経済問題メーリングリスト
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経済問題メーリングリスト
2003年11月15日〜
ここにある文章は、一般社会人、学生、その他、とくに社会学を専門に学習しているわけではない者同士で、タテ社会について論じた記録です。

[01732] 司会:場の共通性

司会です

言葉の定義を明確にしなければ議論の収拾がつかないので、中根氏の定義を受 け入れることには同意してください。

まず、縦、横ではなく、カタカナ表記のタテ、ヨコと書くことにします。縦、横 と漢字で書く場合は、議論の本筋とは関係なく、自分のイメージだけを述べる 意見ということにします。

01702で提案した定義は少し変えることにします。

ざっと読み返しただけですが、『タテ社会の人間関係』にはタテ社会、ヨコ 社会の定義はありませんでした。

「タテ集団」「ヨコ集団」という概念は次の図で定義されています。

   a      a
  △     / \
 b  c   b   c

ヨコ集団   タテ集団

どちらの集団でも a がリーダーです。a が上、b、cが下という上下関係が あります。2つのちがいは、bとcとの間に水平的な関係があるかないかです。

もちろん、これは模式図なので、完全なヨコ集団、タテ集団と呼べるものが 現実にあるかどうかを議論しだすと混乱します。ある程度割り切った議論を することは当然のこととしましょう。その上で「日本の会社や役所がこの図 で表現されている意味でのタテ集団」なのかを話し合いましょう。(テーマ1)

***

タテ社会、ヨコ社会については01679にあった整理を利用します。なにしろ 本文中で定義が明確になっているわけではないので、本全体で言っている 日本社会の特徴をタテ社会の特徴と考えることにします。
  タテ社会 ヨコ社会
(1) 集団構成の第一条件 場の共通性 資格の共通性
(2) 集団維持の要素 温情主義 契約関係
(3) 序列決定要因 組織に入った順番 実力の増減
『タテ社会の人間関係』での強調点は(1)です。(2)(3)はタテ社会の定義を 構成するのではなく、(1)で定義されるタテ社会で必然的に生じることとさ れているようです。

タテ、ヨコという言葉に引きずられずに、まず「場」への帰属が日本人すべ ての社会行動の基礎にある、という考え方について検討するのがよさそうで す。この点について意見を出してください。(テーマ2)

[01733] 利潤追求とタテワリ

大平です

どのような組織でも、効率よく、しかも永続的に運営していくためには、必ず 上下関係=タテ関係を設定するはずです。この点については01727の方と同じ 意見です。

「ヨコ関係が出来るかどうかはトップ以外の階層の価値観の問題」
「階層化と部門化を行ったトップは、部門間が連係して機能すること を期待しているはず」
という2つの意見はどちらも本当なんだろうと思います。

01720で私が言いたかったのは、利潤も理念も追求しない組織(があるとしたら) ことになるのではないかということです。利潤や理念を追求する組織では 目的達成のためにタテ、ヨコ関係がうまく機能するよう、さまざまな 工夫をするはずです。たとえば、情報共有の努力です。

利潤を追求しない組織 → タテワリ であって、タテワリ組織=利潤を追求しないと言っているわけではないです。

[01734] 筆者によるヨコの説明

参考までに

『タテ社会の人間関係』の現在の版に次のような注釈があります。

筆者の意味する組織構造としての「タテ」というのは、単にタテにつながる関係 (ヨコにつながる関係と対比して)ではない。

たとえば、村落における年齢集団、上下関係のない講組的集団、会社における 同期のつながりといったものがあるから、タテではなくヨコがあるとか、また、 最近は親子(タテ)のつながりよりも、夫婦(ヨコ)のつながりが強くなって きたから、必ずしもタテが強いとはいえない、などという意見が散見するが、 それは・・・「場」による集団の特性・・・を理解していない言い分である。 これらの「ヨコ」の関係というのは、すべて場による集団内部に限定された ヨコなのであって、筆者の意味する組織構造としてのヨコの機能をもちえない ものである。

本書の題名に「タテ社会」という用語がつけられたため、筆者の理論の前半を 構成する、場による集団の孤立性という点がクローズ・アップされなかった きらいがあるが、タテ組織の温床は実にこの場による集団の孤立性にある ことを想起されたい。

ヨコが機能するということは、異なる諸集団をクロス・カットする同類集団 としてのネットワークをもちうることである。

----------------- 以上75ページからの引用です -------------------

[01735] 定年退職者OB懇親会に見られる「場」への帰属意識行動

先日、会社を定年退職したOBのオジサンたちの集まりに、お手伝い要員としてかり だされ、いろいろとごちそうになっちゃいました。

オジサンたちは口々に「イヤー名刺がないってのは困るもんだね。再就職口あったヤ ツはいいよ。非常勤でも通う職場があって肩書あればさ。」「元・何々(企業名)の 誰々デスってのもなあ。」と言っていました。

つまりこれが「場」への帰属意識ということですか?名刺がない,肩書がないという ことに,オジサンたちはコンプレックスがあるように見えました。会社は一応世間で 言われる大手企業なので、再就職口がたまにあっても、カタガキに拘って二の足を踏 む人が多く、イイ人たちなんですが、元いた会社の名前に縋っているように見えて、 なんだかカッコ悪いなあと思いました。

オジサン達の年齢は60代前半ですから、高度成長期時代にモーレツ社員していた世代 です。

この人たちの間にヨコ集団的横つながりはありますね。現にこんなふうに集まっては 思い出話に花を咲かせていますから。ですから、日本全体ではわからないけれど少な くとも

テーマ1)ウチの会社のOB連中は水平の関係があるので「ヨコ集団」と言える
テーマ2)ウチの会社のOB連中は「場」への帰属意識が強いと言える

です。

[01736] 場への帰属

田貫です

定年退職者の集まりの例、よくわかります。 場への帰属が日本の特徴という好例ですね。

01734の引用を読むと、OBが退職後も集まっているのは、ヨコ関係がある からではなく、定年後も会社への帰属心が強いからと考えるんですね。 ともにどこどこの会社のOBである=同じ釜の飯を食った、という関係なしには おじさんたちは集まらない。たしかに日本の会社人はタテ社会の中で生きてい るように思います。

場ということで連想するもう一つのものは家制度です。

この文脈での「家」は家族の概念とはちがうものですよね。 家族は血縁関係に基づくイメージですが、家制度というのは 血縁関係を前提にしないものというのが私の理解です。

お家の存続のためには血縁関係にない者を養子にすることもあるし、 実子を追い出すこともある。お家の大事は家族の大事というわけではない。 使用人も含めて「家」という意識がある、などなど日本の家制度での家は、 家族を中心にすることが多いですが、実際には会社のようなものと理解しています。

[01737] 神

「場」への帰属、と言うとき、日本人にとっての「場」とは西洋で言 うところの「神」なのではないかという気がします。 どちらも「個人を超越した存在」として位置付けられており、人間が 社会を形成していく上においては、そういった「超越した存在」が必 要なのではないか、と思います。 自己を「個人を超越した存在」との関係の中で位置付けることによっ て自らを「肯定化」しているのではないかと思うのです。

西洋では、「神」が「場」よりもさらに超越した存在として君臨して いましたので、人々は「神」に帰属しているという意識が強かったの ではないか、と思います。

もちろん日本にも「仏」というものに帰属している人たちはいました が、それは西洋ほどには庶民の間に根付いていなかったように思います。 したがって、「神」というものを「構築」することができなかった日 本においては、個人の「安定化」「肯定化」を図るためには「場」に 帰属するしかなかった、と言えるかもしれません。

ところが、この「場」というものは「神」ほど頑丈にはできておらず、 その脆弱性を補い、確固たるものにするために、それに帰属する人た ちを「タテ」に階層化し、「場」はその頂点に位置付けられるものと したのではないかと思います。

西洋では、「神」というものがあまりに強固であったがために、“タ テ社会”にする必要がなかったのではないかと思うのです。

[01738] Re: 企業のタテとヨコ社会

企業は90年代初頭まで、タテ社会であったが、バブル崩壊に至り、多くの企業がヨ コ社会になったらしいが、どちらにもメリットとデメリットがあるらしい。
タテ社会型メリット
支持系統が明確であり、管理職の管理範囲は固定的で管理しやすい。
タテ社会デメリット
上の決定を必要とする意思決定に時間がかかり、官僚主義の温床になりやすい。

ヨコ社会メリット
上下の意思決定を迅速にしやすく、現場での当事者意識を醸成しやすい。 横の関係は複雑になり、責任範囲があいまいになる。

[01739] 婿取りに親族会議「タテ社会」の家柄

田貫さんの「場」としての「家制度」の話は実によくわかります。 私の母方の家が旧家なのですが、なにかと父方の家を蔑むので、子どもの頃からとて もいやでした。父方の実家は5代位前までは名前がわかり、どこからやって来たかも 解るのですが、それ以前はわからない、古い系図の残る母方の実家から言わせれば 「どこの馬の骨だか」と言う家です。

この母方の実家の、私の従姉妹たちは二人姉妹で、いわゆるあと取り娘でした。が、 長女が半ば駆け落ち同然で家を飛び出し結婚、次女はいろいろありましたが、長くも めた末、両親と祖父母とうちの母まで帰郷しての親族会議で決まった相手を婿にとり ました。

