6点点字が、フランスのルイ・プライユによって考案されてから、すでに150年を経過した。この間、点字が盲人のコミュニケーションや教育に果たした役割は大きい。しかしながら、技術革新のめざましい現代における点字の意義について、疑問を持つ向きもある。各種のテープレコーダーやオプタコンなどを活用すれば、点字はまったく不用になるのであろうか? ところが、現在これらの機器を活用している盲人は点字を否定していない。これらについて、三者択一の問題としてではなく、「あれもこれも」の問題として、その特性に応じて活用しているからである。
そこで、カセットコーダーやオプタコンの機能と対比させながら、点字の現代的意義を考えてみたい。この場合、カセットコーダーによる音声言語の録音・再生と、オプタコンやタイプライターによる普通の文字の読み書きを、点字の読み書きと対比させながら、盲人相互のコミュニケーションや正眼者とのコミュニケーションおよび学習の三つの場面で、操作性、速度、情報の範囲などを主として比較する。なお学習の場面を除けば、ある程度熟練した状態での比較である。
盲人相互のコミュニケーションの場合は、点字タイプライティングと点字触読、かなや英文字のタイプライティングとオプタコンによる触読、カセットコーダーによる録音・再生の三つの組み合わせの間で、速度や操作性あるいは情報の範囲における決定的な差異はない。発信(書きと録音)と受信(読みと再生)に分けて、強いて速度の序列をつければ、発信においては、カセットコーダー、かなや英文字のタイプライター、点字タイプライターの順であり、受信においては、逆に、点字触読、オプタコンによる触読、カセットコーダーによる再生の順となる。そこで、組み合わせでは平均化されるのである。また、操作性においても、最初から読んだり聞いたりする場合には差異はないが、途中で、とばしたり拾ったり逆行して、読んだり聞いたりする場合には、両手で読める点字シートがはるかに有利である。さらに、試験問題などのように、読みながら並行して書く場合には、両手が分業できる点字シートが有利である。
盲人と正眼者とのコミュニケーションの場合は、どうであろうか? カセットコーダーの場合は、相手が耳が悪くない限り問題はない。ただし、音声言語と文字との変換は、現在のところ実用的には、朗読と代書が必要である。点字と普通の文字との相互変換も、実用的には、点訳と代書によっている。ただし、かなや英文字は、自分でタイプアウトできるが、漢字かな混じり文の相互変換は、研究段階の域を出ていない。オプタコンによる漢字かな混じり文の読み取りは、相当困難をともなうし、邦文タイプによる書き出しは、盲人には不可能に近い。しかしながら、かなや英文字については、読み書きともに、盲人相互のコミュニケーションとなんら変わるところがない。
このことは、盲人の読書に重大な変化をもたらした。日本では、かな文字で印刷された書籍があまりないため多少問題は残ってはいるが、欧米においては、オプタコンが読書範囲を飛躍的に拡大した。たとえば、点字を1分間に110ワーズ(1ワーズは5文字と1スペース)読める盲人が、オプタコンでは80ワーズしか読めないとしても自分自身で、直ちに読めることの意義は大きいからである。一方、点字製版や点訳は朗読よりも手間がかかるため、点字書籍の比率は相対的に低下してきている。こう見てくると、正眼者とのコミュニケーションや読書のチャンスについては、技術革新を行なわない限り、点字の地位は低下する一方である。
学習の面ではどうであろうか? 盲ろう児などの例外を除けば、文字よりも先に音声言語を修得するのが普通であるし、操作も容易であるから、カセットコーダーによる録音・再生の学習が最も速い。点字タイプライターによる書きの学習は、かなや英文字のタイプライターによる書きの学習より容易である。点字の触読を学習する以前に、オプタコンによる普通の文字の触読を学習させた事例を知らないから断定はできないが、文字の複雑さと操作の両面から考えて、点字の触読の学習の方が容易なように思われる。そこで、学習においては、カセットコーダーによる音声言語の録音・再生が最も容易で、点字の読み書きがこれに次ぐと言い得る。
