識別できるかを測定するものである。視認できた最小の視標(最小可読視標;Maxと呼ばれるている)とそのときの視距離を記録するという教育的な評価方法の一つである。以下、最大視認力の意味と注意すべき点を示す。
<意味>
網膜像の大きさが等しければ、視距離が異なっても視覚系には同じ意味をもつはずである。視距離によって視力が変化する場合、最も考えられるのは、屈折異常である。
視対象に眼を近づけていった場合、近点限界まではピントの合った像がだんだんに大きくなっていく。しかし、近点限界よりも近づいてしまうと、網膜像は大きくなるが、ピントが合わなくなり、ぼやけた像が提供されるようになる。
低視力の場合、いくらピントが適切でクリアな網膜像が得られていても眼の解像度が低ければ、切れ目の方向を識別することはできない。そこで、網膜像を大きくするために視対象に近づくことになる。ところが、近点限界を越えて近づくと、確かに網膜像は大きくなるが、ぼやけ方も大きくなっていく。網膜像を拡大するか、ぼやけを少なくするかのジレンマの状態となる。この2つの拮抗する選択に折り合い(トレード・オフ)をつける点が最大視認力だと考えられる。
<注意すべき点>
(9) リハビリテーションにおける視力の意義
私たちが日常の生活や教育活動において必要な情報は、どれくらい細かいものが見分けられるかである。眼科検査の結果として示された視力が教育活動にどのように応用できるかを知りたいのである。つまり、視力0.04の子供を担当している場合を想定した場合、「算数の学習で100円玉を並べて数を数えされたいが、どのくらいの視距離ならわかるか?」「オルガンに使用禁止のマークをつけたいが、どのくらいの大きさにすればよいか?」というような具体的な問題を解くための手がかりを得たいのである。また、通常の視力検査はできない重複障害の人が、「2mほど前に置いてあったサッカーボールを取りにいった」という場合、この子の視力はどの程度なのかを知りたいのである。表2にこのような問題を解くための手がかりを示した。
(注意)視対象の大きさと視認距離は同じ単位でなければならない。 |
(1) 視野とは?
視力は私たちの見える範囲の中で最も見分ける力(感度)の高い部分の分解能(解像度)を示すものであり、通常は網膜の中で最も感度の高い中心窩の感度を示すものと考えられる。視力が最も感度の高い1点の機能を示すのに対して、視野(visual field)とは視覚の感度の分布である。見える範囲全体に対しての(広義の)視力の分布と考えてもよい(図8)。つまり、視力検査では視線を向けているところに視標が提示され、どれだけ見分けられるかを測定するが、視野検査においては視線を向けている場所以外に意図的に提示された視標がどれだけ見分けられるか(感度)を測定し、その分布を明らかにするのである。視力が同じでもこの分布の仕方(視野)が異なっていると、作業を達成する際の難易度が異なってくる。例えば視力は良好なのに歩行が困難になるのは、視野の周辺に感度低下があるからだと考えられるのである。
(2) 視野の広がりや位置を表す方法=視角(visual angle)
視角が網膜像の大きさを記述するための単位であることはすでに紹介した。正確に言うと、これは網膜像での「長さ」を測る単位であった。ところで、網膜には2次元の広がりがある。視野はこの広がりを記述する概念である。数学の幾何では、空間的な広がり、すなわち、座標を表現するためには、原点、原点を基準にした方向(座標軸)、そして原点からの距離を定義する必要がある。視野の場合、原点を「網膜の中で最も感度の高い中心窩」とし、水平方向の座標軸を「鼻とこめかみを両極として」表現し、垂直方向の座標軸を重力方向の「上下」で表現し、原点からの距離を視角で表現するようになっている。例えば、「(中心窩から)鼻側に15度の距離に暗点(見えない点)がある」というように表現する。
(3) 主要な視野測定法の分類
