第1章 高等学校段階での拡大教科書の在り方に関する問題の所在

中野 泰志


1.1 問題の背景

 2008年6月10日「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」(教科書バリアフリー法)が国会において成立し、同年9月17日に施行された。この法律の目的は、拡大教科書等の障害のある児童生徒が検定教科書に代えて使用する「教科用特定図書等」の普及促進を図り、児童生徒が障害その他の特性の有無にかかわらず十分な教育が受けられる学校教育の推進に資することである。拡大教科書の普及促進に関しては、文部科学大臣がその標準的な規格(標準規格)を策定・公表することとし、各教科書発行者は、それに適合する標準的な拡大教科書を発行する努力義務を負うこととなった。また、教科書デジタルデータの提供については、教科書発行者に文部科学大臣等へのデータ提供義務が課され、当該提供されたデータをボランティア団体等へ円滑に提供する仕組みを構築することとなった。そのため、小・中学校に通う視覚に障害のある児童生徒への拡大教科書等の給与実績は飛躍的に増えてきている。しかし、高等学校段階の拡大教科書に関しては、利用実態がわかっておらず、そのため、標準規格も作成されていなかった。


1.2 研究の概要

 小中学校の拡大教科書標準規格では、レイアウト変更した拡大教科書が推奨されている。これに対して高等学校では、弱視生徒の発達段階、社会的自立に向けた指導の必要性、経済的負担等の問題から、単純拡大教科書の可能性に関する議論がなされている(拡大教科書普及推進会議第二次報告,2009)。しかし、単純拡大方式と言っても拡大率、綴じ方、本のサイズ等によって、様々な拡大教科書が作成可能である。そこで、高等学校の主要教科について、様々なタイプの単純拡大教科書を試作し、レイアウト変更した拡大教科書と比較しながら、どのような単純拡大方式(拡大率、綴じ方、字体等)が適切かについて検討する。

 第1年次は、1)拡大教科書の要件を明らかにした上で様々なタイプの拡大教科書を試作し、2)弱視生徒を対象としたニーズ・実態・利用効率を調査し、3)拡大教科書で指導を行う教員の意識を明らかにするための試作・調査・実験研究を実施した。

 第2年次は、拡大教科書の有効性を向上させるためのフォントの要件に関する調査とレンズ等の拡大補助具の利用・併用を含めた総合的問題解決の在り方に関する調査を行い、弱視生徒の社会的自立を考慮した際の拡大教科書や補助具等の活用方法の在り方を明らかにした。


1.3 研究課題

 高等学校段階における拡大教科書の在り方を明らかにするためには、以下の課題に対して、科学的エビデンスを収集する必要がある。


1.4 研究目的

 小中学校段階の弱視児童・生徒に関しては、国立特別支援教育総合研究所や筑波大学等の全国調査があり、視機能等の実態も拡大教科書に対するニーズも明確である。義務教育であり、発達段階を考慮しても、アクセシビリティの確保は必須であるため、需要数も把握しやすい。また、標準規格であれば教科書会社の製作実績が増加しており、ボランティアによるプライベートサービス用にも電子データが提供されていることに加え、無償で提供できる体制が出来上がっている。

 これに対して、高等学校段階の弱視生徒の視機能の実態に関する調査は少ないし、ボランティアによる拡大教科書の製作実績も低いため、需要(ニーズ)が不明確である。加えて、発達段階を考慮すると盲学校では弱視レンズ等のエイドを使いこなす力をつけたいという教育目標も考慮する必要ある。また、供給体制を考えても義務教育段階と比べて、教科書のタイトル数が1000種類近くあることや無償給与の対象ではないこと等を考慮しなければならない。つまり、高等学校段階の拡大教科書は小中学校段階とは異なり、障害の特性だけでなく、発達段階や進路等を考えて活用を考える必要があるし、義務教育ではないためコストを含めた供給体制を考えなければならないのである。また、コストに見合うユーザ満足度の高い拡大教科書が必要とされる。

 そこで、本研究では、高等学校段階の拡大教科書の在り方を検討するためには、生徒や教員を対象にしたニーズ調査、出版社やボランティア等を対象にした供給体制調査、そして、最先端技術に関するシーズ調査等を行い、高等学校段階の拡大教科書の在り方に関する多角的な観点からの科学的エビデンスを蓄積することを目指す。なお、本研究によって得られたデータは、高等学校段階の拡大教科書の標準規格の策定、拡大教科書や拡大補助具の選定方法や指導方法の構築等に資することが可能である。