私達従姉妹はみんなして彼女を救いたくて、随分親や祖父母、叔父伯母たちともめま した。

ものすごく馬鹿げているとは思いませんか?でも現実に「家柄」だとか名を残すため 墓を残すためにこういうことをするんですよね。

日本だけではなく、むしろヨーロッパの社交界など貴族の末裔には、この手の家問題 がよくあるのではないでしょうか。だとすると、日本に限ったことではないですね。 韓国もありそうですね。

[01740] 序列意識(テーマ1)、 0170 8さんへ

藤田です

【序列意識(テーマ1)】
序列意識はタテ社会の象徴でもあると思います。中根氏も82頁以降に次のような事 書いています。

「日本社会における序列偏重は年功序列制などという近代社会に発達した制度を取り 上げるまでもなく 違和感なく発揮されています。第一に私たちは序列の意識なしには席に着くことも しゃべる事もできない。」

確かに日常のどんな場合でもこの意識は私の中にもある。 例えば、この人は「上司だから敬語を使わなければならない」というように無意識に 言葉がでるし対応している。 序列意識は潜在意識になっている。 考えてみると序列意識については家庭や学校で教育されていた。 階層型の組織ではOJTなどでそのように教育されている。

車の乗車の順番だって、お客さんが応接室に座る順番だって教育されている。

能力主義を適用するために、企業は組織のありかたや処遇や評価を考えて悪戦苦闘し ているが このような根強い序列意識は現在も存在すると思う。 その為、今まで部下だった年下の上司が着任したりするととても遣り難い。その上司 自身も遣り難い。

他方、クリエイティブな人達には序列意識がないように思う。 自分の技術がすべて。年功序列ではない。

「能力主義が実行されているとすれば序列意識は交代しなければならないはずだ。」 と中根氏は述べている。

このようにみると、序列意識が普通に存在する企業と序列意識が交代している企業が あると思う。

【01708さんへ】
遅くなりましたが・・・・。フラット化について
先ず確認します。
中根氏によると(26〜27頁)
ヨコ社会(一定の個人を他から区別しうる属性により集団が構成される場合)を 次のようなカテゴリーに分けて考えています。
生まれながらに個人に備わっている属性=氏・素性など
生後個人が獲得したものも=学歴・地位・職業など
経済的にみると、資本家・労働家・小作人も資格
男・女・老・若の社会的相違も資格

タテ社会は集団主義ですから個人はいても個人主義ではないように思います。 個人の意義を認めていませんから・・・・。 ヨコ社会に属する人は個人主義が確立しているのが理想だと思います。 タテ社会に属する個人と同じ人間ですがヨコ社会に分類されると個人主義。

「フラット化の結果すすむ個人主義化がヨコ関係を作り出すかどうかは別問題ですよ ね。」 という01708さんの意見へ

個人主義化しても結局そのグループは同じ目標に向かって仕事をしているわけです。 上司への情報伝達がスピーディになることや個人の責任が明確になること等がフラッ ト化のメリットです。

しかし、そのグループとしての目標達成には当然その組織内でのヨコの繋がりは無視 できるものではないと思います。 でもこの場合のヨコ関係は中根氏のいうヨコ社会ではありません。 これは集団内部のヨコ関係であり組織構造としてのヨコ社会ではないようです。

フラット化すると個人のスキルを上げなければなりません。 責任は自分で負わなければならないし、他社との競争に勝つためには 企業として早い情報処理能力が必要。 レベルアップして資格を取得している人の集まりになれば その資格についてヨコのつながりが出てくると思います。 例えば生命保険会社におけるFP(ファイナンシャルプランナー)とかはどうです か。

「個人主義には対等な人間関係をつくる場合と、人間関係を拒絶する 孤立した生き方を作り出す場合とがあると思います。」 という01708さんの意見へ

同感です。

〈個人主義〉
前者=対等な人間関係をつくる場合
後者=人間関係を拒絶する孤立した生き方を作り出す場合

前者の『対等な人間関係』をつくる場合が真の個人主義で望ましいと思います。 後者の場合、社会人であり企業において労働するということは利潤を得たいと最低限 考えている人。

利潤を得たいと考えているのは社会生活を送りたいと考えていると思います。 ですから社会生活を放棄するのではないと思います。 その人個人が排他的であるのではないでしょうか。 (タテ社会はその集団のソトに対して排他的)

後者は個人主義というより利己主義なのかもしれませんね。

日本の場合、前者の関係ではなく後者の場合が多いのかもしれません。 後者は集団主義から個人主義への『過渡期の個人主義』のような感じもします。 職種によっても違うと思いますけど、どの道人間は一人では生きて行けない わけですから、技術者でも実際はお客さんのニーズに合わせることが必要に なるだろうし、人間関係を拒絶した社会人が社会生活を送るのは大変な事だと思いま す。

フランスに住んでいた友達にフランス人のことを聞いてみました。 フランスは個人主義が確立されていて契約社会であるそうです。 結婚する時も離婚に備えて契約書を交わすらしい。・・・合理的だ。 個人主義について彼らはドライのようにも一見みえるけど、 日本人のように先回りして気を使い心配はしないが、 自分からこういう理由で悩んでいると相談すればきちんと相談にのってくれる。 優しさがないわけでなく合理的だといっていた。

[01741] 名刺からみる文化人類学

西欧諸国、特にドイツ人の名刺を見せてもらうと、ちょっと驚くことがあります。 学歴が書いてあるんです。

普通は、博士号とか修士号ぐらいでタイトルを名刺にかくのでしょうが、

学士ばかりではなく、なんの資格を持っているかの免状みたいなものまで細かく書い てあるのを見かけます。

日本でそれをすると差別といわれそうですね。 やっぱり「場」が強調されているから。(笑)

[01742] 何がなんでも PhD

実業家であるユダヤ系アメリカ人の友人は、資格にこだわります。人生にとってなに よりも博士号をとって(大学名はこだわっていない)ビジネスを創めることが大切だ と言い切っています。

それで、「君がどうして学部の通信教育でこんなに時間がかかるっているのかが、わ からない」と言われます。

[01743] フラット化とLLC

イトウです。

[1740]藤田さんの年功序列による序列意識についての説明を読んでいて、体育会に所 属していた友人のことを思い出しました。 ただ、年齢順ではなく入学順による年功序列です。実力があっても1年生が桧舞台に 出ることはないので、「資格」ではなく「場」を重視。彼の所属部は、その世界では 優勝から程遠い成績だったので、余計に競争心がなく、先輩が幅を利かせたいと、そ れだけだったような気がします。強くなりたければ、メンバーは必然的に強いモノが 認められ「資格」が優先されるでしょうし、強い学生を入部させるため、辞めさせな いために努力もするでしょう。

気になったのは「フラット化」のことです。 「フラット化」は、中間管理層がいなくなり、タテの構造が簡略化されるだけですよ ね。構造としては現在の日本企業のタテの構造と変わりはないと理解しています。プ ロジェクト企画立案後の決裁権は依然上層部にあり、実現まで多少の時間的なロスは 軽減されても、やはり即効性を競うようなビジネスでは、競合相手に負ける可能性大 です。 それに比べ、前に挙げたLLC制度はヨコの構造と言えます。

LLC制度の説明を日本経団連関係のプレスニュースからひろってみました。 「LLC制度では、すべての出資者を有限責任とし、事業体が自身として財産の所 有、業務を行う有限責任会社の利点を有しながら、組合のように運営の弾力性を有し つつ、設立された事業体の段階では所得課税を行わず、その損益を出資者の段階で課 税する税制の導管としての利点を併せ持つもの。リスクの高い新規事業への進出、事 業の再構築、複数の企業の共同事業を進めるための手段として、日本でも同様の仕組 みを導入すべきとしている。」とあります。つまり、企画立案から実行までが迅速且 つスムースになり、グローバルなビジネスの競争社会において、勝ち残る比率が高く なるということで利潤メリットがのぞめるというものです。

司会者と[1734]の方の注釈で、「場を重視したタテの組織構造」について、多少解っ てきました。

多くの日本の企業構造が「タテ」だとすれば、このままではダメです。世界に遅れを とっていくこと必至です。 LLC制度導入に向けて、官民双方で推進していく傾向には賛成です。

[01744] 日本(人)は変わったか議論

中根は続編として『タテ社会の力学』というのも書いています。(こっちはベストセ ラーにならなかったですが) その付記にこんなことが書いてありました。(長くてごめんなさい・・ペコリ)

「日本(人)は変わったとか、変わらないという議論がよくきかれます。いったい、 こうした議論にどこにキメテがあるのでしょうか。どうもこうした議論は論者の意見 表明であったり、ジャーナリステックな表明の域を出ないような気がします。それ は、ある時点に、ある観点に立ってなされた現象記述にすぎなく、とても科学的な理 論にはならないようです。理論にならなくてもよい、という人があるかもしれません が、それは自己満足か、たまたまその特定の事柄、観点に興味をまった人々の関心を ひくきわめてせまい範囲にしか通用性がないのです。」(pp.172−3)

そしてアンケート結果とかデータとかで提出される「日本人の意識変化」などの結果 と理論的提示は異質のものであり混同してはならない、 みたいなことが書いてありました。

インタヴューでも中根氏は「今の日本社会はかなりスマートになったと思いますが、 やはり『タテの関係』というのは、組織の核心部分ではまだまだ機能している」と述 べていました。

