三田祭論文
三田祭論文

慶應義塾大学経済学部
大平 哲研究会
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援助側と被援助側の二者の関係で見る開発思想の変遷

金久保智哉・川野真優・澤村新之介・鷲見光太郎・藤平真煕・吉田有希

世界には1日1ドル未満で生活をしている人が10億人以上存在する。多くの人々が貧困に苦しんでいるこの状況を国際社会も黙って見ているわけではない。2000年に国連ミレニアム・サミットでミレニアム開発目標(以下、MDGs)を189の国の代表者が採択して以来、先進国と途上国は貧困問題を解決しようと、ともに開発援助に取り組んできた。MDGsは貧困と飢餓の撲滅、乳幼児死亡率の改善など8つの目標から成り、これらを2015年までに達成することを目指す。

世界が途上国の貧困問題の解決に本格的に取り組みはじめたのは第二次世界大戦後である。戦後、援助機関や先進国は、途上国の貧困問題を解決するべく、さまざまな理論やアプローチを試しながら開発をおこなってきた。戦後から1960年代までは、途上国全体の経済成長が貧困削減につながるという考えのもと、先進国の科学技術を途上国に移転する開発が主流だった。1970年代には、途上国の貧困層に直接、教育や住居などの社会的サービスを提供する開発を援助機関や先進国は重視するようになる。1990年代には、被援助側が実際に開発プロジェクトの活動をおこなう開発が注目されるようになり、現在は、援助側と被援助側がお互いの考え方や知識、技術について学び合う過程を経る開発を実施するようになった。

これまでに多くの研究者が途上国の開発の歴史を独自の視点からまとめている。たとえば、エスワラン、コトワル(2000)や坂井、カンラス(1990)は、1つの国や地域における開発の歴史を研究している。絵所、山崎(1998)は開発経済学の中心的な課題である貧困に対して、援助機関や先進国はどのような開発を実施してきたのかをまとめ、Yusuf, Deaton, Dervis, Easterly, Ito and Stiglitz(2009)は開発経済学の歴史を30年分のWorld Development Reportをもとにまとめている。郭(2010)はこれまでの開発の歩みをその時代の世界政治、経済、社会問題と結びつけながらまとめている。しかし、援助側と被援助側という二者の関係から開発思想を捉えた文献はない。

本稿は、戦後から現在までの開発の歴史を4つの時代に区分し、援助側と被援助側という二者の関係に着目してそれぞれの時代の開発思想をまとめる。二者の関係に着目することで、時代ごとの開発の思想を簡潔に捉えることができる。1節では戦後から1960年代の開発を概観し、この時代はプロジェクトの活動を計画する際に援助側が自身の考え方を重視していたことを示す。2節では1970年代の開発を概観し、援助側は依然として自身の考え方を重視していたが、被援助側が認知する事実も重視するようになったことを示す。3節では1980年代後半から1990年代の開発を概観し、援助側が被援助側の考え方を重視するようになったことを示す。そして4節では、現在おこなっている開発の事例をもとに、援助側と被援助側の両者の考え方を重視し、両者が互いに影響し合って考え方を変化させていく開発があることを示す。以上のように開発の歴史をまとめ、それを援助側と被援助側という二者の関係をあてはめることで、開発思想の変遷を簡潔に説明し、その結果、現在の開発の思想がどのようなものであるかを示すことが本稿の目的である。

論文のフロー図

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目次
はじめに
1 戦後から1960年代のマクロ的開発について
 1-1 戦後から1960年代のマクロ的開発の概要
 1-2 二者の関係で見る戦後から1960年代のマクロ的開発
2 1970年代のミクロ的開発について
 2-1 1970年代のミクロ的開発の概要
 2-2 二者の関係で見る1970年代のミクロ的開発
3 1980年代後半から90年代のミクロ的開発について
 3-1 1980年代後半から90年代のミクロ的開発の概要
 3-2 二者の関係で見る1980年代後半から90年代のミクロ的開発
4 現在のミクロ的開発について
 4-1 現在のミクロ的開発の概要
 4-2 二者の関係で見る現在のミクロ的開発
おわりに
参考文献

参考文献
ウェブサイト内の資料については、記載されているURLでのリンクを2014年11月19日時点で確認しました。その後、URL が変更されている可能性があります。

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