 高等学校段階における拡大教科書の在り方を明らかにするためには、1)拡大教科書の要件を明らかにした上で様々なタイプの拡大教科書を試作し、2)弱視生徒を対象としたニーズ・実態・利用効率を調査し、3)拡大教科書で指導を行う教員の意識を明らかにする必要がある。第1年次は、これらの課題を明らかにするために生徒対象のアンケート調査やフィールド実験、教員対象の意識調査を実施した。その結果、高等学校では好みも効率も小中学校段階よりも小さな文字サイズにシフト(小中学校段階で利用していた文字サイズは22、18、26、14ポイントの順だったのに対して、高等学校では18、22、14、26ポイントの順であった)していることがわかった。レイアウト拡大が必要でボランティアに依頼している生徒数は16名で、ほとんどが18から26ポイントでカバーできることがわかった。272名中63%の生徒が試作版単純拡大教科書の給与を受けているが、日常的に利用しているのはその半数強(54%)であった。給与された単純拡大教科書を使っていない理由としては、判が大きすぎる、文字が小さすぎる、補助具を併用しなければならないのが不便、フォントが見えにくい等が挙がっており、これらに配慮すれば単純拡大方式の教科書を活用できる生徒の数はさらに増えることが示唆された。また、すべての弱視生徒が拡大教科書を求めているわけではなく、拡大補助具があれば拡大教科書は必要ないという生徒もおり、その実態を明らかにする必要があることが示唆された。なお、レイアウト拡大が必要な生徒がいることは明らかであるが、その実態は不明確であり、拡大教科書と拡大補助具のどちらを利用すべきなのか、また、拡大教科書を作成する場合にはどのような方法を用いるべきかを含めて調査が必要であることが示唆された。

 以上の結果・課題から、弱視教育において拡大教科書に対するニーズがあること、また、拡大教科書によって読み書きの効率が向上することがわかった。しかし、フィールド調査で最大読書速度を求めた結果、文字をいくら拡大しても読書速度が100文字/分を下回る生徒が24%もいることが明らかになった。進路を考慮すると、この読書速度は必ずしも十分とは言えないと思われる。つまり、拡大教科書さえ提供すればよいのではなく、拡大教科書等を使いこなし、効率的に読み書きをするための指導が重要だということが明らかになったのである。そこで、本年度は、拡大教科書、ルーペ等の補助具、デジタル教材等を選択し、使いこなす能力を拡大エイド・リテラシーと定義し、その実態を調査する。また、拡大エイド・リテラシーを育てるためにどのような指導がなされているかの実態も調査する。そして、拡大教科書、ルーペ等の補助具、デジタル教材等を組み合わせた総合的問題解決の在り方を明らかにし、拡大エイドに関する指導法を提案する。


1.5 本年度の研究内容・方法の概要

 本年度は、a) 拡大エイド・リテラシーに関する実態調査、b) 進路を考慮した拡大エイド選択に関する調査を行った上で、c) 弱視生徒の社会的自立を考慮した総合的問題解決の在り方に関する指導法の提案を行った。

 結果の詳細は第2章に示したが、拡大エイド・リテラシーの実態を調査するために、盲学校高等部(普通科・保健理療科)に在籍し、教科学習を行っている弱視生徒へのアンケート調査を実施した。また、進路を考慮した拡大エイド選択の在り方を明らかにするために、全国の盲学校の教員を対象にしたアンケート調査、盲学校高等部の弱視生徒に対するアンケート調査、学校を訪問してのヒアリング調査、専門家や当事者へのヒアリング調査を実施した。これらの調査結果に基づき、弱視生徒の社会的自立を考慮した総合的問題解決の在り方に関する指導法を第3章で提案した。


1.6 研究計画

 本研究は2年間で実施する。

 第1年次は、高等学校段階の拡大教科書の標準規格策定に資するために、a)各種拡大教科書の試作研究、b)盲学校に在籍している弱視生徒に対するアンケート方式の実態調査、c)試作した拡大教科書を用いたフィールド実験、d) 特別支援学校(視覚障害)(以下、盲学校と記す)教員に対するアンケート方式の意識調査を実施する。

 第2年次は、a)現行の小中学校段階の標準規格でも課題として残されているフォント(書体)等の在り方を明らかにするための調査、b)レイアウト拡大が必要な生徒の実態調査と効果的なレイアウト拡大教科書作成方法の検討、c)拡大教科書、ルーペ等の補助具、デジタル教材等を組み合わせた総合的問題解決の在り方調査を実施する。


1.7 倫理的配慮

 本研究は、人を対象とする研究が世界医師会ヘルシンキ宣言及び関係学会が定める倫理綱領及び諸規則等の趣旨に則って倫理的配慮に基づいて適正に行われることを管理・審査する「慶應義塾総合研究推進機構研究倫理委員会」で研究計画等の承認を受けた上で実施した。参加者の抽出は盲学校等の協力を得て行い、プライバシーの保護と権利擁護には細心の注意を払った。研究への参加依頼においては、まず、盲学校の責任者に研究目的、研究方法、倫理的配慮等に関して説明を行い、了解していただいた上で、参加者を募集していただいた。参加者には研究の目的と意義、個人情報の保護方法、研究成果の公開方法等の説明を行い、同意が得られるかどうかを確認した(インフォームド・コンセントを得られない参加者は対象としなかった)。個人情報保護リスクに関しては、データの匿名化を行い、研究実施期間中は、連結対応表を個人情報管理者(研究代表者)が管理することで対処した。


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