[01745] Re: LLC、団塊の世代、タテ社会

イトウさんのLLC制度、魅力的そうですね。(難しいので完全に理解はできていませ んが・・) 問題は果たして、うまく機能するかどうかだと思います。

ところで、中根はタテ社会の人間関係を全面否定はしていないと思います。 それどころか肯定的に受け止めている部分が多いのではないでしょうか。 だから企業に働き集団に奉仕する団塊の世代の人たちの自己確認として読み継がれて いったような気がしています。(違うかな?) 場を重んじる集団主義は日本の近代化に貢献したのです。 日本の発展のかぎは「タテ」社会的特徴にあったと言っているんだと思います。

[01746] Re: 神

itoさんの投稿はとても刺激的でした。 いままた読み返して鋭いなと思いました。

べラーという人が『徳川時代の宗教』という本 を書いていて、

明治以後の近代国家建設と産業化に日本が成功 した原因を徳川時代における宗教倫理と社会発展 の分析から導き出していました。

徳川時代の石田心学とプロテスタントの倫理 を比べて集団功利主義的奉仕のことに書いている ようです。

[01747] 本当に水平的関係はないんでしょうか

大平です

「日本の企業構造が「タテ」だとすれば、このままではダメです。」という 01743でのイトウさんの意見には賛成です。ただ、前提になっている「日本の企業 構造が「タテ」だとすれば」という部分が正しいのかどうかが、とりあえず 明確にしたい点です。

以前に徳川時代の歴史的意義が話題になりました。歴史に対する興味というのでは なく、『タテ社会の人間関係』の主張は、
ということだからです。タテ指向は徳川時代に成立したのではなく、2000年くらいの 伝統をもつものであり、今後も変わらないという考え方です。

もしこの主張が正しいとすると、企業組織をどのように作りかえても、実際の 人間関係はタテの力学だけになってしまいます。でも、本当に日本の企業組織、 その他の社会組織では水平的な関係が成立しないのでしょうか。その点について 理論的検討ではなく、社会人の素朴な感覚、実体験に基づく考えを出してもらえ るといいのではないかと思っています。

[01748] 奉公

[01746]で、「集団功利主義的奉仕」ということが述べられていまし たが、まさにこの、個人を犠牲にした「奉仕」とか「奉公」という感 覚は日本社会の中にいまだ根強く残っているような気がします。

サービス残業や休日出勤はあたりまえみたいな組織は今なお少なから ず存在していますし、「己」を殺すことが一種の「美学」のようにな っており、そういったことが「人間」の価値判断の基準となってきた 部分があるように思います。

ただ、私は明治以降の日本社会の発展には、「天は人の上に人をつく らず、人の下に人をつくらず」という福沢諭吉の言葉に見られるよう な、「個人の権利」というものに対する意識の“芽生え”が大きく影 響しているのではないかと思います。 こういった「平等」という概念は西洋から取り入れた思想ですから、 そういった観点から、日本は、「ヨコ」の思想を取り入れた「タテ社 会」である、と考えるのはどうでしょうか?

[01749] 日本の家の防衛の弱さ、権力のハイアラーキカルな構造

日本の家の防衛機能の弱さを指摘している人もいます。

「集団の成員が社会的に非難された場合には、その集団は一致団結して成員を擁護す るのが一般的であるが、日本は逆になっており、当の集団自体も外部の非難に同調し てしまうのである」 と述べています。(べネディクト)

「多くの日本人にとって、家族や友達や同僚は、政府や会社の権威に面と向かって、 自分を支えてくれたり精神的な支えになってくれる緩衝役ではないのである。肌すれ すれのところまで政治的な世界が広がっているわけだ。また逆に、世界全体が”私” の世界だといってもよいかもしれない」(ウォルフレン(『なぜ日本人は日本を愛せ ないのか』の筆者)

01751-1 学問の条件

大平です

01744で引用されている中根氏の意見のうち、社会に関する議論が という部分は同感します。ただし、同じことを「日本人にタテ志向が強い」という 考えにも感じます。ある時代にしか通用しなかった考えではないでしょうか。

ある主張が科学、学問であるためには「どのような事実が提出されればその理論が 誤りであるか」という判断基準が明確になっていることが必要です。正しいと主張する だけでは科学でもないし、学問でもないです。 このような手続きを踏んではじめて学問的な理論と呼ぶべきです。

司会者の提案したテーマ1については、日本の会社、役所組織の中に水平的な組織 があり、それが機能していることを示すことで否定的な結論を出せるというのが私 の理解です。

たとえば、役所だって純粋なタテ割り組織ではなく、企画調整局のような部署が あって全体の調整をしているし、人材が部署間で異動しているというような事実を 出すだけでいいのではないでしょうか。

01751-2 豊かさのパラドクス

田貫です

連休中に『「豊かさ」パラドックス」という本を読みました。1986年、つまり バブルの真っ只中に出版された本なので、少し違和感もありますが、今回の テーマを考える上で参考になることが多かったです。少し長くなりますが、 司会者が要約してくれるとのことなので、要点を並べます。

タテ、ヨコに対応する概念として2つの基本モデルを出します。

対称モデル  交換、競争、コミュニケーション、平等、自由
非対称モデル 搾取、支配、権威と権限、不平等、強制

80年代に日本の経済力が世界トップにならんだころから、日本社会を 見るモデルが、非対称モデルから対称モデルに変わってきた。タテから ヨコへの変化ということでしょう。この変化があり、自由で平等な社会の中で 豊かな生活を送れるようになったと思っているが、「結局は産業社会の中で 分業を効率よく進めるために、現代の組織人はひどく権威に従順だし 同調性も高い」というパラドクスがあるというのが著者の見解です。 平等、自由を支える人間の意識はタテということでしょうか。

欲望が際限なく刺激されている一方で、欲望の内容が産業社会の枠内の ものでしかなく、予測可能性、合理性といったキーワードで理解できる ものばかりで、ロマンチシズムや気高い情熱・産業社会自体を破壊しよう といったエネルギーはなくなっている。そういう意味でのパラドクスも 指摘しています。

以上のほか、次のような文章がありました。

01751-3 上下は必要

どんな人間でも、上下関係を求める気持ちがあるんだと思います。 絶対的な神がいる社会では、人間界でヨコ関係、 いない社会では人間界にタテ関係が発達するという考えは説得的です。

人間界に序列があったとしても、神の下の平等のほうが大事という 社会では、水平的な思考が発達するんだと思います。

01751-4 Re: 学問の条件

大平さんの「学問の条件」とても勉強になりました。

しかし「日本の会社、役所の中に水平的な組織があり機能しているということ」を実 証することは困難に思えて仕方がありません。

ひとつに企画調整局という全体の調整をしている部署が存在したとしても、それが機 能しているかどうかについては意識調査でもしない限りわからないからです。

また、京都の役所に勤めていた人が東京の役所ではタテらしいという比較論だったら わかりやすいのですが、京都の役所にしか勤めていない人が どのようなことでもって「水平らしい」と判断するのは難しいと思えます。

タテかヨコかの判断の決め手は結局、外国しかも歴史も風土も違う文化圏との比較で もっともらしい経験談を提示するのが説得力のある方法なのかなと感じてしまいまし た。

日本社会の構造を最も適切にはかり得るものさし=社会構造を抽出することによって 出てきた基本原理が「タテ」だったと述べていらっしゃいますが・・。

[01752] 日本の美学に縛られる「タテ社会」

大貫妙子の1ファンです。

日本企業はその多くが中根の指摘する「タテ社会」構造をとっていたと思う。 そして現在は、会社内の「下克上」が盛んに行われているので、「タテ社会」である とは言えないと思う。

しかし、今後「タテ社会」ではなくなっていくか、という問いには、残念ながら「ム リだろう」と言わざるを得ない。

なぜなら、フラット化や下克上によって実力本位でヒエラルキーを上昇して行ける環 境ができていっても、日本人の「慣習」が、日本人の潜在意識の中で大きく働き、こ の現実の違和感を拭えないという理由から、それを許さないからである。 この「慣習」は徳川幕府政策による江戸時代以降のものではなく、もっと以前の古来 からのものの蓄積が大きいと思う。「慣習」は「礼節」に通じ、人を縛り、「場」へ の帰属意識を高めさせ、「おくゆかしさ」「おもいやり」といった温情主義を武器 に、儒教、朱子学と家父長制度を所以としたう「上を敬う」年功序列を完全には崩さ ない、日本人の「美学」とも言えるからである。

就職してから約20年、二つの大企業の正社員を経験してきて、今私が思うことで す。

・・・ネガティブでごめんなさい。月に一度は妙子節なわたしです。

[01753] 正しいモノサシ

病床のミッシェル・フーコーです。

皆さんの投稿を読んでいて思ったんですが、かなり保守的ですね。 だいたい中根さんは参考文献もなくただ自分の旅行した経験に基づいて『タテ社会』 を書いていて、「タテ社会は変わらないもの」とまで言い切っています。 ノーグラウンド(根拠なし)です。証拠がないのです。 それを間に受けているのもなんか不思議です。 それにもしタテ社会がイヤであれば、ヨコにすればいいのに。文化や社会は自分で創 るものですよ。

それよりこの本をインドの研究者が読んだらびっくりするでしょうね、あまりにも主 観的過ぎて。インドの実態は悲しいものです。

この本が日本の学会に認められていてベストセラーというのもまたため息・・。正し いものさしが必要ですね。

[01754] 言語

タテ組織の中に存在する水平的な組織は、大元のタテ組織を維持する 手段として機能していると考えることもできるのではないでしょうか。 したがって、そのことをもって「タテ社会」であることを否定的に結 論付けるのは性急的なのではないかと思います。 反例と成り得る事実を提示するのであれば、むしろ「タテ組織」を “内在している”水平的な組織を提示するべきなのではないかと思い ます。

