土居丈朗の

研究室訪問

(肩書きは当時のものです)

第1回

堀 宣昭 九州大学経済学部助教授
現・同経済学研究院准教授

1998年5月29日金曜日(曇)16:00〜

 1998年4月に九州大学に赴任された堀先生の研究室へ、(当時、東京大学で助手だった)私は出張の届を出し公用(研究打合せ)ということでお伺いしました(平日の日中勤務時間中に国家公務員が九州まで遊びに出かけたというわけではないということです)。その翌日に北九州・小倉で開催される日本地方財政学会に出席する途中に立ち寄りました。当日、生まれて初めて恐る恐る飛行機という文明の利器に乗って(27歳にして初めてとは…トホホ)福岡空港に降り立ち、そこから地下鉄で箱崎九大前駅まで行き、九州大学の箱崎キャンパスにある経済学部(当時)の研究室にお邪魔致しました。
 堀先生の研究室は、私も一緒だった大学院時代の研究室に比べて(スペースが広いこともあるのですが)格段にきれいで、小人数の学生を指導できるような机といすやホワイトボードも備えられていました(私が着いたばかりのとき、院生の指導中でした)。時折福岡空港に降り立つ飛行機の飛ぶ音が聞こえます(私の乗った飛行機も堀先生のお仕事をお邪魔したのかも)が、近くを通るJR線からたまに聞こえる汽笛は趣深いものがあります。
 5時を過ぎてその後、堀先生と私は博多・天神へと繰り出していったのでした。(まじめに職務を遂行した後で、その日の勤務時間はもう終わっている時間ですから…)


第2回

芦谷 政浩 大阪大学社会経済研究所助手
現・神戸大学経済学部教授

1998年8月7日金曜日(曇一時雨後晴)11:30〜

 その時期有給休暇を取って帰省していた私は、私の実家から最も近いキャンパスである大阪大学吹田キャンパスにある芦谷先生の研究室にお邪魔致しました。芦谷先生と私はその日、大阪モノレールの万博記念公園駅で待ち合わせ、そこから万博外周道路に沿って30℃を越える中約30分かかってキャンパスまで汗だくになりながらも歩いて行きました。
 研究室を訪ねる前に、社研の教官談話室に案内して頂きましたが、そこのテレビでは何の因果か、「内閣総理大臣、小渕恵三君っ」とちょうど小渕首相の所信表明演説が始まったばかりでした(すみません。この書き方だとテレビが予めついていたかのような表現ですが、実は性能のよさそうなテレビだったので2人でテレビをいじっていたのでした)。
 研究室は、他の教授・助教授の先生方のとほぼ同じ広さに出来ているようで、私の(東京大学社会科学研究所にいた当時の)研究室よりも広い部屋でした。ただ、芦谷先生らしく、私も一緒だった大学院時代と変わらず、本や余分なものを研究室にあまり置かずすっきりとした感じがしました。そんな研究室の中に、私がうらやましく思ったのは、研究室の主が座るべく立派な「大臣の椅子」が用意されていたということです(なにも、芦谷先生が入閣するというわけではありません)。その上、備え付けの対のソファーもありました(これで陳情客にも応対できます?!)。
 そうこうしている内に降っていたにわか雨も止んだので、芦谷先生の研究室をお暇致しました。止んだのはよかったのですが、これから2人が歩いて帰るというのに日まで刺さなくても…。