前述の三つの場面での比較を総合すると、カセットコーダーによる音声言語の録音・再生が手軽に学習でき、オプタコンやタイプライターによる読み書きは、正眼者とのコミュニケーションに優れているのに対して、点字の読み書きは、両手の操作性と読みの速度に長所があることがわかる。しかしながら、速度を変えられるカセットコーダーや、イギリスのカセットコーダーのように、自分の聞きたい場所をすぐ探せる方式を採用すれば、速度や操作性における点字の優位性は脅かされる。また、片手オプタコンが実用化されて、両手で読めるようになったら、両手の操作性や行替えの速度は点字と変わらなくなる。その結果、点字は現在の愛用者とともに消滅し、博物館の棚に飾られることになるのであろうか? もし点字に優れたところがないならば、そのまま放置して、現在の愛用者の愛玩物にとどめておいても良い。しかしながら、根本的なところに何か長所があるならば、それを明確にして、点字表記法と読み書きのシステムを改善することが必要である。この場合、現在の使用者だけではなく、盲人人口の大半を占める中途失明者や、毎年、2、300名に減ったとはいえ、教育を受ける先天盲児のためにも、覚えやすく読みやすくわかりやすい点字の表記とシステムでなければならない。
点字の根本的な長所があるかないかを考える前提として、一つには、音声言語と普通の文字および点字の記号としての特徴を採り上げる必要がある。もう一つは、文字といっても視覚で読むのではなく、オプタコンの触知板の振動点の集合を触覚で1字ずつ読むのであるから、その認識の過程は、点字や音声言語の場合と同様に、継時的であることを前提とする必要がある。
まず第1の特徴は、点字が音声言語や普通の文字に比べて、記号としての抽象度が高く、その記号形態の構成要素にリダンダンシー(余裕性)がないということである。すなわち、音声の場合は、1/100秒毎に切って、一つおきに拾い、間をつめて2倍の速さにしても、十分にその内容を聞き取ることができる。また、普通の文字も、半分隠しても、読み取りにさして支障はない。これに対して点字は、1点が欠けてもその文字が読めないだけでなく、別の文字に変わってしまうのである。この点字の特徴は、1点の誤りも許さないという厳しい条件つきではあるが、コード化(文字などの読み取り)の過程を単純化できるという長所となる。
第2の特徴は、点字が継時的な認識の過程において、合理的な記号体系を持っていることである。音声言語がやや自然発生的であり、普通の文字が、目読みに適した形として発達したのに対して、点字の記号体系は、初めから継時的な認識の過程を想定して作られたからである。たとえば、前置符で、数字か英文字かかなかを大別してから、次にその系列の記号を識別したり、濁音か清音かを予知してから、次の同型の文字を識別したりできることである。これは現代の階層システムを先取りした感がある。
これらの特徴は、点字の根本的な長所と考えられるので、正眼者とのコミュニケーションや学習における問題点を技術革新と点字表記法の改善によって、点字の機能の復活をはかるべきである。
点字の根本的な長所を踏まえて、表記法と読み書きのシステムの改善を行なう前に、先覚者の遺産を再評価しておく必要があろう。まず第1に、文字を点で構成することの意味を検討しなければならない。
18世紀末のパリに、バランタン・アユイが世界最初に建てた盲学校では、活字を押して出して作った線文字が用いられていた。やがて、線よりも点の方が読みやすいことがわかると、線文字の輪郭に針金でついた点線をつけるようになった。このような文字で学んでいた少年のルイ・ブライユは、シャルル・バルビエの12点点字とそれを書く点字板に感激した。縦6点、横の2列の12点の組み合わせで文字を作りアルファベットの形からは独立した暗号が彼をひきつけたが、使っているうちに、縦長の読みにくさを改めるために、上半分の6点からなる点字の記号体系を考案したのである。