[01676]で、言語と関係があるのではないかという意見が述べられて いましたが、私も、 そもそも日本語の言語体系自体が「タテ」の関 係を形成するような構造になっているのではないかと思います(ある いは「タテ社会」であるがゆえにそのような構造になったのか)。 日本を、水平的な関係をメインとする社会にするには、その国語教育 において少なくとも、常に主語を明示する、謙譲語をなくす、といっ たような形にする必要はあるかもしれません。

たしかに水平的な意識は日本社会に浸透しつつあるとは思いますが、 実力主義をとっていると思われる組織でも、実力のある年下の者が実 力のない年上の者に対して“先生”呼ぶこともありますし(たとえば 「棋士」の世界など)、また、政治家は国民の“公僕”であるにもか かわらず「先生」なわけですから、こういった“タテ意識”は依然と して根強く存在していると思います。

現在の日本社会における水平的関係とは、まだまだ「手段」や「概念」 といった意味合いが強く、西洋のように水平的関係が“感覚”として 根付いているとは言い難いと思います。 つまり、「意識」が社会の変化に追いついていないのではないか、と 思うのです。

[01755] 学問と科学

大平です

あえて学問と科学とを混同して説明したのですが、やっぱり修正します。

私が01751-1で書いたことは「科学」の条件です。科学にもいろいろな定義 があるのですが、その中でもっとも確立していると思われる「論理実証主義」 と呼ばれる定義にしたがった説明です。

学問がこの意味での科学である必要はありません。経験・観察で 正しいかどうかを実証(反証)できるような命題だけが学問の対象だと 言ってしまうのは言いすぎでした。学問の分野で扱っているもう一つの こととして「世界観の提示」ということがあります。言っていることが、経験 データに裏打ちされている必要はなく、正しいか正しくないかの判断は人間の 直感にたよります。あるいは、議論で勝つかどうかで正しいかどうかが 判定されます。単純すぎる整理ですが、

(1)事実を重視 --- (2)事実とリクツをバランスよく --- (3)リクツを重視

と、事実・リクツをどのくらい重視するかの程度分けをしたとき、

(1)役にたてばリクツはいらないという議論 ---(2)科学 --- (3)世界観の提示

という言いかえができます。学問ではこのすべてを対象にしています。 (1)は一見すると非学問的に見えますが、リクツはともかく、実験を積み重ねて 何ができるかを確認していくような分野が含まれます。(2)(3)の話しをする上 で(1)の議論を積み重ねることはとても重要です。

「日本はタテ社会」という命題が(2)の科学であるためには反証の方法を 明示する必要がありますが、(3)の世界観の提示だというのなら、どれだけ 直感的に納得できるかを議論するだけで話しは終わりです。この場合には いまでも読みつがれている事実を重視することも必要でしょう。

『タテ社会の人間関係』を科学の対象として検討したいというのが私の 希望です。

[01756] ヨコ組織は必然

大平です

タテ意識=上を敬う気持ち、という意味でつかうなら、日本だけでなく、たい ていどこでもタテ意識はあります。その点は中根氏も認めています。実力が あるかないかに関係なく、先生と呼ぶ習慣は日本だけにあるわけではないです。 この意味でのタテ意識は日本人の美学であって、古来からのものだという意見 にも賛成です。

『タテ社会の人間関係』で主張しているのは、タテ意識があるかないかではなく、 日本ではそれが場の共通性に基いている点で特殊だということです。

何度も紹介しますが、中根さんが日本社会と比較している主な対象は西欧よりも インドをはじめとした東洋社会です。

また、ここで検討している仮説は、意識のあるなしではなく、日本では組織 構造がタテ系だけになってしまう=タテワリになってしまうというものです。 三角形の底辺ができないという図ですね。言葉の上では政治家のことを「先生」 と呼びながら、国民が共同してうまく政治家を利用するような国であるなら ヨコ社会と呼ぶべきなんです。

組織のタテ構造を維持するためにヨコ組織が生まれるのは当然のことというのが 私の感覚です。例外は利潤追求や理念の追求が乏しく惰性で存続している組織 だということは以前に書いたとおりです。また、組織が危機にさらされていない ときにもタテワリ化がすすむでしょう。もちろん、組織メンバーの意識の高さ にも依存しますが、利潤、理念の追求をしている集団が危機的な状況で完全な タテワリ組織を残すことはありえないと思います。タテの構造を維持する意欲が 強いところほどヨコのつながりを生み出すものだと言い換えてもいいです。

[01757] Re: ヨコ組織は必然

大平さんの「タテの構造を維持する意欲が強いところほどヨコのつながりを生み出す ものだ」というのは 説得力がありますね。 確かに「できるマネジメント」ほどそういうことをよく考えチェックしているので しょう。スタッフにもヨコの関係も作ってもらって利益になればそれに越したことは ないです。

ヨコ社会というのは資格を重視するということで、つまり実力主義社会社会でもあり ますから、内輪の付き合いの枠を超えて多くの人たちとの間で関係を作っていかなけ ればなりません。そのような状況では不特定多数の相手に自分を売り込む能力が必要 になるでしょう。その反対に利潤追求や理念の追求が乏しく惰性で存続している組織 ではまわりの人たちから嫌われないようにしておくことが重要課題なんでしょうね。

ところでちょっと気になっているのは大平さんの文章の中にある「危機的な」という ところです。

繰り返しますが中根は過去の場を強調していた日本的経営を完全否定はしていないで すよね。戦後日本経済の発展に貢献したからです。 しかし経済のグローバル化は急速に進行している現在の「危機的な」状況ではタテワ リ組織を残すことはありえないとおっしゃっているのですよね?

[01758] Re: ヨコ組織は必然

大平です

(1) 高度成長とタテワリ

『タテ社会の人間関係』が出版された時代を含め、純粋なタテワリ組織(底辺 のない三角形組織)が日本企業の特徴だったことはない、というのが私の言っ ていることです。場への帰属感が果たした役割なら賛成しますが、それをタテ 組織と結びつける論法には説得力がないです。いままでの議論で、根回し、 談合をはじめ、企画調整を担う部署の存在など、いくつもヨコ組織の要素を 指摘する意見がありました。その意見の方がずっと説得力があります。

(2) では、ヨコ組織は本当に機能しているのか

実際にヨコ組織が機能しているかどうかを調べるには意識調査しかないかも しれません。機能しているかどうかは、実際にそこに参加している人の意識の 問題でしかないので、意識調査で調べることに何も問題はないのではないで しょうか。(本当の意見を言うか、といった類の意識調査の方法論について は不問に付すとします。

[01759] 役に立てばよいという話しも希望

学問とか科学のはなし、とても勉強になります。

私個人の希望としては、世界観や科学というよりも、役に立てばよいという方向 に少し寄った話しを期待しています。新入社員の定着率が悪すぎることがいま問 題になっており、社員教育のコストに見合った程度に定着率を向上させるには どうしたらいいかを考えています。

現代の若者に組織への帰属心が薄れていることは確実です。仕事のおもしろさを 感じさせることで帰属心の代わりを作り出すしかありません。本当は給料の魅力 で人材を惹きつけたいのですが、それは不可能です。

ある種の専門的な技能をもった人材を集めておこなう業種で、どうしても タテワリ的な組織構造になってしまう現状があります。自分の専門能力が会社 全体の中でどのような意味をもっているかを知る機会を作れば、少しはやりが いが出てくるのかなという気がしています。そのためにヨコ組織の活用ができ ないだろうかと考えていますが、まだ整理できていません。

[01760] Re: ヨコ組織は必然

大平さんが『タテ社会の人間関係』が出版された時代を含め、純粋なタテワリ組織 (底辺のない三角形組織)が日本企業の特徴だったことはない、というのが私の言っ ていることです。場への帰属感が果たした役割なら賛成しますが、それをタテ組織と 結びつける論法には説得力がないです」とおっしゃっていましたが、

このようなご意見を聞いたのは初めてです。比較制度社会学では、タテ割り組織イ コール高度成長期の日本的経営組織というのが主流であるのだと思い込んでいまし た。目ぱちくり。勉強不足でした。

[01761] Re:

「根回し談合をはじめ、企画調整を担う部署の存在など、いくつもヨコ組織の要素を 指摘する意見がありました。その意見の方がずっと説得力があります。」

とありますが[econml:01734 筆者によるヨコの説明] にもありますように それは中根氏がいうヨコ社会ではないです。 それは場による集団内部に限定されたヨコの関係ではないですか?

