科学技術の発達と制御について(pdf file)

慶應義塾大学経済学部  
延近  充
このエッセイは,1999年9月30日のJCOの東海村核燃料加工施設内での臨界事故後に,2001年度の経済学部の入学試験の小論文の試験問題の[課題文]として使用するために執筆した原稿を基礎としています。
10年以上前に書いたものですが,2011年3月11日の東日本大震災にともなう福島第一原子力発電所の深刻な事故の推移にかんがみ,この問題提起は現在もなお有効であると考え,一部修正・加筆してウェブ上に公表することにしました。
 1999年に公表された国連の世界人口推計(1)によれば,世界の人口が10億人に達したのは19世紀の初め頃である。人類の起源をどう見るかについては諸説あるが,人類の祖先が二足歩行を始めたのは数百万年前,現生人類であるホモ・サピエンスが誕生したのは十数万年前とされているから,人類誕生から人口が10億人に達するまでに少なくとも十万年以上を要している。
20億人になったのは1930年頃であるから,10億人増加するのに要したのはわずか100年あまりということになる。さらに30億人になったのは1960年頃で10億人の増加には30年,40億人になったのはその約15年後の75年代半ばである。そして,21世紀に入る頃には60億人に達していると推計されている(2)
下の図はこの世界人口推計を1750年以降についてグラフにしたものであるが,近代に入って人口が急増しはじめ,特に第二次世界大戦後に人口増加は加速度的になっていることが明白に示されている(2000年以降は予測値,なお,このグラフは人口増加の趨勢を視覚的に明確に示すために,各年の数値を直線で結んで作成したものであり,実際の人口が直線的に増加したわけではない)
(1) UN World at Six Billion, http://www.un.org/esa/population/publications/sixbillion/sixbillion.htm
(2) 2011年5月3日公表の国連世界人口推計2010年改訂版では,1999年に60億4493万人に達し,2011年10月には70億人を超えると推計されている。2010 Revision of World Population Prospects,http://esa.un.org/unpd/wpp/index.htm

