アメリカはなぜ戦争をし続けるのか?
― ドキュメンタリー映画「アメリカばんざい ― crazy as usual ― 」を見て

慶應義塾大学 経済学部 延近 充
イラクで何が起こっているのか,また,2003年5月のブッシュ大統領による「大規模戦闘終結」宣言後も,イラクに16万人もの兵士を派兵し続けているアメリカ社会で何が起こっているのか。
こうした問いかけを考えるための材料を与えてくれる映画が,今年7月に公開されたドキュメンタリー『アメリカばんざい― crazy as usual』である。
この映画は,制作サイドのプロダクション・ノートによると「新兵を生み出し続けるブート・キャンプと帰還兵に焦点をあて,その戦争体験を基に,現代の戦争をリアルに描いている。また,兵士となって戦場に駆り出された息子や娘たちを,アメリカの家族はどのように支え,どのように迎え入れてきたか,家族の姿から捉えた」映画ということである。
この映画との関わりは,私のウェブサイト「イラク戦争を考える」を見たという宣伝担当者から,2008年5月に取材ノートやプロダクション・ノートなどの映画作成のための詳細な資料と25分間の予告編DVDが大学の研究室宛てに送られてきたことに始まる。本編は7月26日の公開をめざして編集中ということで,できれば予告編を学生にも見せて,私と学生の感想をぜひ聞かせて欲しいとのことであった。
資料を読み予告編を見ると,興味深い情報と映像に満ち溢れていた。
イラク戦争で息子を失いブッシュ大統領滞在中のテキサスの牧場前で息子の死んだ意味を尋ねるために座り込んだ母親(シンディ・シーハン氏)らの活動の映像とインタビュー,

人権擁護団体のメンバーが米軍のリクルートの対象となっている高校生にアメリカの軍事費の大きさと増加の一方での福祉・教育費の抑制(統計的事実は不正確であったが)や軍のリクルートの実態を講義するシーン,

祖国のために奉仕したいと自らイラク派遣を望んで志願しながらイラク戦争の実態を研究した後に‘違法な戦争’としてイラク行きを拒否した将校(アーレン・ワタダ中尉)やその他の派遣拒否兵へのインタビュー,