[01762] 意識調査「ヨコ組織は機能しているか」

[1758]大平さんの(2)として
《ではヨコ組織は本当に機能しているのか》
という意識調査をしてみることについてですが、あまり意味がないように思います。 それは、水平的な繋がり、ヨコの線、という感覚が、今企業内で実感がないのです。

私が前に勤めていたところはメーカーで、今所属しているところは商社です。 メーカーのほうが社への帰属意識は強く、団結心もあり(あったというべきか)、愛 社精神もある方だと思いますが、メーカー、商社、いずれも、今、社内で意識調査を しても、ヨコ組織が機能しているという実感を持てないと言う答えがたくさん返って きそうです。いえ、もしかしたら、調査にマジメに答える人は全体の3割程度しかい ないかもしれません。今は、業績に結びつかないことは、手を出したら損だと考える 人が多いですからね。

なぜヨコ組織が機能しているという実感を持てない人が多いと思うか。 それは、企業のリストラクチャリングが進み、ひとりひとりの能力と業績がシビアに 評価され、個人間の競争が激化しているためではないかと推測します。社内は殺伐と しています。前の会社にも仕事の関係があり、まだ仲良くしている人もいるのでちょ こちょこでかけていきますが、やはり昔と違って何か冷え冷えとしています。時代で すね。

前にどなたかが社内メール?掲示板?による情報の共有などをヨコ連携をとる方法の ひとつに挙げられていましたが、私の会社では、社内メールほど危険な媒体はないと たくさんの社員が思っています。 何に対して何が危険か。 自分に対して他の社員がよくない情報操作をして自分を蹴落とすような策略を考えて いるかもしれない。 あるいは、人事が社員に対して、密かにチェック機構を張り巡らして、検閲している と言ううわさもある。 ですから、社のドメインのメアドでの、いわゆるちょっとマズイ、プライベートな メールのやりとりなどは、私の会社では今恐らく誰もしていないはずです。このメー リングリストだって、ヘンなものではないにしても、やはり社内デスクではできませ ん。まったく独立したアドレスから発信しています。

あまり意味の無い意識調査をしてもどうなんでしょうか。だいたい意識調査自体が科 学的に論証することには繋がらないだろうと思います。あくまで意識調査は大平さん が懸念するように人の意識の問題でしかないからです。

ではどうしたらいいのか。何が有効か。・・・・また、少し、考えてみますね。

しかし、中根の言う『日本では組織構造がタテ系だけになってしまう=タテワリに なってしまう』『三角形の底辺ができないという図になってしまう』という説には、 やはり私も違和感を感じてきますね。

大平さんがいった「『タテ社会の人間関係』が出版された時代を含め、純粋なタテワ リ組織(底辺のない三角形組織)が日本企業の特徴だったことはない、というのが私 の主張だ。場への帰属感が果たした役割なら賛成するがそれをタテ組織と結びつける 論法には説得力がない」という意見には、別に私は驚きも目ウロコもしません。 よく理解できる感想です。こういうたくさんの反論がある故、いまだ売れ続ける本な のでしょう。

この本が売れ線の座を譲らない理由は、解りやすそうでいて実は複雑怪奇な身近な問 題提起を、この本が今なおし続けているという点かもしれません。

[01763] Re: 「場」と「組織」とどうちがうの ?

中根がどういう風に「場」という言葉を定義して使っているか、原著を読んでいない私にはどんどん分からなくなってきました。 (タテ社会、ヨコ社会の今回の定義は理解できました。)

01734で "「場」による集団の特性・・・を理解していない言い分である。 これらの「ヨコ」の関係というのは、すべて場による集団内部に限定された ヨコなのであって、筆者の意味する組織構造としてのヨコの機能をもちえない ものである。" と紹介して下さっていますが、ここでも「場」がどういうものかは紹介されていません。

なんとなく、中根が使っている「場」は、ただ単に組織規模が彼的に小さい場合は、 「場」としているのかな?と思ってしまいました。 しかしそう理解すると上の""内の表現自体に何の説得力もなくなります。 学問レベルで、共通認識を得るには、まず「場」の定義が必要ですね。 またその定義が、合理であることも必要です。 理解の得られない定義からスタートした仮定は、仮定を議論すること自体意味がなくなります。

仮に中根が、組織規模が地方自治体レベル以上だと「場」ではなく、家族、企業レベルだと「場」と仮定していたとします。 世界レベルだと国連があり、常任理事国等があって、それ以下の階層の国々があってと何となく階層化はされていてると見ることができると思いますが、現在の世界は中根のいうヨコ社会ですか? 世界がヨコ社会であるとすると、その構成員である日本は、世界レベルではヨコ、国内ではタテ、企業や家庭内ではヨコ社会を築いているんですかね? ただし、中根風には地方自治体レベル未満の規模の組織は「(中根が個人的な主観で決め た)場」だから、たとえヨコ社会であってもヨコ社会とは呼ばない。だってそれは「場」 の内部のものだから。 世界の中でのヨコ社会は、世界内部に限定されたヨコ社会だけど、世界は「場」じゃないからヨコ社会。(かなり強引な展開ですみません。あくまでも例えばの話です。)

こう表現すると何だか中根の主観の押しつけみたいですよね。これでは議論の余地もない。 (まあ中根と議論をする訳ではないのですがね・・・。)

逆説的ですが科学的に議論するなら、「場」というものにコンセンサスの得られた定義があるのなら、議論すべきは「なぜ国、地方自治体レベルでのみ中根の言うタテ社会になっているのか、それには国民性、歴史文化がどう寄与しているのか」ですかね。

[01764] Re: 意識調査「ヨコ組織は機能しているか」

「自分に対して他の社員がよくない情報操作をして自分を蹴落とすような策略を考え て いるかもしれない。」 という状況はまさに中根の言っている「タテ社会」ではないでしょうか。

そして同じランクの人間同士で協力しあえるのが「ヨコ社会」だと私は理解していま す。

***

「そして高度成長期の組織をタテ組織と結びつける 論法には説得力がないという反論がある故、いまだ売れ続けるということ」がどうい うことだか私には理解できません。向学のために教えていただければ幸いです。

***

これまで皆さんのご意見を聞いてきて 結局「タテ」と「ヨコ」の区別は無意味のような気がして仕方がありません。どんな 組織でも「タテ」と「ヨコ」は内外に渡って複雑に錯綜しているとしか思えないから です。

[01765] Re: 意識調査「ヨコ組織は機能しているか」

[1762]の方の意見を聞いている限り、中根の言説は妥当性がありそうですね。

残念・・。

[01766] ヨコ組織の敵はタテ組織?

「競争は、一緒に働く仲間同士の間に、問題を解決し、プロジェクトを前進させる事以上に、相手に勝ちたいという 願望を生み出してしまう。この過程では、イノベーションには絶対に欠かせない情報の自由な流通も阻害されてしま う。成功と失敗という、従来ながらの基準によって評価されると感じている社員、あるいは高い地位を目指して同僚 達と競争している社員は、情報を共有するよりも隠したいという気持ちが勝ってしまう」との事。実はここで「負け る」のは企業そのもの。

最近えらく納得した読み物でした。

外国から帰国して、日本の「タテ社会」に「気が狂いそうだ」と叫んでいる友人は、“名前の呼び方”“言葉のかけ 方”を指摘し「どうして対等じゃないのか」と主張しています。生活習慣で変化する生き物なのですね。彼女も自分 も日本人。

[01767] Re: ヨコ組織の敵はタテ組織?

全くその通りです。とても残念です。

[01768] Re: 役に立てばよいという話しも希望

今の若者の価値観について、個人的な見解を述べさせて頂きます。 一応私は30才でして、業界によりますが若手から中堅くらいの年齢です。

若者で、特に34、35歳以下とそれ以上では、ほぼ完全に価値観が異なります。 これはその昔、「新人類」と言う言葉ができた当時を思い出して頂ければ理解されると思います。 (日本の「場」の性格そのものがもうすぐ変わってしまう可能性があるように思えます。)

この新人類と呼ばれた以降の世代は、
1)個性(自分の特徴、自分の時間)
2)合理性
3)殺那主義的な同調性
を大事にします。

特に企業で問題になっている定着率低下の原因の1つは1の個性にあると思います。 仕事に関しては、大きく別けて2通りのタイプがいるようでして、 前者は比較的企業に定着しますが、条件の良いところを並行して探している人も多いです。 後者には、「参画」、「動機づけ」は無駄で、筋の通った的確な指示・命令を与えて、必要なアウトプットを得るだけにすれば、定着率は挙がると思います。 後者にとって唯一の動機づけは、自分の行ったアウトプットが無駄にならない保証だけだと感じています。

後者にとっての無駄の例)
アウトプットデータを蓄積・検索するシステムが整備されていないのに、その時必要だ と言うだけでやらされるデータ取りや、レポート作成。

これが積み重なると仕事が面白くないだけではなく苦痛のようで、辞めていきます。 また彼らは自分の投資した時間が有効に使われなければ、割り切ってしまう(本気を出さ ない)みたい。 逆に、部門として必要というレベルではなく、企業、できれば社会にどれだけ貢献する仕事かを示せれば、契約上の労働時間内は凄い密度の仕事を行うようです。

だから、新人類には早い段階からコース別けして、前者の人は管理職コース、後者の人は万年実施層から監督層(専門職系昇進コースを設けれればなお良いと思います。)にしてしまえば良いように思っています。それが各人の要望に叶っています。

あと弊社の新人類中で前者の人達は、会社の指示ではなく自主的にいろいろな部門の同士と協力してアングラで研究開発なんかをしています。

これらは多分指示されれば本気ではやらないでしょう。 自主的だから楽しいし、趣味みたいなものだからかなり高レベルな事を手がけているみたい(妥協がない)。 ただこのような中から出てきた作品?は、企業側に受け入れ、利益の還元体制が整ってな いと有能な人達の集団離脱→独立に繋がりそうです。