使用する視標(点/線/ランドルト環/縞等)や測定方法(照明/提示時間等)によって視力が変化するように、視野も視標や測定方法によって結果が異なる。一般に視野検査は以下のように分類される(湖崎, 1990;池田, 1982;斎田ら, 1994)。
(4) 視環境の整備における視野評価の意義
視野は視機能の中で視力と共に重視されている。通常の視野検査は視標が発見できるかどうかを問題とした視野であり、どの程度の光量で視標が発見できるかを定量的に測定し、感度分布として表す。この視野測定法は網膜から視路・視覚中枢に至る機能を細かく調べるのには適している。そのため、眼科医療においては眼疾患を予測する上で極めて重要な役割を果たしている。さて、視力や視野に機能低下が明確な視覚障害の人にとっての視野検査にはどのような意味があるだろうか。通常の光点による視野測定では、視野のどの部分にどの程度の機能低下があるかが明らかになる。しかし、教育的ケアを実施する際、視野はあまり重視されてこなかったように思われる。また、視野の評価を実施している機関においてもその結果を有効活用できていないことが予測される。なぜなら、弱視レンズ等の倍率や文字サイズの決定に関する理論や実践報告の中で視野の要因を考慮しているものは本邦では少ないからである。
このように教育の場面で視野があまり重視されていないのは、通常の視野検査の結果と教育的ケアの内容が直接結びつかなかったのが最大の理由だと考えられる。生活や学習環境の改善において重要なのは、視野の特定の領域の機能低下が見え方や行動に対してどのような影響を及ぼすかである。つまり、見え方や行動との関係が明らかになって初めて視野測定の意義が明確になるのである。例えば、街灯に相当するような大きくて明るい光を感じることができる範囲が分かれば歩行指導に活用できる。また、1cmの大きさの文字が分かる範囲が分かっていれば、文字教材の提示の仕方に反映できる。
(5) 読書課題遂行における有効視野評価の意義
重度・重複障害者・児の中にも簡単な読書が楽しめる場合はある。その際、文字の大きさをどの程度にすればわかりやすいのかを客観的に把握するのは困難である。文字を大きくすると一つ一つの文字は読みやすくなる反面、単語や文全体が捉えにくくなる。しかし、視力が低い場合、文字を小さくすると同定できなくなる。この二つのジレンマにどこで折り合い(トレード・オフ)をつけて最も適した文字の大きさを選択するかが重要である。その決定の科学的根拠として視野検査の結果が重要な意味を持つわけであるが、通常の視野検査では文字が読める範囲を直接特定することはできない。教育の現場で視野検査の結果があまり重視されていなかったのは、検査が困難というだけでなく、検査結果を直接ケースの処遇に結びつけることができなかったためだと思われる。つまり、読書と直接関係のある文字を視標とした有効視野の評価が重要なのである。なお、読書に及ぼす視野の研究(苧阪・小田, 1991;石川・中野, 1993)では、効率的に読書を行うためには一度に6文字程度の処理が可能な有効視野が必要であるとされている。したがって、読書課題に必要な条件を決定するためには、文字処理有効視野の評価が不可欠であるといえる。しかし、読書の際の文字処理に必要な有効視野を評価するための客観的なシステムは実験用のもの(池田, 1982;斎田ら, 1994)や英語圏で実用化が検討されているもの(Mackebenら, 1994)を除いては確立されていなかった。以上のような問題意識から、中野(1997)は「どの程度の大きさの文字がどの部位で視認可能か」(文字処理有効視野)を評価するための方法を検討し、「ロービジョン用静的文字処理有効視野評価システム」を試作した。この方法であれば、読書に利用できる機能的な視野を直接的に知ることが可能である。このシステムは、画面の任意の位置にさまざまな大きさのひらがな文字(もしくは記号)を提示し、各点での認知閾を測定するものである。子供の課題は画面に表示された文字(もしくは記号)を言い当てることである。この方法であれば、読書に利用できる視野を直接的に知ることができる。また、この方法では課題がゲーム的であるため、通常の視野検査ができないクライアントでも適応できる場合が多い。