 この急激な人口増加の理由はさまざま考えられるが,人間が生きていくためには食糧が不可欠であるから,急増する人口を養うための食糧生産も急速に増加したことは間違いない。では,なぜ食糧生産の急速な増加が可能だったのだろうか。
 食糧生産を行なう産業の代表として農業を例にとると,農業生産を増加させるためには,農地を拡大すること,および単位面積あたりの収穫量を増やすことの2つの方法が考えられる。農業が伝統的な農法の下で人間の力と簡単な道具によって行なわれている限り,いずれの方法によっても,生産の増大には克服しがたい限界があった。
 たとえば,農地を拡大するためには土地を開墾し灌漑施設を整備することが必要であるけれども,人間があまり手をかけなくてもよい耕作に適した土地は限られている。それゆえ,農地を拡大していこうとすれば,それに要する労力と費用は急速に増加していく。単位面積あたりの収穫量を増やすための方法として品種改良があるが,これも近代以前では,作物を栽培するうちに突然変異や偶然の交配によって多収穫種や病気に強い品種が発見されたり,農民が長年の経験的知識にもとづいて交配を行なって改良したりしていたものである。したがって,この方法による生産の増大には長い年月が必要であった。
 このような農業生産の増加の限界を打ち破ったのが,近代以降の科学と技術の相互促進的な発展であった。17世紀の科学革命によってその基礎が築かれた自然科学は,産業革命の進展とともにさらに急速に発展していくが,20世紀に入るころからそうした科学研究の成果が農業技術の開発に意図的に応用され,科学と技術とが相互促進的に発展していくようになる。
機械の使用は,人間の能力の限界を打ち破って農地の拡大や耕作の効率化を飛躍的に進めたし,科学的知識にもとづく品種改良や化学肥料・農薬の使用は,単位面積あたりの収穫量を飛躍的に増大させた。とりわけ第二次世界大戦後には,農業の機械化,品種改良と化学肥料や農薬の開発がいっそう進むとともに,そうした農法がアジアやラテンアメリカなど伝統的な農法が行なわれていた地域にも急速に普及していった。
 このように科学と技術が結びついて急速に発達したことが,食糧生産を急速に増加させ,人口の急速な増加を支えていったのである。ただし,近年ではこうした方法による食糧生産の増加にも,限界が近づいていると考えられる。農地の拡大の1つとして行なわれてきた砂漠の灌漑事業が塩害によって失敗に終わった例は少なくないし,既存の農地についても,長期にわたる化学肥料と農薬の使用によってかえって地力が低下した農地が拡大しており,これ以上の収穫量の増大が望めなくなってきているといわれている。そして,なによりも,そうした食糧生産の増大方法が環境や人間の生命に与える悪影響が明確なものとなってきている。
 ところが,こういった問題も,やはり科学技術の発達が解決するとみなす立場もある。そうした立場から,問題の解決に貢献するとして期待されている最新の技術が,遺伝子操作あるいは遺伝子組換え技術である。これは,ある生物から目的とする有用な遺伝子を取り出し,改良しようとする生物に導入することで,害虫や病気に強いといったその生物が本来もっていなかった新しい形質を付与する技術である。
この技術は,それまでの伝統的な品種改良が超えられなかった種の壁を超えて遺伝子を導入できるため,農作物の改良の範囲を大幅に拡大し,世界の食糧問題や環境問題の解決に大きく貢献できるというわけである。
 しかし他方で,この技術によって生産された農作物の安全性や環境への影響を問題視する声も強い。遺伝子組換え食品の安全性は証明されているとする見解に対しては,遺伝子組換え技術は30年足らずの歴史しかなく,その長期的な影響はわかっていないという反論がある。
また,この技術によって害虫駆除や除草のための農薬散布の回数と使用量が削減でき,環境破壊を抑制できるという見解に対しても,遺伝子操作による新品種の創出は種の壁を超えて行なわれることから,生物の進化や従来の品種改良とは決定的に異なっているため,生態系のバランスを破壊してしまう危険性があるという指摘がある。
 人口増加と食糧問題の深刻さを考えると,遺伝子操作という技術の重要性を否定することは難しいように思えるけれども,だからといって安全性の問題を軽視することもできない。そもそも安全性の調査は,その時点で人間が想定しうる範囲内で実施するものであり,想定した範囲内で安全性が証明されたとしても,その範囲外でも安全であると断定することはできないのである。
実際,安全であるとされていた技術が思わぬ危険性をはらんでいたことが後になって明らかになるという例は,過去に少なからず存在する。あるいは,実験室では専門家の管理の下におかれていたために安全であったものが,産業化され広く普及していくなかで予想外の結果をもたらすこともある。
 具体例をいくつか挙げてみよう。DDTやBHCなどの有機塩素系殺虫剤は,安価でしかも非常に有効性が高いとして第二次世界大戦後から20年以上にわたって多用されたが,その後,開発当初はわからなかった残留慢性毒性の危険性が明らかになり,1970年代に使用・製造ともに禁止された。
その1970年代には,フロンとオゾン層の破壊の問題が注目されるようになった。フロンは化学的・熱的に安定で人体に無害であるとして,冷房や冷蔵の冷媒,電子部品の洗浄などに広く使用されていたが,大気中に放出されたフロンが成層圏に達し,太陽から放射される紫外線によって分解されるとオゾン層を破壊することがわかってきた。オゾン層が破壊されると大量の紫外線が直接地表に届いて人間に皮膚がんを起こすといわれている。
これら自然界には存在しなかったか,存在してもごく微量であった化学物質は,自然界の物質浄化能力を超えて人間が大量に作り出したため,製造と使用が規制された後も自然界に大量に蓄積されていると思われる。
 そして原子力発電も,発電所の建設から運転時の対策までさまざまな安全対策がとられているために,人間に被害を及ぼすような事故の確率はきわめて低いとされていた。しかし,1979年のアメリカのスリーマイルアイランド(TMI)や86年のソ連のチェルノブイリの発電所の事故,99年の日本のJCOの臨界事故,そして2011年3月の東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故など,「想定外」の事態によって放出された放射性物質によって人間の生命にかかわる事故が起こっている(3)。これらによって,機械システム自体の安全設計はもちろん,緊急時の人間の行動まで含めた総合的な安全システムが必要であることが明らかとなった。
(3) 原子力発電については,事故に起因して放出される放射性物質の問題だけでなく,発電にともなって必然的に生成される放射性廃棄物の処理の問題も未解決であり,原子力発電が続けられる限り,現在もなお増加し蓄積され続けている。
 新しい技術が従来にない画期的なものであればあるほど,社会に広く普及してしまってから危険性が明らかになった場合,その弊害を除去するために長い年月と莫大な費用が必要となり,あるいは人間の生命をも犠牲にしてしまう可能性がある。こうした懸念から,科学技術は人間に多大な恩恵をもたらすものであるが,社会が適応できる速度を超えて科学技術の発達が独走すると思わぬ大きな弊害を引き起こしかねないとして,その発達を制御する必要があるという主張が支持を集めるようになってきている。
すなわち,科学技術開発の固有の論理にゆだねているだけでは,科学技術はむしろ社会に困難や混乱をもたらしかねないほどの速度で発達する可能性がある。それゆえ,社会がその成果を無理なく安心して受け入れられる速度に,社会の側が科学技術の発達を制御しなければならないというのである。
 科学技術の発達の制御の可能性を考えるとき,留意しなければならない点が3つある。
第1に,産業革命期の新技術が,たとえばワットの蒸気機関というように個人レベルの発明や改良にもとづくものが多かったのに対して,現代の科学技術は,巨大企業や国家レベルあるいは両者の共同のもとで,多数の研究者と巨額の費用を投じて研究開発されるものが多いことである。そのため研究開発がいったん開始されると,大規模な組織のもつ特性から,途中で方向転換したり,あるいはその研究開発そのものを停止したりするのがきわめて困難になるのである。
 第2に,そうした研究開発は,自国内だけでなく他国との国際競争のもとで経済効率や利潤原理を最優先として行なわれるために,競争に勝つためには研究開発の速度が決定的に重要になることである。そのため,社会が適応できるか否かや長期にわたる安全性の確認が軽視されがちになるであろう。
 第3に,とりわけ第二次世界大戦以後では,核兵器の開発に典型的に見られるように,科学技術が国家間・体制間の軍拡競争を支える重要な要素となったため,人間や環境に与える影響や安全性は度外視して研究開発が急速かつ強力に進められていったのである。
原子力発電のように民生・産業用技術であっても,軍事研究開発に付随して生み出された技術は,人間や環境破壊的性格を生まれながらに刻印されているともいえよう。
 このように科学技術の発達の制御は非常に困難な問題を含んでいるが,現代の科学技術のもつ影響の大きさを考えれば,困難ではあってもその制御の方策を探ることは焦眉の課題となっているのである。
2011年6月11日(東日本大震災から3カ月)

この「科学技術の発達と制御について」の著作権は慶應義塾大学 経済学部 延近 充が所有します。
無断で複製または転載することを禁じます。

Copyright (c) 2011 Mitsuru NOBUCHIKA, Keio University, All rights reserved.


Column目次へ トップページへ(検索サイトからこのページへ来られた方用)