2001年9月11日アメリカ無差別テロ事件に思う

2001年9月13日記

事件の第1報がテレビで報じられたのは,日本時間で11日の午後10時ごろでした。私はその頃仕事部屋にいましたが,妻に「アメリカで大変なことが起こっているよ!世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだって!!」と呼ばれてテレビを見に行ったら,見覚えのある建物から煙のあがっている映像。え,ペンタゴンもじゃない!,それから明け方までテレビを見てしまいました。
その夜にテレビで繰り返し放送された映像はアメリカ映画の1シーンのようで,湾岸戦争のときもそうでしたが,あそこで何千人もの生命が奪われているという事実を日本で実感するのはむずかしいものでした。
しかし,時間の経過とともに事件にかんするさまざまな情報が報道されるにしたがって,またアメリカやイギリスに行っているゼミの卒業生からE-Mailで伝えられた生々しい情報に接すると,事件の悲惨さや犯人への怒りが実感をともなって感じられるようになりました。同時に,この事件をもたらしたものと事件が今後もたらすであろう事柄について,現時点で考えたことを書き留めておこうと思いました。
妻からニュースを聞いた瞬間,テロ?と思いましたし,アメリカ政府もニュースを伝えるテレビもテロと呼んでいます。しかし,少し冷静になってみると,これが言われているようにパレスチナ問題に関係するアラブ側の攻撃だとすると,彼らにとっては長年続く戦争の一部なのだと思えてきます。
テロ(テロリズム)も戦争も,何らかの政治目的のために暴力的手段を利用する点では同じでその厳密な区別は難しいのですが,世間ではテロの方が不当に(被害者にとって)突発的に行なわれる犯罪行為という位置づけのようです。
しかし,パレスチナ問題の長く複雑な歴史を考えると今回の事件をそのように位置づけるのは抵抗があります。
古代にまでさかのぼらなくとも,第1次大戦中,アラブ人とユダヤ人に対するイギリスの矛盾した対応(フセイン-マクマホン協定とバルフォア宣言),第2次大戦後のイスラエル建国と数次の中東戦争,英仏に代わるアメリカ(ユダヤ人の発言力強い)の中東支配政策。
こうした大国の政策のなかで多くの犠牲を強いられてきたパレスチナのアラブ人にとっては戦争は50年以上続いていて,今回の事件もその一環であり,アメリカ流資本主義と軍事力の象徴的存在に強力なダメージを与えた‘戦果’という意味合いをもっているのかもしれません。
テレビに映しだされたパレスチナ難民の子供やおばさんの歓喜の表情がそれを物語っているように見えます。
今日(13日)になって,ブッシュ大統領はこの事件を戦争と表現しはじめました。テロ=犯罪という位置づけであれば,犯人を逮捕し裁判によって処罰できるだけですが,戦争という位置づけであれば,支援者(とアメリカがみなす国・勢力)に対しても報復することが国際的に正当化されるという思惑があるのでしょう。
しかし,これはこの問題の歴史的経過とかかわらざるをえないことにもなり,アメリカにとって両刃の剣になる可能性を秘めていると思います。
小泉首相はアメリカの報復への全面的支持を表明してしまいましたが,湾岸戦争の苦い経験があるにしても,ちょっと軽はずみの感があります。日本の今後の選択肢を狭めてしまい,事態の経過によっては,かえって「日本の国益」を損なうことにもなりかねません。
もちろん今回の事件で失われた生命の重さを軽視しているのではありませんし,事件を正当化しているのでもありません。誤解のないように。テロであろうが戦争であろうが,生命や人権が不当に奪われることに対する怒りは人一倍もっています。これが私の研究テーマの原点なのですから。
*10月に入って,私の所属する経済理論学会の会員有志によるこの事件に対する声明と声明への賛同者の氏名が発表されました。Web上でも見られますので,下記のリンクからぜひご覧ください。(2001.10.9追記)

無差別テロと軍事行動との悪循環を断ちきる理性的行動を―日本の経済学者は世界の人々と諸国家に訴える―
(経済理論学会会員有志)

このページの著作権は,慶應義塾大学 経済学部 延近 充が所有します。無断で複製または転載することを禁じます。
Copyright (c) 2001 Mitsuru NOBUCHIKA, Keio University, All rights reserved.


Column目次へ トップページへ(検索サイトからこのページへ来られた方用)