(6) ロービジョン用静的文字処理有効視野評価システム
「ロービジョン用静的文字処理有効視野評価システム」は、福祉施設や学校等で簡便に利用できるように汎用のコンピュータ・システム(マイクロソフト社のウインドウズ95以降のウインドウズOSで動作)を用いたアプリケーション・ソフトとして試作された(http://www.econ.keio.ac.jp/staff/nakanoy)。評価を受けるクライアントが凝視点を注視している時にモニタ画面の任意の位置に任意の大きさのシンボル(ひらがな文字、アルファベット、記号)を眼球運動が起こらない程度のごく短い時間(200ミリ秒以内)提示し、その視標が視認できるかどうかを評価する(図10)。視認できた場合は、視標の大きさを小さく(視認できなかった場合は大きくする)していき、ぎりぎり視認できる大きさ(認知閾)を求める。なお、正誤の判断等はプログラムが自動的に行うようになっている。評価者は、クライアントが凝視点を固視していることを確認しながら、評価を進行し、クライアントの反応をキーボードから入力するだけでよい。なお、このシステムを用いた事例を後述する。
(1) 視環境による視機能の変動
クライアントはそれぞれ異なった環境で生活している。また、視環境は刻一刻と変化する。したがって、それぞれの環境の下で視力や視野等の視機能がどの程度活用可能かを知るためには、標準検査の条件以外に、その環境ごとに視機能を測定する必要がある。例えば、教室の蛍光灯の下でどの程度細かいものがわかるかを調べなければ実践的な意味が減少するのである。また、視覚活用が可能なのであれば、通常の視力検査表にはないような低い視力でも調べる必要がある。このように、視環境の整備を目的とする場合、日常生活により近い条件でも視機能を評価する必要のあることがわかる。そして、児童・生徒の視機能が最大限に発揮できる視環境を明らかにしなければならないのである。ここでは、光環境が視機能に与える影響について言及する。
(2) まぶしさを理解するための基本的な概念
(3) まぶしさに関する問題の所在
まぶしさからくる困難は適切に理解されていない場合が多いように思う。このことは、まぶしさに対する2種類の極端な対応に象徴される。1つは、本人がまぶしさを主張しないのならよいのではないかという対応である。しかし、この対応は適切ではない。先天性の視覚障害者・児や乳幼児の場合、何がまぶしい状態なのかをうまく表現できないことがあるからである。2つ目は、まぶしいのならサングラスをかければよいという対応である。確かに屋外での活動場面ではサングラスは有効である。しかし、一般にサングラスと言っていてもさまざまな種類があり、どのような場面でどのようなサングラスが有効かアドバイスできているケースは少ない。また、室内でのまぶしさにはどのように対応すればよいのか、すなわち、屋外と同じようにサングラスをかけるのがよいのか、それとも別の方法があるのかをアドバイスできていない場合が多い。まぶしさからくる困難を適切に理解していないと、クライアントによりよい環境を提供できないばかりか、不適切な環境を強いることになってしまう。まぶしさを検査するためのグレアテストは視力や視野と異なり眼科のルーチン検査になっていない(藤原, 1990)。そのため、福祉・教育の領域で評価する必要性が高い。
(4) まぶしさのメカニズム
人間の眼には、眼に入ってくる光の量をコントロールする機能がある。しかし、白子眼のため虹彩の色素がなく遮光機能が十分に果たせない場合や虹彩欠損で瞳孔の機能が働かない場合等では、眼内に入ってくる光量をコントロールできなくなる。そのため、明るいところで必要以上に眼内に光が入ってしまい、まぶしさを引き起こす。このまぶしさは、眼の中に光が入りすぎる結果起こるものであり、前述のLempert(1990)の分類によれば暗点的グレアに相当する。白子眼、無虹彩、虹彩欠損、ぶどう膜欠損、小眼球等の眼疾患ではこの光量コントロール不全が考えられる。