ホームレス化したベトナム帰還兵やイラク帰還兵と支援センターの活動,

普通の若者を3カ月で命令に忠実に従う海兵隊員に変身させるブート・キャンプの訓練風景,

軍のリクルート・センターの前に座り込んでリクルートを妨害しようとする高齢の女性たちが逮捕・連行されるシーン,

アメリカの戦争の意味を問う人たちに対して戦争支持派グループが「自由のためだ,それだけだ」と叫ぶ映像・・・。
これらの映像とインタビューが,感情的過ぎるナレーションもBGMもなく淡々と綴られていくのだが,そのことがかえって問題の深刻さを訴えてくるのであった。さらに,イラク民間人の死者65万人(英国の医学誌ランセットの推計を利用していると思われ,その推計方法には問題があるにしても*)という字幕が挿入されて,アメリカの戦争で苦しむ相手国への一定の配慮も感じられた。
*イラク戦争によるイラク民間人の犠牲者についてはこちらをご覧ください
ただ,予告編はプレス向けのものということであり,そのせいか,ベトナム戦争やイラク戦争の過程と戦争にいたる過程,その背景などについての最低限の説明もないものであった。これでは予備知識のない人が見ても,ベトナム帰還兵やイラク帰還兵がなぜ心身ともに悲惨な状況におかれているのか,ワタダ中尉らはなぜイラク行きを拒否したのか理解できないだろうし,それらとブート・キャンプで思考停止させて命令に従うことだけを身に付けさせる海兵隊員の訓練や「自由のため,それだけだ」と叫ぶ戦争支持派との対比も明確にならないだろうと感じた。
その結果,多くの問題を抱えながら,それでも戦場に若者を送り続ける「アメリカばんざい」の意味するところ,言い換えればアメリカ社会が抱える問題の深刻さも伝わらないだろうと感じたのであった。
私のゼミでは2003年度と2004年度にイラク戦争を研究テーマとし,その成果を「イラク戦争を考える」と題してウェブ上に発表したのだが,その後は私が継続してアップデートしているだけで,現在のゼミ所属学生はこの問題に関してそれほど素養があるわけではない。この予告編は学生に見せる価値があると考えたし,学生も見てみたいとのことであったが,予告編を見せただけでは,上記のように理解不足となる可能性が高い。
そこで,第2次大戦後の国際情勢,インドシナ戦争とアメリカのベトナム介入から敗北の過程,9.11「同時多発テロ」事件以降の「対テロ戦争」の過程についての簡単な説明をした後,ゼミの学生に予告編を見せてみた。学生からは初めて知る事実,初めて見る映像であり,本編も見てみたいという声が多かったため,宣伝担当者に私と学生の感想およびプロダクション・ノートに記されたイラク戦争やアメリカ社会の統計的事実についての疑問点をメールで伝えた。何回かのメールのやり取りの後,試写会の日程が決まったのでぜひ見ていただきたいということで,7月1日の試写会に参加することにした。
以上が試写会までの経緯であるが,試写会では本編がどのようなものになっているのか期待し,私の目で見て有意義と感じられれば学生たちにも強く推薦しようと考えていた。
しかし,残念ながら取材ノートやプレス配布用資料などに書かれていた内容とは異なり,本編は期待を裏切るものであった。映画を見ていた間,特に前半部分は,「退屈だな,これから何を訴えたいのだろう,これじゃあ意味が伝わらないよ」と感じた。
ベトナムやイラクからの帰還兵の悲惨な状況や米軍や米政府の無責任ぶり・欺瞞,戦死者の母親たちの悲しみも(主題歌For The Mothersと合わせて)伝わってきた。
ただ,これらと冒頭の4000人の戦死米兵の墓標のシーンと合わせると,アメリカのために戦って死んだ兵士,悲惨な経験をして帰還した兵士に対してアメリカ政府は冷たい仕打ちをしている,彼らのために手厚い支援をすべきだ,というメッセージと誤解されかねない編集となっていたのである。
最初と最後に主題歌が流れる他は,全編がインタビューのみで構成され,それ自体は,感情的なナレーションや大げさな音響効果で視聴者を無理やり制作者の意図に引きずり込もうとするものでなく,事実のみを提供して視聴者自身の感性によって感じてもらおうとする手法と思われ,好感の持てるものであった。
しかし,登場人物の説明も非常に短い字幕だけで各シーンの状況説明のナレーションも字幕もないため,ひとりひとりがどんな人でアメリカの戦争とどう関わってきたのかが,非常にわかりにくいものであった。
私自身はベトナム戦争やイラク戦争の経過,アメリカ社会の状況についてそれなりの専門的知識があり,さらに予告編やプロダクション・ノートを見ていたので,映像やインタビューの意味がわかったが,何の予備知識もない人,私の教えている学生が映画だけを見たら,私以上に映画からメッセージを読み取ることは困難だろうな,と感じるものであった。
具体的な点をいくつかあげておこう。