第3回

赤井 伸郎 神戸商科大学経済研究所専任講師
現・大阪大学大学院国際公共政策研究科教授

1998年10月17日土曜日(暴風雨)20:30〜

 10月17、18日両日神戸商科大学(現・兵庫県立大学)で開催された日本財政学会第55回大会に出席するため訪ねた際、赤井先生の研究室にお伺いしました。赤井先生は、大阪大学経済学部で私の2年先輩にあたります。日本財政学会の大会では、1日目のセッション終了後、夕方に懇親会を開くことが毎年恒例となっています。その懇親会の後、皆と一緒にそのまま雪崩れ込むように(要するに2次会ということで)赤井先生の研究室にお邪魔致しました。
 この日は、西から大型の台風10号が近畿に接近してきており、午後から風雨が強くなってきていました。そんな暴風雨の中、懇親会で飲みきれず食べきれず残ったビールやおでんなどを2次会の話のさかなにしようと、なんと懇親会会場から研究室のある経済研究所の建物まで運び込んだのでした(若気の到りということでお許しを)。そんな天候なので、さすがにその日は神戸・三宮界隈で店を探して飲みに行くわけにはいきませんでした。
 赤井先生の研究室は、部屋に入るとくつろげそうな応接用のソファーと机があり、私はそこですっかり気分が2次会モードに切り替わってしまいました。奥には、絨毯を敷いたスペースに執務用の机がありました。話によると、絨毯の上では靴を脱いでお仕事をしておられるそうです。入り口左手には、ちょっとしたキッチン風の流し台があり、研究室でも生活できるほど充実しているようでした。結局、2次会は演習室を借りることにして、移動することになりました。
 10時を過ぎて、そろそろ帰らないと宿泊することにしていた私の実家まで帰り着けないということで、暴風雨の中お暇致しました。結局その夜、実家にたどり着いたのは日付が変わる直前でした(翌日も2日目のセッションが朝からあると言うのに…;でも、台風一過の翌朝はきちんと午前のセッションからまじめに出席しました!!)。
(上記は、大会終了後東京に帰る新幹線の中で、モバイルPCを使って書きました)



第4回

星 岳雄 Graduate School of International Relations and Pacific Studies, University of California at San Diego教授
現・スタンフォード大学ビジネス・スクール教授

2001年1月18日金曜日(晴)16:00〜(現地時間)

 1月20日(実はこの日は、Inauguration Day、つまり同じアメリカでもワシントンDCではジョージ・W・ブッシュ大統領の就任式が行われるのですが)に開催されるWest Coast Japan Economic Seminarで研究報告をするため、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ(厳密に言えばその隣のラホーヤ)にあるカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の星先生を訪ねました。日本からサンディエゴへは直行便がない(現地で聞いた話では、サンディエゴ国際空港の滑走路が短くてジャンボ機を飛ばせないからだそうです)ので、ロサンゼルス経由で行きました。ロサンゼルスからは小型のコミューター機に揺られてサンディエゴ入りしました。その日はとてもよく晴れていて(というより、サンディエゴでは365日中300日ほどは晴なのだそうです)、時差ボケになる前に気分はすっかりカリフォルニアになってしまいました。
 大学院の後輩でこのときUCSDに滞在していた鯉渕賢君(現・中央大学商学部准教授)に空港まで迎えに来てもらい、ホテルに荷物を置いた後、UCSDのキャンパスに行きました。この時期、カリフォルニアでは電力危機で一部の地域では日中停電が起こっていましたが、話によると、停電になっているのはサンフランシスコ・シリコンバレー界隈の北部で、サンディエゴもいつ停電になってもおかしくない状態ではあるが、たぶん停電しないだろうということでした(後日セミナー終了後のディナーを頂いたレストランでは、何事もなかったかのようにライトアップを派手にしていて、日本流の集団主義的な「節電」などと違う大らかな感覚を垣間見ました)。
 太平洋の海岸にすぐ近くとても広く開放的なキャンパスに感動しながら、星先生の研究室があるGraduate School of International Relations and Pacific Studies(IR/PS)に行きました。星先生の研究室は、西向きなので、研究室にお邪魔させて頂くべく部屋に入ると太平洋が水平線まで見渡せ、とても素晴らしい研究室でした。この美しいオーシャン・ビューの部屋で、日本の金融についてレベルの高いご研究をされておられたのか、と心の中で思いを馳せておりました。
 日が暮れ始めると、カリフォルニアと言えどもさすがに冬なので、コートなしでは少し肌寒い(日中は上着もいらないぐらい冬を感じさせない温かさ)かなと思いながら、研究室を後にしました。


 これからも、皆様の研究室を突然お伺い致します。いえいえ、これらはみなアポ付きです。


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