ヴェーリングとは、まさにヴェール(薄い膜)がかかることである。光のヴェールである。そのため、光の膜がかかるという意味で、光膜と訳されることがある。網膜像に光のヴェールがかかると、見たいものと背景のコントラストが低下し、まぶしさを感じるという仕組みである。なお、まぶしさ感は、光の絶対量が多いときだけでなく、コントラストが低いときにも感ずるものである。
ヴェーリングが起こる原因としては2つ考えられる。1つは、霧や霞などによって起こる環境要因であり、もう1つは中間透光体(涙液層[角膜の表面を覆う薄い膜]、角膜、前房[角膜後面と水晶体前面の間]、水晶体、硝子体)の濁りによって起こる眼内要因である。環境要因にしろ眼内要因にしろ光を乱反射させるもの(霧や組織の混濁部分)があり、その部分で乱反射した光がヴェールとなって網膜像全体を覆ってしまうのである。前述のLempert(1990)の分類によればヴェーリンググレアに相当する。
ヴェーリングによるまぶしさは、角膜白斑・混濁、白内障、硝子体混濁等の中間透光体に混濁のある眼疾患では要注意である。なお、中間透光体混濁があるかどうかは、主要眼疾患を聞いただけでは判断できない場合がある。そこで、所(1993)を参考に中間透光体混濁を起こす可能性のある眼疾患をまとめた。
網膜には光を感じる細胞がある。この細胞に光が当たりすぎたり、また、この細胞の機能が低下するとオーバーロードが起こり、網膜の感度が低下してしまう。その結果、まぶしさを感じるという仕組みである。これは、主に錐体の機能低下によって起こる明所視の機能低下だと考えられる。前述のLempert(1990)の分類によれば暗点的グレアに相当する。
網膜に光が当たりすぎてしまう場合としては、眼が順応している明るさよりも相対的に強い光が眼内に入ってくる場合と光量コントロール機能の不全(前述)による場合がある。
光を感ずる細胞の機能が低下する場合としては、白子眼のような網膜の脱色素による機能低下、全色盲や黄斑変性のような錐体の欠如による明所視機能の低下等が挙げられる。
網膜疾患、脈絡膜疾患、視神経疾患、眼の隣接部の疾患による羞明は、三叉神経の知覚過敏状態に基づくものだとされている(山地, 1981)。飯沼(1975)は、羞明を眼の疾患とか異常ではなく、三叉神経→中脳→顔面神経(いわゆる羞明反射路)が関係するものとして位置づけており、三叉神経痛、偏頭痛、神経衰弱、脳膜炎、クモ膜下出血、肢末肥大症、頭蓋咽頭腫、球後視神経炎、先端疼痛症、重症頭外傷などをこれに分類している。
(5) まぶしさが生み出す困難
(6) まぶしさの客観的な検査方法−グレアテスト−
まぶしさの原因となる光源(グレア光)があるときとないときで視機能を比較するという原理で作成されている。グレア光によって視機能が著しく低下するかどうかでまぶしさの有無を判断する。また、通常の条件とグレア光のある条件での視機能の比較によってまぶしさの程度を判断する。グレアテスタは、ターゲット(視標)の種類とグレア光源の種類によって分類される。ターゲット(視標)の種類としては、「 ハイコントラストのターゲット(スネレン、ランドルト環)」を使う場合と「様々なコントラストのターゲット(スネレン、ランドルト環、サイン波状輝度変調格子)」を使う場合がある。グレア光源の種類としては、点光源を使う場合と面光源を使う場合がある。主な製品(Prager, 1990;藤原、1990)を以下に示す。
これら医学的な検査は、高価であるし、眼科医でなければ検査ができないという制約がある。また、我が国では現在のところ、グレアテストを実施している眼科は、それ程多くない。そのため、多くの視覚障害者・児は、これら医学的な検査の恩恵を受けることができないのが現状である。