(1)シンディ・シーハン氏の説明が「イラクで戦死した息子の母親」というだけのものであり,また映像にキャンプ・ケーシーというプラカードが写っていたが,その意味は説明されない。
したがって,2005年8月に,彼女が息子の死んだ意味を尋ねるためにブッシュ大統領の牧場前で座り込んだこと,地元の支援者が土地を提供し同じ境遇の母親や支援者が集まってキャンプ・ケーシーができたこと,これをきっかけとして,ブッシュ政権に対するイラク駐留米軍撤退要求運動が全米で高揚し,彼女がその運動の象徴的存在となっていったことが伝わらなくなっている。
(2)人権擁護団体のメンバーが高校生に軍のリクルートの実態を講義するシーンでは,アメリカの軍事費の大きさと増加の一方で福祉・教育費の抑制を高校生に講義するシーンはカットされていた。また,「貧困徴兵制」の問題は曖昧な取り扱いであった。
(3)ワタダ中尉らのイラク派遣拒否行動やその理由もカットされていた。
(4) 映画のチラシや「アメリカばんざい」のウェブサイトでは,ブート・キャンプの実態が強調されているが,ブート・キャンプによる海兵隊員養成の実態を描くシーンは映画の最後にほんの数分だけ,訓練兵を丸坊主にするシーンと銃を構える訓練シーンだけであった。また,チラシの背景写真となっている訓練兵たちの感情を捨てたような無表情な顔のシーンもなかった。
(5)シーハン氏を象徴とするアメリカの戦争の意味を問いイラクからの米軍の撤退を訴える人たちと,他方で戦争支持派の「自由のためだ,それだけだ」と叫ぶ映像との対比もカットされていた。
(6)戦争によってイラクの民間人に多数の死者が出ていることを示唆するような字幕も映像もなかった。
特に,ブート・キャンプの映像のカットによって,貧困から抜け出すために軍隊に入った若者たちがわずか3カ月の訓練で命令さえあれば人を殺す兵士に変身してしまうことを,言葉ではなく映像で訴えるという,まさに映画の真骨頂(と私は思うのだが)が捨て去られてしまっていたのは,非常に残念で「モッタイナイ」と強く感じた。
本編では,イラクでの戦闘でイラク人100人以上を殺す経験をし,2度目のイラク派遣を拒否したダレル・アンダーソン君の母親のインタビュー・シーンがかなりの時間をかけて流される。彼女がダレル君の幼少の頃や学生時代の写真を示して思い出を語り,次いで軍服を着た写真とイラクから帰還後の写真を示して「この顔は嫌い・・・」とつぶやくシーンは印象的であった。
しかし,これもブート・キャンプでの訓練の実態が示されてこそ,母親個人の感傷だけではない,ということが見る者の胸に訴えかけてくるのではないだろうか。
また,イラク民間人の死者65万人という字幕もなくなったため,アメリカ兵の数十倍にも上るイラク人の死傷者のこと,貧困だけでなく,何の罪もなく死の恐怖にさらされている人々のもっと悲惨な状況のことも浮かんでこない。そこから脱出する自由もない彼らに比べれば,アメリカ兵のイラク派遣拒否者も帰還兵もまだ幸せと言えなくもない。戦地に行くことを拒否できる自由があるし,貧困であっても生きていられるのだから。
プロダクション・ノートや予告編では「自由や民主主義のためという大義と,戦死者の母親たちの戦争の意味を問う素朴な疑問・イラク派遣拒否者の心情・帰還者の悲惨な状況との対比から,アメリカはなぜ戦争し続けるのかを問う」というメッセージが読み取れるものであった。
しかし,残念ながら試写会で本編を見た限りでは,上述した各シーンのカットや説明不足などから,このメッセージ・問いかけが伝わってこないものになってしまっていると感じたのである。制作者は,取材した膨大な映像を身を切るような思いで編集されたのであろうけれど。
宣伝担当者から送られた資料や予告編から映画の内容とメッセージに期待したため,厳しい批評となってしまったが,もちろんこの映画を見る価値を否定するものではない。
アメリカはベトナム戦争後に徴兵制から志願制に変わったが,それはアメリカ社会に何をもたらしたのか,戦場に送られた兵士たちがどのような経験をし何を考えているのか,ベトナム帰還兵やイラク・アフガニスタン帰還兵とその家族がアメリカ社会でどのような状況に置かれているのか,を考えさせてくれる。
そして何よりも,戦争をすることは多数の若者たちの犠牲をともなうこと,その家族たちに癒されることのない心の傷を刻むことを訴えかける映画である。
さらには,日本政府がアメリカに追随しアメリカの戦争に協力して,戦場に自衛隊を送ることを模索し続けるならば,この映画は近い将来の日本社会の姿を描くものになるかもしれないのである。
最後に。この映画を見る機会があった方,なかった方を問わず,このコラムを読んだ方が,「アメリカはなぜ戦争をし続けるのか?日本はなぜアメリカの戦争に協力し続けるのか?」を考えるきっかけとなれば幸いである。

(2008年7月2日記)

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