当時各種の線文字が欧米の盲学校で用いられていたが、19世紀末には、点字にとってかわられている。略式のアルファベットとして英国のウイリアム・ムーンが考案した線文字は、かなり普及し、中途失明者のために最近まで使われてきた。わが国でも木版文字や針文字など多くの線文字が用いられていたが、中でも押田清宝が1872年(明治5年)に採用を陳情した文字は、線と点で組み立てられたもので、盲学校の創立に先立つこと数年の画期的な考案であった。しかしながら、これは盲学校には受けつがれず、ブライユ式点字の輸入と石川倉次の翻案によって、わが国における線文字は使用されなくなったのである。
線文字が点文字に代わった理由として、書籍の印刷と盲人による手書きの再現が容易でないことがまずあげられる。このことは、アメリカのフランク・H・ホールが、1892年と3年に続いて発明した点字タイプライターと亜鉛板製版機が、点字の普及に大きな役割を果たしたことからも知られる。もう一つの理由は、触読における点の有利さである。現在、普通の文字の形を指導する場合、亜鉛板やサーモフォームあるいはレーズライターのどれを用いるとしても、滑らかな線は用いられず、点線やざらつきのある線が用いられていることからも理解されるであろう。これは、触覚細胞に対する断続的な変化の立ち上がりが刺激を加重しているためである。なお、オプタコンによる触読を線文字の再来と誤解している向きもあるが、振動点の集合が、普通の文字の形を構成していることと、文字表示の即時性については、従来の線文字とは異質なものである。
1825年から29年にかけて整備されたルイ・ブライユの記号体系は整然としている。彼は、6点のあるなしからなる63通りの組み合わせを7行に配列して、記号体系の基礎とした。1行目は最も基本的なもので、上4点からなる15通りの組み合わせの中から、下がり記号と前置記号と重なる五つを除き、残りの10個を配列し、これをアルファベットのA〜Jおよび数字の1〜0にあてた。2行目はこれに3の点を加え、アルファベットのK〜Tにあてた。3行目は、1行目に記号に3・6の点を加え、4行目は、6の点を加えた記号を配列した。当時のフランス語の字母になかったWを除いて、3行目の前半の記号をあてたが、後に英国人によって4行目の最後の記号がWにあてられた。これらの40の記号は、アルファベットや数字だけではなく、楽譜の音符にあてられるなど実質的な記号にあてられている。5行目は、1行目の記号の形をそのままに下に下げて下4点の組み合わせでできているが、句読点やカッコなどに用いられている。残りの13個のうち、3の点を含むものを6個6行目に配列し、7行目には、右半分の4・5・6の点からなる7個を配列している。この7行目の記号は、次の記号の直前に組み合わせられるので、前置符号として体系的に活用されている。
このブライユの体系の特徴として、(a)縦と横の点の配列が整然として記憶しやすい。(b)実質的な記号は指先の鋭敏な上の方に集め、文や節などを区切る句読点やカッコ類を下がり記号で下の方に集め、上下の相異を強調するとともに、1と4の点のあるなしで識別を容易にしている。しかも句読点の短さの順に左から配列している。(c)7行目の記号や6行目の数符のように、次の文字の直前に来る右寄りの記号を用いて、前もって記号系列の相異を予知させたり、語句の後ろに来る記号は、できるだけ左寄りの記号を用いて語句を引き締めるなど、継時的な認識の過程を十分に意識している。(d)数字やアルファベットあるいは句読点などについては、普通の文字と点字とはまったく対応しているため、相互変換は容易である。点字の楽譜は、五線譜よりも抽象度が高く、たとえば音の高さと長さを縦と横に組み合わせた音符が用いられているので、単純な対応はできないが、継時的な認識過程にはふさわしい体系となっている。すなわち、縦軸を横軸にたたみこんだものと考えても良いし、オクターブを前置符で区別した後、上の4点で音の高さを表わし、3と6の点で音の長さを現していると考えても良い、などが指摘できる。これらの考え方は、英米の点字略字の規則にも受け継がれており、分かち書きが普通の文字の表記と一致していることとともに、我々にとってはうらやましい限りである。