今のところ前者と後者は互いに反目しあっていないし(そもそも協力する共通の着眼点は ありませんが)ヨコ社会です。 弊社の中だけをみていますと、10年後には中根氏のいうヨコ社会に日本はなっていそうに思います。

[01769] Re: 意識調査「ヨコ組織は機能しているか」

海外に住んでいるものですが、日本に住んでそれらしき住民になることがどんなに大 変なことか痛感させられました。自由を奪われているみたいですね。もっと人間的な 過ごし方ってありますよ。

[01770] Re: 役に立てばよいという話しも希望

大変理解できます。(“今の若者”さん達よりほんの少し・少し・少し上ですが)

ヨコ集団がタテ組織と有効にリンクしていない現実を実感します。 社員の定着率の低下は、やはり「場」のあり方に問題があるのではないかと思います

「場による集団帰属というものは、その場に入ったからすぐできるものではない。安定したネットワークをそこの人 々と結び、個人の位置付けが定着するまでには、どうしても相当の「時間を要し、そこでしだいにはぐくまれた相互 の人間関係は、いったんできあがると強い定着度を示すのである」と中根氏は言っています。

改めて「資格」と「場」を考えさせられます。

[01771] タテワリかなあ

大平です

私は専門的にいまのテーマについて勉強したことはありません。できれば 専門で研究している人が何を根拠に日本企業のタテワリ構造を主張している のか教えてもらいたいです。

高度成長期の
日本企業に実質的にはヨコ組織があったという判断は、
(1)ヨコ関係がまったくないタテワリ組織が存続できるわけがないという直感
(2)企業人の方々から、昔の方がヨコのつながりがあったという意見がつづいたこと の2つに基づいています。

(1)については、高度成長期の日本企業は、経済全体がイケイケドンドンの 時代だったから、効率的な経営をしていなかったか、という別の考え の方が正しいのかなという迷いもあります。学閥間の争いとか、その他の派閥 争いとかあったのもほぼ確実です。同じ会社の中でも、派閥ごとのタテワリ 構造が強く、ヨコの関係があるように見えても、同じ派閥に属する者同士 のつながりを利用しての根回しだったようにも思えます。

(2)については、今回のテーマでの議論でみなさんから教えられて、私にとっ ては目からウロコという気持ちになったことでした。問題は上述したとおり、 部署をまたいだタテ組織の中での調整しか機能していなかった可能性を 検討することです。

ただ、ここまでの議論で、私個人の感想としては、タテとかヨコの概念で社会を 見ることはあまり有用ではないと思っています。たとえば、(2)の話しはタテ、 ヨコというよりも集団主義かどうか、という文脈で理解する方がわかりやすい です。次のような感じでしょうか。

かつては場への帰属という一体感が集団に貢献する人間行動を誘発していたが、 いまはそれがなくなった。現在は、仕事の内容がおもしろいから協力しようと いう動きはあるが、場=集団のためにヨコ関係を作ろうという発想は経営者以外 にはない。

[01772] 場

大平です

『タテ社会の人間関係』では
資格: 氏・素性のように生まれながらに個人に備わっているもの
+学歴、地位、職業など生後個人が獲得したもの
老若男女の区別も資格 一定の父系血縁集団
場: 一定の地域とか所属機関などのような枠

としています。現在の議論で問題になっているのは枠の規模だと思います。 会社全体なのか、会社の中での部署とか派閥単位なのか、枠の大きさの 設定によって話しが変わります。

『タテ社会の力学』では大集団の中に小集団が分立し、それぞれの小集団 への帰属意識が強いことが日本人の特徴だと言っています。

たしかに、銀行に勤める友達の中に、「〜銀行の」ではなく、「〜銀行 〜支店の」とか「〜銀行〜部の」といった枠を必ずつけて連絡をしてくる のがいます。こちらにとっては、〜銀行でその個人を特定できるし、それ 以上細かな所属先なんか興味がないのに、やたらと細かい(と私には感じる) 所属先を言う習慣があるようです。そう思って大学のOB会名簿を見ると、 勤務先覧に部署まで書く人が多いのに気づきます。単に連絡先を明確にする 目的だけではないものを感じます。

[01773] タテワリは現存する。

くろだです

現在おじゃましている会社は、現在でもタテワリが存在します。 部署ごとに村を作っており、他部署に対して排他的です。

システム関係の会社なので、平均年齢は30歳より低い人 が多い会社です。 価値観が多様化しているので、ヨコのつながりが希薄な感じ です。

[01774] 専門に研究していませんが・・・

藤田です

中根氏の単一社会の理論は理論であって事実ではないですよね。

彼女の経験や観察からこの理論は生まれたようです。 戦後の高度経済成長期を支えてきた「集団や個人」が他国と比べて (特にインドのカースト制度は対称的である) 大きく違いがあって、長所と短所があるといっています。

タテ社会について
集団=「場」といっているのはきっと小さくても大きくてもかわらないと思います。 底辺のない三角形(3人)でも、沢山の人間で構成するヒエラルキーでもかわらな い。 個人の考え方が集団主義で排他的。その小さな集団が集まって出来たヒエラルキー という集団=場もまた他のヒエラルキーに対して排他的である。

〈例〉
たんぽぽ銀行はパンジー銀行に対して排他的。

パンジー銀行内部においては
パンジー銀行東京支店はパンジー銀行大阪支店や他支店に対して排他的

パンジー銀行東京支店においては
融資係と預金係は排他的。

融資係は
企業融資グループと個人融資グループは排他的。

ヨコ社会と集団の中のヨコ関係について
「タテ集団の中のヨコ関係」はヨコ社会とは別だと中根氏はいっている思います。 階層(集団=場)が下図のようにあるとします。

       a
     b        c

 d   f     g   h

ijk  lmn   opq  rst

例えばこのijk3人がdに対して根回しをするという事をたしかおっしゃっていた と思います。

これは「ヨコの関係」であるといってるようです。 ヨコ社会はここでは存在しないと思います。

ヨコ社会は企業が違う、例えば弁護士の集団とか職種で分けられたグループです。 インドのヨコ社会について 中根氏の「タテ社会の人間関係」は3部作のようで その後「適用の条件」と「タテ社会の力学」をだしているようです。 「適用の条件」の中で(全部よんでいません) インドのヨコ社会のエピソードがいくつか紹介されています。 その1つで(35頁以降)システムの押し付けというといころに 日印合弁会社での日本人エンジニアの話しが紹介されています。

要約して書きます。 技術指導でインドにいった彼はインド人の行員に単に機械の操作を 教えるだけでなく、日本の行員のスタンダードを強制した。 それは機械を操作する者は一日の仕事の終わりに 自分の周りに散らかった硝子の破片やその他のゴミを片付ける事。 これに対してインド人の行員は「自分は機械を操作する人間としてここに就職してい るのであって、床を掃除するなどもってのほかだ」といって断固反対した。 床の掃除はそれを専門とするスイーパーの仕事であるわけです。 これはインド人が怠けているのではなくてインドの社会構造、経済機構を 伝統的に支えてきたカーストのリネンである徹底した分業の精神である。

[01775] 同じく専門ではありませんが・・・

専門ではありませんが、やや社会学をかじったことがあります。 「タテ、ヨコ」の社会テーマで、最初に想起したのが、丸山真男の ササラ型、タコツボ型でした。(古くてすみません。) その次に、テンニエスのゲマインシャフト(家族、共同体、村落: 親密、相互扶助、福祉、教育的機能をもつ) とゲゼルシャフト(都市、企業、国家:共通の目的のために結集する 組織、機能集団)論です。 こちらの方は、未だに現代社会解釈においても討議されている基本 「社会関係」理論だと思います。(古くて新しい問題)

テンニエスは、近代社会がゲマイン・・から、ゲゼル・・への移り変わり であると考えていたことに先見の目があったのですが、現在の社会学 での取り挙げられ方は、これらが必ずしも一律の状態で社会に現れて いないこと。例えば、現代の家族は、核家族化し、古典的機能(扶助、 福祉、教育)を失いはじめた、もしくは家族の市場化が始まっている などが問題視されてますし、企業体系は、ゲゼルシャフトでありながら、 年功序列、根廻し、ノミニケーション、サービス残業などの面を持ち、 特に日本は、ゲマインシャフト的企業が多いのではないか、などの指摘を 受けます。 

結局、現在の社会は、ゲマインだの、ゲゼルだの、二項対立的に分類 することは非常に難しい・・・というのが、結論なのでしょうか・・・ 「場と資格」という二項対立も然り。これらの錯綜が現実的状況。

この手の議論は、二項に分類することに意味があるのではなく、問題は、 社会が二項の錯綜であっても、それぞれの重要な機能が社会に漏れるこ となく発達してきているのかどうか、だと思います。 例えば、家族が教育の場でなくなったら、学校という資格がその教育を 補填できているのかどうか?