(7) まぶしさの福祉・教育的な評価方法
グレアテストは、光源の明るさを変化させて視力検査等の視機能検査を行い、通常の条件との差を比較するという原理を応用した医学的なまぶしさの検査である。グレアテストの目的はまぶしさのある眼疾患を発見したり、治療の予後を評価することである。例えば、白内障の診断等に利用したり、処方したサングラスの評価に利用するわけである。その原理は「まぶしさの原因となるグレア光源を付加したときにどの程度の視機能低下があるか」を測定することである。これに対して、福祉・教育場面でまぶしさを評価する際には、「具体的なサービス内容によってまぶしさがどれだけ軽減できるか」を評価する必要がある。例えば、教室内の照明をコントロールすることは可能なので照明を変化させたときにどれだけまぶしさが軽減できるかを評価するというようにである。以下に、中野(1994)が考案した福祉・教育的観点からのまぶしさの評価方法の例を示す。
グレアの原因となる紙の白を減少させたときの視力の変化を比較する
グレアの原因となる紙の白を黒い遮蔽板で減少させたときの視力や読書効率の変化を比較する
(1) 読書効率の客観的評価の必要性
眼疾患や視機能検査の結果がわかれば、クライアントが遭遇している困難の内容を予想できるし、拡大や白黒反転などの見えにくさを補う方法も予測できる。例えば、角膜混濁があればまぶしさを感じていることが予想でき、それへの対処として白黒反転が有効であることが予測できる。また、視野が狭ければ全体の構造をつかむのに困難を感じていることが予想でき、文字を大きくし過ぎない方がよいという配慮が予測できる。しかし、これだけではクライアントへの具体的なサービスはできない。例えば、角膜混濁のある人にはすべて、新たに白黒反転機能付きの拡大テレビを購入すべきなのであろうか。また、視野狭窄のある人に適した文字サイズはどうやって決めればよいのであろうか。この疑問への答えは意外に簡単である。白黒反転によって読書の効率がどれだけ向上するかを調べればよいし、読書の効率が最もよくなる文字サイズを調べればよいのである。その結果、白黒反転をしても読書効率がそれほど変化しないのならわざわざ高価な機器を導入する必要はないし、十分な読書効率が得られるのであれば文字を拡大する必要もないのである。逆に、読書効率が飛躍的に向上するのであれば、例え高価であっても白黒反転のできる機器の導入を考慮すべきであるし、常識では考えられないような文字サイズの拡大教材であっても作成すべきであろう。つまり、読書効率を判断の基準にして、読書条件を整備していけばよいのである。読書環境の整備が難しいとされてきた最大の原因は、判断の材料となる明確な基準がなかったからだと考えられる。
(2) 文字サイズの決定にまつわる課題
視力の低い人が絵本を読む際には、ボランティアによる拡大写本が利用されている。拡大絵本は、視覚障害のある幼児の精神的発達を支援するだけでなく、文字学習を動機づけたり、学習結果を定着させる上でも重要な働きをしている。この拡大絵本を作成する際に最も重要になるのが文字の大きさである(絵や図の作成方法も大きな問題であるがここでは取り上げない)。文字を拡大すればクライアントの読書効率が上がることは誰もが予想できることである。しかし、どの位の大きさの文字にすればよいのかと問われると困ってしまうことが多い。従来、視覚障害がある人の文字サイズを決める際には、(1)視力(もしくは最大視認力)から読むことが可能な文字サイズを推定する方法や(2)様々な大きさの文字をクライアントに見較べてもらい本人が好ましいと判断した文字サイズを選択する方法が取られてきた。しかし、視力等が同じくらいでも必要な文字サイズが異なることがあったり、文字サイズの好みがはっきりしなかったりすることがあり、決定的な方法にはならなかった。
(3) 視力・視野から読書へのアプローチ