官立東京盲唖学校の小西信八教頭が、かな文字論者のよしみで迎えた石川倉次の案を中心に、同僚の東山邦太郎や奥村三策、それに生徒の伊藤や室井などが研究討議して、1890年(明治23年)に定めたのが、日本の点字記号の基礎となっている。
この石川倉次の翻案になる日本の点字の骨組みは次のような特徴を持っている。
(a)ブライユの配列表の1行目から、5の点を含む記号を除いて、日本語の母音であるア行にあて、3・5・6の点の組み合わせを追加して、「カ、サ、タ、ナ、ハ、マ、ラ」の各行を作り、「ヤ、ユ、ヨ」はア行を下げたものに4の点を加え、ワ行(ただし「ウ」を除く)はア行を最下に下げて作るなど、整然とした体系で記憶しやすい。(b)普通の文字とは反対に、濁音や半濁音を前置点としていることや、促音符を2の点、長音符を2・5の点としたことなどは、、継時的な読みを意識している。(c)後に略字として拗音が追加され、次いで外来音が加えられたが、当時はかな文字に1対1対応する整然とした体系であった。(d)カナ文字はアルファベットに比べて数が多いため、ブライユの配列表の5行目の下がり記号などを使ってしまったことと、当時普通の文字でも句読点をあまり使用する習慣がなかったことなどのため、句読点はなく、分かち書きと同じくマスアケで示していた。
以上のような特徴のため、この体系からはみ出している特殊音や句読点がかな点字の体系となじまず、後に紆余曲折を経ることとなるのである。
日本の点字制定当時のかなづかいは、和語はもとより漢語も歴史的かなづかいであった。当時一般の国語・国字問題では、ローマ字論よりかな文字論が強くなる傾向がみられた。そのような背景の中で、1896年(明治29年)には和語は歴史的かなづかいのままとし、漢語だけを字音がなで表現するようになった。小西信八校長が2年間の洋行から帰ると、その間校長事務代理を命ぜられていた石川倉次は、拗音を提案し、翌1899年(明治32年)に正式に承認された。かな文字論者の小西信八と石川倉次は、ほとんど漢語にしか用いられない拗音(ただしカタカナで書かれる外来語や外国語は別だが)をも加えて、漢字のかな化に努めたかったのかもしれない。1900年の小学校令で、「字音がな」が明記され、一般の小学校用の一部の検定教科書に採用された。翌1901年(明治34年)には、官報に、拗音をも含めて「日本訓盲点字」が小西校長の報告の形で掲載され、日本の点字は公式に認められた。
日露戦争後の国粋主義の高まりの中で、1908年(明治41年)には、小学校令の字音がなが削除され、一般の教科書は漢語も歴史的かなづかいに戻った。1911年夏から翌1912年春にかけて(明治44年、明治45年)、点字においても、漢語を従来通り字音がなとすべきか歴史的かなづかいに戻すべきかで激論がかわされた。盲・ろう分離後の東京盲学校初代校長の町田則文は、かな文字論者で字音がなを守るべく孤軍奮闘し、ろう学校に移っていた石川倉次にその理論づけを依頼したが、この二人のカナ文字論者によって、点字の字音がなは守り通せたのである。
その後大正時代に入ると、和語についても歴史的かなづかいを廃して表音式かなづかいが多く行なわれるようになってきた。帝国盲教育会では漢語は字音がなで、和語は歴史的かなづかいの併用を決議していたが、1922年(大正11年)創刊された「点字大阪毎日」が表音式を採用したので、表音式かなづかいは急速に普及した。初代編集長の中村京太郎は、東京盲学校の生徒のころ、石川倉次が滝録松に作らせたカナタイプライターを活用した唯一の生徒で、かな文字論者の系譜を継ぐ人ということができる。「点字大阪毎日」の創刊号が、現代かなづかいとほとんど変わらない表音式かなづかいを採用しているのは、中村京太郎の見識と言うべきであろう。
