山﨑 龍一「アルゼンチンの経済停滞とESG型M&Aについて」
「世界には4種類の国がある。先進国と途上国、そして日本とアルゼンチンだ」。1971年にノーベル経済学賞を受賞したクズネッツは、1960年代にこのようなジョークを口にしていたとされる。この言葉は、日本とアルゼンチンが先進国と途上国という枠組みであらわせない国であるとするものだ。日本はかつての貧しい状況から世界第2位の先進国にまでのぼり詰めたことがある一方で、アルゼンチンは先進国の立場から転落してしまったことを言いあらわした言葉である。そう、アルゼンチンはかつて世界有数の先進国だったのだ。
20世紀初頭のアルゼンチンの1人あたり実質国内総生産はドイツのそれと同程度であり、首都ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれるほど文化的だった。アルゼンチンと日本を比較すると、1900年における両国の1人あたり実質国内総生産は、アルゼンチンが2,756ドル、日本が1,135ドルと、アルゼンチンが日本を凌駕していた。しかし日本が第二次世界大戦後に高度経済成長を遂げたのに対して、アルゼンチンの経済成長は停滞した。2002年の1人当たり実質国内総生産を1900年のものと比較すると、日本は27.57倍と高度成長を遂げたのに対し、アルゼンチンは1.01倍と停滞した。
阿部(2008)や原田(2021)は、アルゼンチン経済の成長がここまで停滞してしまった要因は、保護主義的で非効率な経済政策による工業化の失敗とそれにともなう産業競争力の停滞や、ポピュリズムにもとづく金融・財政政策の失敗などにあると示している。経済産業省(2018)や北地、北爪、松下(2012)は、日本企業が海外企業を買収するにあたっての問題点を示し、クロスボーダー型M&Aが相手国においてどのようにすればうまくいくのかを分析している。高橋(2023)は、M&Aを繰り返し世界的な食品メーカーとなったネスレがESG投資をつうじてM&A先の新興国や途上国で新たな顧客層を開拓しつつ、貧困層に対する農業支援をおこなっていると示している。
このような研究を概観すると、外資系企業、とくにESG投資に力をいれる日本企業が、アルゼンチンの地元企業に対しM&Aをおこなうことで、現地の労働者の家計が向上し、国内産業の競争力の強化や、正常な金融・財政政策の土台となる社会経済状況をもたらすことができ、日本企業側にも大きな利益をあたえると考えることができる。政策によるアルゼンチン国内の社会経済状況の改善を狙うことがむずかしいのであれば、市場や人びとにたいしてインパクトをもたらす行動として、外資系企業によるM&Aは検討の余地が十二分にあると考えられる。しかし、M&Aをはじめとする企業活動をつうじてアルゼンチンが経済停滞から脱却することについて言及する論文はまだない。
本稿では、ESG投資に注力する日本企業によるM&A(ESG型M&A)が、アルゼンチンの経済停滞からの脱却を導けることを示す。まず1節でアルゼンチンが政策の失敗により1世紀近く経済を停滞させてきたことを示す。2節では日本企業のM&Aがかかえる問題点と改善策について示し、3節ではESG投資の重要性を再確認し、ESG投資に注力する企業によるM&Aの事例を概観する。そして4節でESG投資に力をいれている日本企業によるアルゼンチン企業のM&Aがもたらす影響について結論づける。
目次
はじめに
1 アルゼンチンの概要
1-1 アルゼンチンの基礎情報・歴史
1-2 アルゼンチンの経済状況
2 日本企業によるM&Aの概要
2-1 日本企業によるM&Aの歴史と意義
2-2 M&Aの問題点
3 M&AとESG投資
3-1 ESG投資の歴史的背景と意義
3-2 ESG課題の解決に力をいれている企業によるM&Aの事例
4 アルゼンチンと日本企業のM&Aの分析
4-1 アルゼンチンに対する投資の現状分析
4-2 ESG課題の解決に注力する日本企業の分析
4-3 ESG型のM&Aがアルゼンチンにあたえる影響
おわりに
参考文献
参考文献
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