狭い意味での視力や視野だけから読書に最適な条件を明らかにすることが困難であることに対していくつかの取り組みがなされてきた。視力検査の視標を文字にしたり、様々なフォントや文字サイズの文章を羅列した検査表が試作された。日本でも、高田巳之助商店がツアイス社と共同開発した「視力障害者用近用読本」、川崎市福祉センターと東京ルリユールの共同開発による「視覚障害者実用文字視力検査表」、パソコンを用いた「読書効率評価システム」(中野, 1992)等の取り組みがなされた。しかし、これらの取り組みは読材料の選定や測定方法の客観性や信頼性に課題があり、実用化に至らなかった。
(4) 読書の基準となる文字サイズ:Mシステム
アメリカでは文字サイズを表現する方法としてメトリック・システム(metric system;Mシステム)という表示方式が用いられる場合がある(Nowakowski, 1994)。これは、基準となる文字サイズを決め、その基準との関係で個々の文字サイズを表示する方法である。基準である1Mの文字サイズは、1メートルの視距離で観察したときに視角5分になる大きさの文字と定義されている。1メートルで視角5分に相当する視対象の大きさは1.45mmであり、ちょうど新聞の小文字の大きさに相当する。このサイズの文字が読めれば、問題なく読書ができると判断できる。つまり、1Mの文字サイズは、クライアントの訓練や補助具選定の当面の目標になり得る文字サイズであると言える。Mシステムでは、この1Mを基準にして、倍の大きさの文字は2Mというように表示する。文字サイズをポイントやミリで表示するよりわかりやすいという利点がある(例えば、ポイントで表示されている場合、新聞の文字サイズと比較するためには、新聞の文字サイズが何ポイントであるかを覚えておかなければならない)。また、Mシステムで文字サイズを表示すれば、新聞を読むために必要な補助具の倍率が直感的にわかるという利点がある。例えば、4Mの文字なら読める人が、新聞、すなわち、1Mの文字を読みたい場合には4倍の倍率の補助具を用意すればよいということが直感的にわかるのである。
(5) 読書検査表MNREAD
読書の効率を直接評価する方法はロービジョン研究の先進国であるアメリカで行われてきた。スローンによる「Sloan-Lighthouse Continuous Text Cards」等がその例である。しかし、近年、ミネソタ大学のレッグ教授らのグループにより信頼性の高い読書検査表が開発された(Leggeら, 1989)。これが「Minnesota Low Vision Reading Test」すなわち、MNREADである。MNREAD acuity charts(ミネソタ読書視力チャート)と呼ばれている。レッグ教授の研究室ではロービジョンの読書に関する系統的な研究が行われてきた。基礎データの収集の段階では、より詳細なコントロールを行うためにコンピュータを用いたシステムが用いられてきた。しかし、臨床現場での応用を考えて、カード形式のものが開発された。この検査表は、吟味された有意味な文章を印刷したものである(図15)。文字サイズは、40cmの視距離のときに、1.3logMAR(視力20/400に相当)から-0.5logMAR(視力20/6.3に相当)まで0.1logMAR間隔で用意されている。「白背景に黒文字」のものと「黒背景に白抜き文字(白黒反転)」のものが用意されており、白黒反転効果も評価できるようになっている。英語版は、ニューヨークライトハウス(ホームページ http://www.lighthouse.org/index_main.htm)から販売されている。MNreadの日本語対応(MNREAD-J)の開発は、東京女子大学の小田浩一氏によって行われ(小田ら, 1998)、半田屋(http://www.handaya.co.jp)から販売されている。
(1) 目的