[01776] Re: [1764]  反論も多いから中根の本が売れる

[1762]で、「ヨコ組織は機能しているか」という意識調査について、「意味がなさそ うだ」、と意見したものです。

まず、[1764]のかたからの >「そして高度成長期の組織をタテ組織と結びつける論法には説得力がないという反 論がある故、いまだ売れ続けるということ」がどういうことだか私には理解できませ ん。向学のために教えていただければ幸いです。

という問いに対して、ですが、 「(上述のような)こういうたくさんの反論がある故、いまだ売れ続ける本なので しょう。」さらに、 「解りやすそうでいて実は複雑怪奇な身近な問題提起を、この本が今なおし続けてい るという点」でもいまだに売れている理由なのではないか、といったつもりです。大 平さんの意見に対しては自分はめずらしくない、といいました。

誰もが気になるキーワード「タテ社会」に対して直感的に、自分にもおおいに関係し そうな身近なことだと感じる人が多い。一瞬、「おっ!そのとおりだ!」と思って立 ち読みする。そして一見とっつきやすいのに、読むと複雑怪奇だから、立ち読みでは 足りず、買う羽目になる。さんざん読んで反論を感じる人がけっこういる。それで論 争になる。だから相乗効果で売れる。ということを言いたかったのです。

[01777] アイデンティティ ステイタス

さらにつづけて、[1762]です。 「アイデンティティ」についてのエピソード。

私が最初に就職したメーカーから今の商社に転職して間もない頃、組織で言うと、ま さに「ヨコ関係」の部署の人から、キツイ一言を言われました。 「あのさあ、何かって言えば『○×会社』『○×会社』って、今もうアンタはそこの 社員じゃないんだろ?こっち来ていつまでも前の会社のこといちいち出すなよ。アン タにとって、○×会社はアンタのアイデンティティでもなんでもない。ステータスに なんないよ。アンタはアンタだろ?オレ大っきらいだよ。そういうの!どこの大学出 て、どこの会社にいて、って・・。」

この人とは後にプロジェクト・タスクフォースの一員として、まさに「ヨコ組織」の 中、それぞれの「資格」を有しての対等な関係で、仕事を共にすることになりまし た。最初は喧嘩ばかりしていましたが、とても仲良くなりました。

私は元いた会社を特別自慢するつもりは無く、単に話の中に社名を挙げて話していた だけなのですが、彼はとても耳障りだったようです。もしかしたら、私の潜在意識の 中に、「場」を強調したいような、それによって自分の地位を上げて大きく見せよう とするような心理が働いていたかもしれませんし、また、彼の側にコンプレックスみ たいなものがあって、被害妄想になっていたのかもしれません。まあ結論はどうでも 良いんです。

私にとってその時の彼の一言は、大きな「気づき」と「啓発」を促しました。 自己のアイデンティティってなんなんだろう。私にとってステータスって? 履歴書でも名刺の肩書きでもない。そうだった。これからは自分が、私が全てで、ビ ジネスして行くんだ。と。

慶應大学も「早慶戦」(失礼!慶早戦ですか?)などで勝つと、慶大生やOB連中が 大きな声で塾歌を歌いながら青山通りを練り歩いたりしますよね。早稲田が勝てば 「都の西北〜」ですか。あれも中根でいう「場」ですよね。 言い方を変えると、「ステータス」という「場」重視社会っていうのは、目に見えな い形で確かに存在していますね。 そしてそれは、日本人の意識がつくりだしているものですね。特に高度成長期の時代 を支えた世代はこれ強し。 しかし、世代が若返っていって、それこそ今の30代の「新人類」以降の人達がもっ と台頭していったら、日本も変わるかもしれませんね。

そういえば、ここで紹介した彼との関係は「ヨコ関係」だし、この時の組織は「ヨコ 組織」ですね。やっぱり大平さんの言うとおり、「タテ社会」だけなんてあり得ない ですね。ある利益のために人と人が手を携えて目的に向かって「ヨコ関係」をつくる というのは当たり前の行為で、その人達の仲が利害関係だろうが、友情関係だろうが 関係ない。 上層部か、あるいは組織として調整する機関・部署が指導的役割を果たさなければ 「ヨコ組織」はできないかというと、そうでもないかもしれません。個々人の利害関 係が一致すれば手を組みますから。

私は他の組織の話を聞きたいです。何人かの方々が職場の話を聞かせてくれています が、具体的なことを是非教えて下さい。とくに[1768]の職場の状況は「へぇ〜」でし たし、「なるほど」でした。大平さんの銀行のご友人の話も「なるほど」でした。

[01778] 意識テスト

中根千枝左衛門です。

自分の所属する組織が「タテ」か「ヨコ」の集団にいるかの意識テストを速攻で作っ てみました。10項目あります。

1.自分の属している組織は?
  a. 開放的 b.排他的
2.その組織のリーダーは一人に限られ、交換が困難か?
  a. はい  b.いいえ
3.制約に輪をかける情的関係がたっぷり?
  a.  はい  b.いいえ
4.行動の決定は直属幹部との力関係で決まる
  a. はい  b.いいえ
5.あなたの仕事の能力はマイナスになっているか?
  a. はい   b. いいえ
6.リーダーはいつも年長者のお爺さん?
  a. はい  b. いいえ
7.リーダーはなんとなく大内蔵助みたいだ
  a. はい   b いいえ
8.組織の人間関係にエモーショナルなつながりがある
  a. はい  b いいえ
9.なんか、組織が反契約精神っぽい
  a.はい  b.いいえ

最後に、
10.真の対話がありえない?
a. はい  b. いいえ、ありえる。


***

ちなみにaが中根のいう「タテ社会」の特徴です。 つまりaが多ければタテの組織にいる可能性大です。 皆さんの結果ぜひ教えてくださいね。興味森森。

これ昼休みにでもマネジメントの人たちにもやってもらってもいいかもしれません ね。
以下、アンケート結果です。(2003年11月28日15時現在) a,bではなくそれぞれ1,0に置き換えています。

1 自分の組織は 1 1 1 1 0 0 1
2 リーダーは一人で交換困難 1 0 0 1 1 0 0
3 情的関係たっぷり 1 0 1 0 1 1 1
4 行動決定は力関係 1 0 0 1 1 1 1
5 仕事能力はマイナスか 0 0 *3 0 0 1 0
6 リーダーはお爺さん? 1 0 0 0 1 0 0
7 リーダーは大石内蔵助 0 0 *3 1 1 0 0
8 エモーショナル 0 0 1 *4 1 1 0 1
9 反契約精神 0 0 0 0 1 1 0
10 真の対話はありえない 0 0 0 0 1 1 1
*1 *2 *5 *6



*1 関連団体(非営利任意団体・外務、経産省管掌)
*2 3年前まで29年勤めていた会社を思い浮かべて回答しました。 問1は1で逆の気がしますが、あとはどちらかといえば0になりました。

いまから20年前になりますが、役員を含めて“さん”付けになりました。年賀状以外 の虚礼廃止もすべて、ボトムアップで各部から全社に広がり、戸惑いもありました が、社長も“さん”付けで呼ぶことに抵抗がなくなったように思います。中には反対 もありましたが概して年長者でしたね。私は‘85年に博多に転勤した時、元部下が遅 れること半年で転勤してきて、彼だけを呼び捨てにしていたのですが、「課長はオレ のこと可愛くないのかなあ」といっていると、その元部下の同僚が飲んだときに愚 痴っていたと聞いてから反省しました。些細なことですが、タテとヨコの議論を聞い ていて思い出しました。

それからは会社では同期でも年下でも“さん”付けにしました。考えるとこれだけで タテの垣根が薄れる気がします。ですから、アンケートでも0になるのでしょう。
*3 なんと答えたらよいか質問を把握できませんでした
*4 必要のなくなっている出先機関(支社)が存続し続けている。仕事の流れが変わり。存続させておく必要はないにもかかわらず、組織の整理ができずにいます。

本来であれば、必要だから支社を設置して活用するのですが、その役割を終え、現在は、あるから仕方なく使っているのですが、すると後になって、対価に見合わないような費用負担を迫られるケースに出くわします。

人と人とのつながりから即刻支社の廃止に踏み切れない点にそう感じました。
*5 ゼネコン
*6 総合商社管理部門

[01779] Re: アイデンティティ ステイタス

純一郎です。

グローバライゼーションで勝ち取っていくのに必要なのは「自信」です。 いいじゃないですか、どんどん自慢をすればいいのではないでしょうか。慶応出で一 流商社。なかなか普通の人ではできないことです。 中根のいうことは気にしないでどんどん進んでいくことですよ。アイデンティティ、 ステイタスどちらも大切です。

[01781] 企業は身動き取れる規模がいいらしい

[1762]です。
[1779]純一郎さん、
私は慶應出でもないし、私の勤める会社も一流商社ではありません。自信も最近薄れ てきていまして・・。

[1768]のかたへ
おたくの会社は羨ましい環境です。赤門大の某経済学者が先日講演会で言っていまし たが、「企業は身動きが取れる規模でないとダメだ」そうです。とても説得力があり ました。 つまり組織が余りに大きくなりすぎると、マネジメント部隊が「このまま行ったらヤ バイ」と思っていても軌道修正できないジレンマに陥るんだそうです。昨今の合併、 企業再編の波は、そう考えると果たしていいことなのだろうかと疑問に思います。規 模が逆に大きくなりますからね。当座を凌いで生き延びるだけでいいのかと。

[01782] Re: LLC制度

向坪です。
はじめて投稿します。
[01707]マリアンネさんのLLC制度ですが、経済産業省が推奨されているんです か。 もしそうなら、自分のところから、組織構造を刷新していってほしいです。 まず、行政から。まず、政府から。ではないでしょうか。 経理を担当する者として思うこと、多々あります。

