おもしろ話の追加あります。
ミニ写真集はこちら。
読み方:最新の話題が上です。『こまった話』は『おもしろ話』の下にあります。(最近この二つは収束してしまったかも。。。)
おもしろ話
一番驚いたのは、全席指定にもかかわらず、二等車の場合、適当に席を移動してもいいこと(ノルウェー国鉄)。子連れで、始発ではない駅から乗車したら、カップルに席を占領されていたうえに、「どこに座ってもいいと車掌も言っていた。君たちも好きなところに行ったら?」などと言われました。しかし三人で一緒の席はなかなかない。困っていると、やっとカップルがどいてくれました。
また、日本では家族4人です、と予約に行けばボックスになるように座席を手配するのは当たり前ですが、まずボックス席が少ない(座席は回せません)。その上、予約のコンピュータシステムではどの番号がボックスかがわからない!そこで、まったく適当に座席番号が来ます。(だから移動可能なのかも。じゃ、自由席と言ってよ。)
ちなみに、ノルウェーでもスウェーデンでも子どものしつけはよかったです。電車の中で騒ぐ子どもは見たことがありません。親がひとにらみすれば静かにします。 New!
ネット社会の北欧ですから、もちろん大学の掲示はすべてネット上。(校内には掲示板もありますが、たいしたことは出ていない。)休講、試験日程などの事務連絡から、講義の配付資料、さらに講義ノートを掲示してくれる先生もいます。講義資料などは、ログイン式になっていて、履修しないと見られないようになっています。i-modeはまだありませんから、携帯ではこれらは見られません。学生はほぼ全員ノートパソコンを毎日持って歩いています。廊下のコンセントはフル使用状態。
掲示板以外のネットの使用法は、インタラクティブな実験、シュミレーション、講義中にネットで情報を見せることくらいです。教科書や参考書を学生に買わせるかわりに、先生がいろいろな資料を集めて電子本を作ってくれることもあります。教員は、どの資料が誰にいつごろダウンロードされたかの統計データまで見ることができて、なかなか便利です。
気候が厳しい北欧では、マイナス20度の日に学校へ来ないと休講かどうかわからないのはかわいそうです。その意味ではネットの情報は社会にとってよいことです。しかし。。。
問題その1:教室内もワイヤレス接続可能なのですが、これはいただけない!パソコンでノートを取るふりをして、他のことばっかりしている!
問題その2:すべて電子書類でレポート提出、とする先生もいますが、他人の文書をコピーペーストすることがあまりに簡単なので、こちらはカンニングを調べるのに苦労します。ある先生は文章が同じかどうかを比較するプログラムを持っているそうな。
そもそも小学校の時から自分でノートを取ることが少ないノルウェーの学生が、このように全て電子生活をしていると、ますます考えながらノートを書く、という作業をしなくなります。試験はまだ手書きですから、ひどい字、スペルミスと計算ミスの嵐、となります。私はやっぱり手で書きながら勉強することがいいと思います。
こまった話
複数の女性の先生から聞いたこと。誰か一人でも「この先生いや!」と叫ぶと、あっというまにクラス全体が先生を嫌いになってしまう。逆に「この先生いいね。」という人がいると、クラス全体がそう思ってくれる。だから、まったく同じ講義をしていても、年によって反応が全然異なってしまうそうです。男の先生の場合はここまで極端に反応しないそうです。
対策は「さくら」を入れればいい、ということになりますが、できないかもしれません。最初に何と言われるかをコントロールすることが必要です。でもこれは対症療法であって、根本的対策ではありません。根本的対策を練るには、原因を究明する必要があります。
あらすじとしては、なんらかの理由で、女性の先生の講義については「好き嫌い」という問題が強調され、しかもherdingがおこる、ということではないかと思います。では、なぜ「好き嫌い」が講義の内容より重要になってしまうのでしょうか。
仮説その1:学力的理由
講義がよくわからない。そこで、好き嫌いだけが問題となる。実際、男の先生でもミクロ関係の先生の評判はあまりよくないです。高校までの理数系の教育が不足しているから、ただ講義を聞くだけではわからないし、ちょっとくらい本を読んでもまだわからない。彼らにしてみれば、フラストレーションがたまりやすい状況です。
しかしこれだけでは、なぜ女性の先生に対してのみ過剰な反応になるかが言えません。
仮説その2:甘えによる
女の先生には小学校時代からお母さん的役割を期待しているため、なんらかの理由でそれを裏切られると怒る。そのイメージがうまく定着すると、勉強はともかく、少なくとも反抗はしない。男の先生にはまだ権威を認めているようです。
そういえば、去年受けたノルウェー語の講座の女の先生は、まったくお母さんそのものでした。外国人のために無料で自治体が提供している講座なので、成績、テスト一切なしですから、『学ばせる』必要がなく、先生はただただニコニコして教科書を進めていくだけでした。学生がどんなにまちがった答えや発音をしても、3分前に教えたことを質問してきても、こちらの質問をまったく聞いていなくても、飲食しても、何も言わない仏のような人でした。。。で、もちろん、自主的に勉強した人以外はこの講座で何も学びませんでした。勉強したかった一部の人(私とあと1人はいた)は、後で考えると時間の無駄でした。他の学生のせいで、先生の話にも集中しにくかったし、自分の間違ったことは直して欲しいのにそれもしてくれないのです。
herdingがこうやすやすと起こるのはどうしてでしょうか?
(1)他人を信用している。(これはノルウェー人のいいところでもあります。)
(2)講義の中身をさほど重視していない。(教育は消費財ですから。)
これには2つの効果があり、一つは、講義そのものについての個人的感想はないので、他人の意見に同調することになります。もう一つは、クラスの反抗により講義そのものがめちゃくちゃになったとしても別に損したと思わないことがあります。
ここまで考えてみると、女の先生自身の力で改善することができそうにありませんね。。。
では、ひるがえって、慶応でうまくいった理由は何だったのでしょうか?
(1)学力があるので、講義に集中できる。(2)先生には講義以外何も期待していないから、男でも女でも関係ない。(3)学校とは甘える所ではないとわかっている。(本当か?)
ある先生によると、経済学科の平均成績が2.6、金融学科でも2.3、その他のマーケティング、戦略的経営、組織理論学科になると平均が2.0 にまで上がるそうです。(最高が1で最低が4です。ABCに直すと、経済の平均はC、他はB+くらい。ちなみに金融学科は理論は教えないようです。)
経済の先生は純粋に学業から判断して成績をつけたので、このくらいになってしまうわけですが、そうすると、経済学科志望者が減ってしまいます。(実際そうなっています。)どうしても経済学をやりたい学生はそう多くないですから、少ない数がランダムに来るとすれば、優秀な学生の数はますます減ってしまい、成績分布は上がりません。 だからといって、成績を甘くつけるのもおかしいことです。すぐに学生数が回復するとはいえないし、本来来るべきでない(基礎が足りない)学生が来ても、本人も教える方も困ります。つまり、簡単に他の学科に行けてしまうときに、教育水準と人気を両立するのは難しいのです。