クライアントは毎日の活動をどのように感じているのであろうか。クライアントの視線で世界を見、クライアントの行動を理解し、クライアントがより快適に、より楽しく日々の活動を行えるように心がける必要がある。そのための一つの方法論として、クライアントの世界を彼らの視点(見え方/見えにくさ)で様々な活動を行ってみることを通して想像し、日々の教育実践を振り返るきっかけとするための疑似体験プログラムを検討した。
(2) 実習方法
視覚障害を併せもつ重複障害の人たちが毎日の活動をどのように感じているのか、ユーザの視点(見え方、見えにくさ)に立って、摂食、あそび、移動の三つの場面を体験する疑似体験プログラムを作成した。視覚障害の疑似体験には、高田眼鏡製のシミュレーショントライアルセットの最重度白濁と視野狭窄3度の2種類を用いた。実習は2人1組で行い、一人は体験者(ユーザ役)で、もう一人は生活の中でいつもユーザと接しているように、話しかけたり介助をしたりする介助(教師)役とした。体験者役と介助者役の両方の役割を交替しつつ行った。なお、介助者の役割は、安全確保だけではなく、体験者がどのような行動を取るかを観察することも含まれている。体験者も介助者も疑似体験終了後に感想を記録した。一つの実習を終えたら、すぐに、見え方や感じたことをこのインストラクション・ペーパーにメモして、役割を交代した。なお、体験前に、疑似体験の意義や限界について確認を行い、以下のポイントを意識しながら体験を実施した。
ロービジョンの見え方/見えにくさは、像のボヤケ、グレア光に対する感度の低下(白濁はその中の1つ)、求心性視野狭窄、中心暗点の4つに分類される(小田・中野)。子ども達の見え方/見えにくさの多様性は、この4つの見え方/見えにくさの程度と組み合わせがそれぞれ異なるからだと考えられている。今回の疑似体験では、これらロービジョンの見え方/見えにくさを高田眼鏡製のシミュレーショントライアルセットを用いて体験する。
視力が低かったり、視野が狭かったりすると何もかもが出来なくなってしまうわけではない。課題によっては、それほど困難を感じないものもある。これは、何を行うかによって必要となる視力や視野が異なるからである。ここでは、食事場面と移動・遊び場面を体験するが、課題によって困難さが異なることを共感的に理解する。なお、以下の点に特に留意しながら体験を行う。
いかなるタイプのロービジョンにも対応できる見やすい環境というものを設定するのは容易ではない。なぜなら、ロービジョンのタイプによって見えにくさの内容も原因も異なるからである。例えば、一般に部屋の照明は明るい方がよいとされているが、まぶしさを訴えるロービジョンにとっては部屋の照明が明るすぎるのはよくない。このように、見え方に応じて適切な環境条件は異なることに注意しながら体験を行う。
(3) 実習内容の1例
i) 介助を受けながら食事をしましょう。
2人1組のペアになります。ロービジョン役は手を自由に動かせません。教師役の食事介助を受けながら食事をします。
[ポイント]
ii) 自分で食事をしましょう。
器に入った食物を食べましょう。
[ポイント]
2人1組のペアになります。ロービジョン役は以下の3つの条件で行います。
i) あおむけに横になりながら
ii) ハイハイしながら
iii) 散歩
i)とii)の条件では、室内でいつも子ども達としている遊び(ボール投げ、紙芝居、パソコンなど)をしましょう。iii)では屋外へ一緒に散歩にでかけましょう。
[ポイント]
(1) 試用実験
肢体不自由養護学校の教員の研修プログラムとして上述の疑似体験プログラムを試用した。
(2) 結果:体験者の主な感想を以下に示す。
介助を受けて食べさせてもらう場面では、白濁でも視野狭窄でも、スプーンに載せて示された食べ物がよく見えないことが指摘された。そのために、何の前触れもなくスプーンを口に入れられる場合には強い抵抗感を感じ、逆に、食べ物に関して言語的な説明があったり、口に入れる前にしばらく唇に触れておいてもらうと大きな安心感を得られることがわかった。