[01783] またまた利潤追求

大平です

二項対立は無意味、という考えはきわめてもっともだと思います。 でも、現実を分解した諸要素を列挙し、どの要素が重要な役割を果たしているかを 考えることで、現実にこれからどうしたらいいかを考えるための指針を得る努力を することも必要です。 ヨコ組織、タテ組織を理論的に区別することで、現実をかなりの程度まで近似でき るのならよいのです。ゲマイン・ゲゼルにしても、タテ、ヨコにしても、ある時代の ある社会を近似していれば有用と言うべきです。

ところが、タテ、ヨコの区別は高度成長期の日本の分析につかうには無理があるの ではないか、というのが、みなさんの意見を聞いた上での私の判断でした。 (01774の図で言うと、kとpとの間のようなタテ割り組織間の根回しのことを念頭 においてそのような判断をしました。)また、タテ志向は時代を通じて日本人が もっている行動様式という意見には強く反論したいです。

日本に限らずどのような社会でもタテワリ組織を作るほうが簡単です。ヨコ組織を 作ることには便益もありますが、コストもかけなければいけません。 ではないでしょうか。どちらも「場」の閉鎖性とは関係ないです。「場」の閉鎖性 はタテワリから説明されるものであって、「場」の閉鎖性がタテワリを説明するの ではないように思います。

[01784] 公務員を報酬制にすれば行政はヨコ社会に

壊れかけの経理担当 向坪です。

全ての公務員給与を、報酬制に切り替えてはどうでしょうか? 国家公務員、地方公務員へは、業績に対価する形で報酬を支払うというものにすれ ば、仕事ができる人、やりがいを感じる人だけが残って、仕事をしない人は無給です から、あとは自ずと辞めて行きます。 つまり、タテワリなんていう形態はなくなっていき、ヨコ社会になります。 税金のムダ遣いも多少軽減されます。

[01786] ここまでの感想

大平です

ここまでの感想です。

会社組織をタテ、ヨコで分類することで説明できることは、それほど多くは ないように思えてきました。とくに、日本企業の組織はヨコ関係がまったく ないタテワリだと主張されると、違和感が大きいです。

会社の中での組織的行動ではなく、もっとプライベートな行動レベル では日本がタテ社会という意見には説得力があるように思います。 知らない人との社交が不得意とか、派閥形成を簡単にしてしまうこととか、 『タテ社会の人間関係』の説明は、少なくとも高度成長期までの日本のことと してはよくわかります。

公と私との区別というのでしょうか、純粋に個人的な生活と、企業で働く という公的生活とでは、行動原理を変えなければいけないという意識について 見るほうがいいのかなと思います。(今回はやめたほうがいいでしょうね) 公の領域に私の発想が多く入り込んでいることは確かですが、そのことを 過度に強調しすぎたことが『タテ社会の人間関係』の説得力のなさなんだと 思います。

仮に高度成長期までは「場」への帰属ということで人間行動を説明することが 有効であるとしても、現代の日本社会の特徴の説明としては、もう無理がある というのが大方の意見なのではないでしょうか。場への帰属感の強さが、 日本の歴史を一貫している社会構造だと言うのは無理があります。 戦国時代の主従関係が場への帰属ということとは程遠い、契約関係であった ことを根拠に「場」を重視した考えを批判するようです。その批判も説得的 だし、現代日本の若者を見ているだけで「場」重視が日本人の特徴という言い方 に無理があることは明らかでしょう。まだ高度成長期の生き残りが会社の中 に残っているだけで、その慣性はいつかはなくなると思います。

もう一つ考えるべきは、高度成長期までの日本社会の特徴は大なり小なり 世界中のどこでも伝統文化の中に内在しているものではないかということです。 ゲマインシャフト、ゲゼルシャフトのような話しのほうが理解できます。

[01787] 近代化過程の特徴

大平です

このメーリングリストには(たぶん)社会学の専門家がいるわけではないので、 文献情報に依存しすぎず、素直な生活実感で今回のテーマに取り組むほうがいい と思っています。でも、それだけではおもしろくないので、米山俊直『日本人 の仲間意識』という本にある「タテ社会再考」という論考を読んでみました。

明治以降の近代化を達成する上で、江戸時代の武士の生活倫理が選択的に 採用された結果が明治以降〜たぶん高度成長期までの日本人の行動様式なので はないか、と私も考えていました。

[01788] 会社組織のタテ、ヨコ論は一概には言えません

現在、日系の中国企業で、現地企業や外資系企業とパートナーと組んで欧米企業のお 客さまを中心とした業務を担当していますが、何処も同じなんだなと思うくらい、仕 事上のお付き合いでは日本企業、欧米企業、中国の企業ともに違和感を感じません。

各ご担当と日常のコミュニケーションをとりながらの仕事ですが、必ず私のReport toは誰々だとか、私は上司の誰々に権限委譲を受けているとか常に上位の評価者を意 識した仕事のすすめ方が日本企業よりもあからさまですし、日本企業だと同僚が大変 そうだとチョッと手伝おうかという状況でも、例え分っていても上司からの依頼がな いと手を出さないと言ったことも目に付きます。

アフタ-5でも欧米系は上司とGiven nameで呼び合っているものの結構、傍から見てい ても気を遣っているのをみると、やっぱり同じサラリーマン、世界共通だなと実感し てしまいます。

その他には「私」としての愛国心なんてのはとてつもなく強く、私自身愛国心といっ た意識に希薄なせいか、そういった意味では「場」を重視しているのは最近の日本人 以上に強い気もします。

[01789] Re: 会社組織のタテ・ヨコ論は一概には言えません

タテ・ヨコ議論について、[1786][1787]で、かなり頭の中がスッキリしてきました。 同感です。 [1788]のかたの職場の状況は、複数の外国企業の特色が見て取れて興味深いです。

個人間から離れて、企業間でも、ゼネコンのジョイント・ベンチャーや、あるいは、 国を跨いで各国企業が(時には国も絡んで)コンソーシアムを組み、ひとつの大型プ ロジェクトを実施する場合があります。ここで形成されるコミュニティは単純ではな いですが、利害関係が、ある目的に対して一致している上での、水平的な関係に基づ いて、分子レベルでヒエラルキー構造ができていると思います(点と点を線が結んで 複雑に絡みながらピラミッドを形成)。つまり「タテ・ヨコ論は一概には言えませ ん」です。こちらにも同感です!

タテ・ヨコに関係ないですが、各国の人の愛国心について。 私も留学するまで日本を愛する気持ちと言うものがほとんどありませんでした。自国 を愛するということを、日本を出てはじめて外国から教えられました。日本人はどこ か「愛国心」をタブー視するところがあるため(そういう戦後教育の後遺症か)、愛 国心が希薄なのではないでしょうか。

[01790] 私の場合

配信が多くて読むだけでも追いついていけない私です。

意識テスト、私は10年前に働いていた会社を思い出してやってみました。 ほぼBです。 外資系の会社だからかもしれません。 ですからとても居心地の良い会社でした。 役職名で呼んだら罰金でした。

ヨコの連帯感って上司がとても嫌な人だとすごく団結しません? 私は色々な会社を点々としていたのですが どこの会社でも誰かが悪者になると それでヨコの関係がとてもうまくいくんです。 変ですね〜面白いなっていつも思っていたんです。

それと関係があるかわかりませんが読んでいて頭に浮かんだのが 幼稚園児を10数人同じ部屋に入れて1つの作業をさせておくと 統率する子供が出てくるんです。 そして一生懸命にやる子、統率する子の言う事をよく聞く子、 全然やらない子、と言うようにグループが出来ます。 そうなった時、統率している子供をそこから排除します。 すると残った子供同士でまた統率する子が出てきます。 そうやっているうちに遊んでた子供が急に統率しだしたり、 やらない子がやるようになったり変化が見られるのです。

タテとヨコって両方必要で自然的にも発生するもの なのではないでしょうか。 そうすることが事を運ぶ上でうまくいくものなのでは?

ずれた話をしていたらごめんなさい

[01791] 能力主義は昔からあった?

小雪です。

中根は日本の能力主義の導入を阻んでいる一つの要因は経営者側よりも従業員自体の 意識にみているようです。

なぜかというと日本人の「俺だって」意識は世界に類がないほど強く、たとえば同期 生一人が抜擢でもされたら大騒ぎになるからだともいっています。

***

しかし、能力主義は昔からあり、何が現在と違うかというと潜在能力の評価から顕在 能力の評価の違いに変わったのだという人もいます。

今回のテーマから外れていますが、顕在能力の評価と潜在能力の評価の違いというの も気になってしまいました。

[01792] 意識テストご協力のお願い

先日、意識テストを配信させて頂いた、中根千枝左衛門こと、小雪です。

7.リーダーはなんとなく大内蔵助みたいだ
 a. はい   b いいえ
は正しくは「大石内蔵助」でした。 申し訳ございません。

また、「大石内蔵助的」リーダーとはナポレオンのリーダーシップとは対照的に直接 膚に感じられるところの人間的魅力をもった親分というのが意味するところです。

また、
1.自分の属している組織は?
  a. 開放的 b.排他的
は逆ではないかというご意見を頂きました。 中根によりますと、ヨコ集団においては(イギリス紳士クラブのように)全員の承認 を必要とする意味で「排他的」であり、タテ集団は直接の上下関係しかないので、 「開放的」だと言っています。

他に、アンケートの内容について感想などございましたら、どうか率直にお知らせく ださい。

***

司会者の方が、ログに集計をまとめて下さいましたが、サンプル数が絶対的に不足し ております。ご迷惑をお掛け致しますが、どうかご協力お願いいたします。



つづき