昭和に入ると、表音式かなづかいは、音節文字であるかなのワクを越えて、ローマ字か発音記号のような音韻文字的な用法によって乱されてきた。最も典型的なのが長音符の用法で、擬声語や外来語と同様に、すべての列の長音に長音符を用いるだけではなく、母音くり返しにまで長音符を用いるようになってしまった。このような背景の中で生まれたのが、50を越える特殊音で、あたかもかなを用いた発音記号の感を呈していた。前置点は9種類に及び、かな文字の体系と異なるため覚えにくいものとなってしまった。
戦後の1946年(昭和21年)に国語審議会が現代語をかなで書き表わす場合の準則として、「現代かなづかい」を制定して、普通の文字でも表音式かなづかいが行なわれるようになった。これは、小西信八、石川倉次、町田則文、中村京太郎などの先覚者が、点字の世界で積み重ねてきた成果と同じものが、普通の文字の世界でも実施された画期的な出来事であった。その後教育や点訳などの観点から、点字と普通の文字との相互変換の必要性が高まるにつれて、現代かなづかいと点字かなづかいの対応づけが大きな問題となってきた。日本点字研究会や日本点字委員会の仕事は、発音記号化しつつあった日本の点字を、本来の表音式かなづかいに戻すことであったとも言える。一方「現代かなづかい」は、本来の表音式かなづかいよりも、語意識の面からやや保守的な面がある。そこで、本来の表音式かなづかいと「現代かなづかい」との相違点を明らかにするとともに、できるだけその相違点をなくす方が、盲人の生活と文化を向上させるため得策のように思われる。ここに鈴木力二編「石川倉次先生伝」から、ローマ字を廃して、かな文字を点字の基礎とすべきことを論じた石川倉次の論拠を引用して味わってみたい。
「将来に於て若しも我全国の普通人が在来の文字を廃棄して羅馬字を用うるの時来り、即ち我が日本が羅馬字国となるの時に至りては、盲人も随ってそれに遷るも得策ならんか。なれども日本普通人が将来必ずしも用うるか将用いざるかも知れぬ羅馬字を盲人独り今より用いて先走るは甚だ以て不得策なるべし。盲人は明者に導かれざるを得ざるものなり。盲人が独り明者に先立ちて進むとき、其の不便多かること明ならん(日本点字撰定始末)」(57頁・現代かなづかいに訂正)
もちろん戦前のように歴史的かなづかいとの差と異なって、「現代かなづかい」と本来の表音式かなづかいとの相違点はほんのわずかであるから、点字と普通の文字との対応の方が、はるかに得策のように思われるのである。
「点字は一通り覚えたが、特殊音だけはどうも・・・・・・」という言葉をよく聞く。読書開始年齢の小学部3・4年生が、外国の童話に出てくる特殊音のために、読書意欲をそがれることも多い。点字のベテランと言われる人でも、地名のディリを「RHマイナス」と読んだり、「トゥ」と「デュ」の混同をするのであるから無理もない。これは特殊音の体系性に問題があるからである。27の特殊音(外来音と言われている)の前置点が8種類もあり、しかもそのうち2種類は、外字符や大文字符と同じであり、3種類は拗音、拗濁音、拗半濁音と同じなのである。これでは前置点で、次に来る記号の系列を予知するという点字記号の原則に反している。しかもこれらの前置点に意味が託されていない。たとえば、濁点の場合は、有声者(濁り)を表わしており、拗音の場合は、ローマ字で書いてから、Yを前に出し、そのYを拗音点に変えたものと考えれば体系的に納得できる。しかもYを表わす4の点は、「ヤ、ユ、ヨ」の中に含まれる4の点と同じなのである。特殊音の前置点も、意味を持たせた1種類か2種類の前置点に整理して、点字を盲人多数に開放すべきである。カタカナの外来音は「ア、イ、ウ、エ、オ」の小文字を前のかなにそえて表わしている。