自分で食べる場面では、白濁では食べ物が何であるかを見て判断することは難しいが、色を手がかりにして食べ物の場所を見つけることができることがあった。背景とのコントラストが重要であり、例えば、銀色のお盆の上のパンは見えないが、黒いお盆の上のパンは小さなかけらまで見てつまむことができることがわかった。視野狭窄でも色が手がかりになった。距離感がつかめないために食べる動作がぎこちなくなることがわかった。
白濁では、天井の蛍光灯が非常にまぶしく感じた。光源を背に立った人の表情等はとらえることが難しくシルエットになって見えた。黒いものと影の区別がつかないなど、コントラストのはっきりしないものを見分けることは難しいことがわかった。
視野狭窄では、ものや人の姿が突然視野に入ってくるのが恐かった。距離感や方向感覚がつかめなかったが、相手の黄色い服の色が手がかりになった。
白濁も視野狭窄も、車椅子に乗って押してもらって移動する場面では、周囲のものとの距離感がわからないために、壁などに接近したりスピードが出ると恐いことがわかった。
(3) 疑似体験の効果
疑似体験に参加した指導者は体験による共感的理解を通して、今後のケアのあり方について以下のような気づきを述べている。
肢体不自由養護学校の児童・生徒の多くが「食べさせて」もらっている。そして、摂食の場面は重要なコミュニケーションの機会であると考えられている。私たちは摂食指導の研修等で一方的に食べさせることが好ましくないことを知識として耳にしていたが、それが相手にどういう気持ちにさせるのか体験するとができた。疑似体験を境に摂食に関する配慮を更に深めることができた。
摂食時の配慮で最も重要なのは、これから何を口に入れるのかを知らせることであった。そのためには、第一に、視覚的にとらえやすいようにスプーンの運びを工夫したり、光源の位置を工夫してスプーンと背景とのコントラストを高めることが必要である。第二に、スプーンにどんなものがのっているのかを言葉で説明することが必要である。食べ物の名前を説明するだけではなく、味や固さ、温度についても説明することが必要である。第三に、口の中へスプーンを運ぶ前に、口唇の感覚や味覚で食べ物を確かめるための配慮が必要である。口唇でスプーンを止めると食べ物を確かめるための時間的な余裕が生まれる。その結果、もし食べたくないものであれば口が動かないかもしれない。児童・生徒とのコミュニケーションが成功するきっかけも得られる可能性がある。
また、視覚的にとらえやすいように食べ物と背景(食器やお盆)とのコントラストを高める工夫をすることによって「食べさせてもらう」ことから「自分で食べる」ことを支援できる可能性があることを学んだ。
私たちはあそびや学習のやりとりの中で、繰り返し繰り返しおもちゃや教材等を児童・生徒に見せるということを行っている。しかし、児童・生徒が提示したものに興味を示さないということも日常的に経験している。その場合、興味を示さない理由を明らかにすることができずに「集中できない」等という評価をしてしまうことも少なくない。
今回の疑似体験を通して、摂食と同様に、見せたいものに対する光源の位置や、見せたいものと背景とのコントラスト等について私たちが留意しなければ、何が提示されているのか全く見えないことがわかった。今までにも何かを見せるときに背景に衝立を置くことがあったが、それは見せたいもの以外を隠すという配慮にとどまっていた。疑似体験を境にして、衝立を利用する場合にも「光源」と「コントラスト」という要素まで徐々に配慮するようになり、児童・生徒にとってより見やすい環境を用意するようになってきている。
私たちは今まで、校内で何気なく児童・生徒の車椅子を押してきた。しかし、周囲の状況がよく見えないためにスピードが出ると怖いことがわかった。摂食の場面と同様に、車椅子を押すスピードについて配慮をしたり、言語的に説明するなどを配慮が必要であることを学ぶことができた。