音節文字であるかなで表わすのであるから、発音記号のように正確に音を表わしてはいないが、その発音を知らない人でも、それに近い発音をすることはできる。そこで、点字でも小文字符を用いてカタカナと同じ書き表わし方をすべきだという意見がある。しかし、その場合、小文字の部分に来て初めてそれが特殊音であることを知り、前に戻って発音を訂正しなければならないから、継時的な読み取りの過程には向いていない。やはり特殊音符か濁点特殊音符を前置してから、カタカナ表記と同じかなを二つ書くのが最も安全なように思われる。特殊音符としては2・6の点、濁点特殊音符としては2・5・6の点がなじみから言っても良いようである。なれれば従来と変わらず速く読めるし、たとえ特殊音を知らなくても、かなからそれに近い発音はできるから初心者にも向いている。また、必要に応じて特殊音をいくらでも作り出して表現しても、読者は読み取ることができる。ただ一つ問題点は、従来より1マス多い3マス記号になる点である。しかしながら、特殊音の出現頻度は、平均すると1パーセントにも満たないから、文章全体の読みの速度に影響は与えない。
その他の記号については、最近の試験問題などと関連して、アンダーラインなどを表わす指示符類や空欄記号あるいはカギの開き閉じの区別などの問題がある。しかしながら、今年1月に日本点字委員会から出された「日本の点字」(日本点字委員会公報)第3号に載っている中間報告程度の解決案で良いのではないかと思う。
点字のかなづかいは表音式であることは現在ゆるぎもない事実である。ただ、表音の「音」とはいったい「音節」なのか「音韻」なのかという点になると、いささか誤解があるようである。日本の点字は、50音表に基づいているのであるから、音節文字であるかなの一種である。ひらがな、カタカナ、万葉がなと同じ点字がなであって、ローマ字や発音記号のような音韻文字ではない。そこで、方言や擬声語または外国語などをかなで書き表わす場合に、どのかなをあてるかが問題となるのである。これら特殊音の問題だけではなく、長音や促音の用い方、音便や活用語尾の表記などでも音節の認定はむずかしい。そのため表音式かなづかいの基準が必要となるのであるが、点字のためだけの特別の基準を作るよりも、表音式かなづかいの基準である現代かなづかいを点字正書法の基準として定め、点字での例外を明確にするのが得策である。その相違点の第1は、助詞の「ハ、ヘ」を「ワ、エ」と書く点であり、第2の相違点は、「ウ」と書く長音を点字では長音符を用いる点である。オ列の長音のうち、「オ」と書く長音については語例も少ないし、派生語を作る語も、「オオキイ」、「トオイ」「トオル」、「ホオ」などの数語にすぎないので、現代かなづかいと同じで良いのではなかろうか。要するに、多少の相違点を強調するよりも、大部分の共通点を踏まえて、普通の文字と点字との対応に留意する方が、情報収集の範囲を拡大し、社会的発言をする場合にも有利であると思う。
漢字かな混じり文の場合、名詞や動詞の漢字が分かち書きの役割の一部をになっているため、分かち書きが行なわれていないのは、日本の盲人にとって不幸なことである。そのため、点字の世界では独自の分かち書きの原則を築き上げてきた。ただ、従来、文法、ことに品詞論にかたよった説明をしてきすぎたように思われる。この際、読解力を高めるために分かち書きはあるのだという観点に改めて立つ必要がある。そうすれば、主語、述語、修飾語、独立語などの文の単位を基準として分かち書きををすれば良いという原則を立てるだけで良いし、便宜的には、「ネ」とか、「サ」とか、「デスネ」などを入れて二つに分かれても、意味が変わらない部分で切れば良いという程度の名目で十分ではなかろうか。複合語、ことに漢語の複合語の場合には、たとえ1語であっても中に修飾関係や対等関係が内包されていれば、分かち書きした方がわかり良いのである。また、機械的な記憶は七つの要素以下でなければ把字できないから平均して4・5拍程度で単なる文字群から意味のある文の単位へくり上がるような分かち書きの基準を定めることが必要であろう。また、漢語と外来語を和語から区別しておくことが、複合語の分かち書きの規則を定める際には重要な決め手となるであろう。さらに、石川倉次が最初から用意していたつなぎ符を活用することも一つの方法である。要するに、何のために分かち書きするかという原点に返って、速く読んでも理解を容易にするような分かち書きを育てたいものである。また、文法的な裏づけと言っても、品詞論に拘泥すべきではない。チョムスキーの生成文法とまではいかなくとも、少なくとも文の要素とそれらの関係だけは明確に把握しておく必要がある。さらに和語の文脈の中で、漢語と外来語の位置だけを明確にしておくことが、分かち書きの理論づけの上で必要なことなのである。
点字が、紙の上に点字板で書かれるようになってから150年、点字タイプライターや亜鉛板製版機で書かれるようになってから85年を経ている。紙の上に書かれた点字を手を動かしながら指先で読むことは、確かにすばらしいことである。点の形や固さ、表面の摩擦や吸湿性、内容による読みの速度の調整など、どれをとってみても優れている。しかしながら、前述した根本的な長所を生かしながら、欠点を補っていくためには、現行のシステムを洗い直すとともに、新しい発想でシステム開発に努めるべきである。
点字の読み書きのシステム開発の目標として、少なくとも(a)読み書きの操作が容易である。(b)読み書きの速度調節が自由にできる。(c)加除訂正、割付などの編集・校正作業が容易にできる。(d)点字と普通の文字との相互変換が自由にできる。(e)普通の文字と点字の相互変換の時間を可能な限り短縮する、などが考慮される必要がある。
「視覚障害」No.32に東工大の長谷川健介先生から報告のあったように、視覚障害補償機器開発研究会では、当面の目標として、(a)奉仕者が打った点字を自動的に読み取る。(b)加除、訂正などの編集・校正が容易にできる。(c)点字コードを電算機用カセットに記憶させて、原本の収納スペースを減らす。(d)必要に応じて、電動点字タイプや製版機で紙に点字を打ち出したり、かなや英文字でタイプアウトできる、などを考えている。このシステムを用いれば、点訳奉仕者の書いた点字が必要なだけ印刷できる。また、亜鉛板修正のわずらわしさから開放されるし、ラインプリンターや発泡方式の印刷システムと結合すれば、必要部数の印刷が手早くできたり、1冊の本の中に今の2倍近くの点字を印刷することができる。さらに盲人が書いた点字をかなやローマ字に変えて正眼者に提出することもできる。もし盲人が漢字に対応する点字の記号を覚えさえすれば、写植のさん孔テープから自動的に点訳したり、手書きの点字から漢テレで漢字かな混じり文を打ち出すことも可能になってきている。(「新時代」No.26参照)
これらの当面の目標が達成された後は、(a)振動子の駆動だけで、紙に書かれた点字と同じような触感で読み取れる点字、ディスプレイを開発する。その場合、できるだけ手以外の場所で、内容による速度調節をしながら読み、手はタイプや楽器などの操作を同時にできるようにしておく。(b)点字書籍を郵送するのではなく、点字カセットを郵送して再生したり、電話回線で電送して再生したりできるようにする。(c)漢字かな混じり文のさん孔テープからかなの点字に変換し、分かち書きをして自動的に点訳できるようにする。(d)印刷された漢字かな混じり文を自動的に読み取って、かなの点字に変換できるようにする。(e)かなの点字から、漢字かな混じり文に自動的に変換できるようにする、などの目標を設定して技術開発を続ける必要がある。もしこれらの目標が達成された場合には、たとえば、入学試験問題などでもその場ですぐ点字に変え、点字で書いた解答を漢字かな混じり文で提出することができるであろう。その結果、普通の文字の読み書きができないという盲人の障害の大きな部分が解消されることとなるであろう。
出典:「視覚障害 その研究と情報」、No.34、PP.4-15、1977年 夏.