三田祭論文
日本の自然遺産における観光開発と自然保護の両立
小田敦子・澤口昭太郎・廣瀬真耶絵・松尾健司
近年、日本では世界遺産ブームが起きている。テレビや出版物などメディアが世界遺産を大きく取り上げていることに影響され、いつか訪れてみたい世界遺産がある人は多いのではないだろうか。旅行会社も消費者の需要に合わせ、世界遺産を前面に推し出した旅行を数多く売り出している。それまで人がほとんど訪れなかったような地域でさえ、世界遺産に登録されることで一気に知名度があがり、一大観光地となる。世界遺産はそれほど地域に影響力がある。
世界遺産ブームに乗ろうと、全国各地で世界遺産登録を目指す動きがみられる。現在、知床に次いで日本で4番目の世界自然遺産(以下、自然遺産)登録の候補地として小笠原諸島がある。小笠原諸島は東京都心から南におよそ1,000キロメートルに位置し、大小30あまりの亜熱帯の島々からなる。自然遺産の候補地となった理由は、小笠原諸島が弧状列島として形成された過程を観察することができる世界で唯一の場所であり、また独自の生態系の中に固有種が豊富にあるからだ。
自然遺産に登録されることによる観光客誘致の効果は大きく、観光客の増加やそれに伴う収入の増加など、一見すると観光地としての開発は成功しているかのように感じる。しかし、観光客の増加によって自然遺産を過剰に利用することになり、自然の踏み荒らしや一部のマナーの悪い観光客による落書き、騒音やゴミ問題が起き、地元住民にとっても観光客にとってもマイナスの事態が数多く発生している。谷口・田渕(2008)は、世界遺産への登録により、観光開発が進み、観光客が流入することで道路混雑の常態化、排気ガスによる大気汚染、植物や動物への悪影響を受けている地域として、2005年に自然遺産に登録されたばかりの知床を挙げている。知床に限らず他の地域でも同じような悪影響を受けていると考えられる。しかし、これらの問題を解決するために一方的な自然保護や規制を行うことは、観光業や観光開発に厳しい規制を与えることになり、観光開発の面では大きなマイナスになる。また、過剰に入山禁止などの規制を行えば、地元住民の生活やそれまでの伝統的な暮らしをしてきた人々の生活を侵害することになる。このような状況を考えると、自然遺産に登録されることは果たして本当に良いことなのか疑問である。
地域の資産である観光資源を将来にわたって有効に活用していくために、観光開発と自然保護を両立する考え方として持続可能な観光開発が注目されている。UNWTO でも、今後有効な観光開発の手段として持続可能な観光開発を推奨している。また、北島・津國(2004)や敷田(2008)も述べているように、持続可能な観光開発の有効な観光形態の1つとしてエコツーリズムがある。環境省ウェブサイト によると、エコツーリズムは地域の固有資源を持続的に活かしながら、地域経済の活性化につなげることを目的とした観光である。さらに、エコツーリズムにはソーシャルキャピタルの蓄積、つまりステークホルダーどうしの連携をより親密にすることが必要であることをBeeton(1998)や成田(2004)は示している。ソーシャルキャピタルとは、地域の問題を解決するための人々のつながりを意味すると松本(2008)は述べている。つまり、ソーシャルキャピタルの蓄積とはお互いにより深いコミュニケーションを取れるようになり、より親身に連携を取れるようになることである。ソーシャルキャピタルの蓄積が行われれば、より円滑にエコツーリズムを行うことができる。実際に、エコツーリズム推進法 は「特定事業者、地域住民、特定非営利活動法人等、自然観光資源又は観光に関し専門的知識を有する者」といった地域のさまざまなステークホルダーが連携するための場を設ける必要があることを明記している。このように、エコツーリズムを行う上では、連携するための場の必要性が法律で示されており、制度面において持続可能性が保たれていると言える。しかし、自然遺産地域にはエコツーリズム推進法に則した政策を取ることが義務付けられているわけではない。また、日本の環境政策の根幹である環境基本法は連携するための場について明記していない。つまり、自然遺産登録だけでは自然を持続的に開発することができないのである。以上を踏まえ、自然遺産登録では観光開発と自然保護の両立を目指すためのソーシャルキャピタルの蓄積ができないという結論を本稿では示す。
この結論を導くために、以下の手順で進める。1節では自然遺産の現状を説明する。2節では戦後の近代化論に基づく外発的観光開発から近年注目されている持続可能な観光開発へと辿りついた流れ、さらに持続可能な観光開発の1つであるエコツーリズムについて述べる。3節ではコミュニティの説明を交えながら、エコツーリズムを行う上で必要となるソーシャルキャピタルの蓄積とそのための連携の場の必要性について述べ、ソーシャルキャピタルの蓄積の重要性を示す。また、自然遺産登録だけではソーシャルキャピタルの蓄積を行えないことを示す。そして、おわりにでは今後の展望として調整役としてのNPOについて述べる。
目次
はじめに
1 自然遺産の実態と問題
1-1 世界遺産の中の自然遺産
1-2 自然遺産の現状
2 観光開発の手法
2-1 持続可能な観光開発への変遷
2-2持続可能な観光開発
2-3 持続可能な観光開発としてのエコツーリズム
3 コミュニティとソーシャルキャピタルの蓄積
3-1 コミュニティとは
3-2 ソーシャルキャピタルの蓄積とは
おわりに
参考文献
参考文献
- 朝日新聞、朝刊、2007年6月29日
- 東徹「マス・ツーリズム批判と新たな観光のあり方の模索」塚本珪一、東徹編著『持続可能な観光と地域発展へのアプローチ』泉文堂、1999年、第1章1節
- 伊藤昭男「持続可能な観光と行政対応」塚本珪一、東徹編著『持続可能な観光と地域発展へのアプローチ』泉文堂、1999年、第3章5節
- 上田優「NPO と行政の協働 ~多様な社会サービス供給の可能性~」『香川大学経済政策研究』第4 号、pp.67-84、2008 年
- 北島滋、津國若菜「持続可能な観光と地域振興の可能性 : CNMIロタ島におけるエコツーリズムの事例研究を通して」『宇都宮大学国際学部研究論集』第18巻、pp.17-27、2004年
- 斎藤文彦『国際開発論』日本評論社、2005年
- 坂井宏光「日本の世界遺産における環境保全型観光産業の発展と課題 : 屋久島の世界自然遺産を中心として」『教養研究』九州国際大学、第15巻第1号、pp.63-79、2008年
- 敷田麻実「自律的観光から持続可能な地域を目指して : エコツーリズムという試み」『大交流時代における観光創造』北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院、第70巻、pp.75-96、2008年
- 社団法人日本ユネスコ協会連盟編『世界遺産年報2006』平凡社、2006年
- 庄子康、柴崎茂光「日本の国立公園を新たに世界自然遺産に登録することは公園利用者の利益となるのか?」『林業経済研究』第51巻第2号、pp.21-29、2005年
- 関根久雄「森への視線-屋久島における世界自然遺産と観光開発のゆくえ-」『島嶼研究』日本島嶼学会、第5号、pp.55-75、2005年
- 高樋さち子「「世界自然遺産 白神山地」における森林環境保続について」『日本大学紀要』第33巻、pp.63-72、2003年
- 谷口尚之、田渕五十生「ユネスコ東アジア地域世界遺産教育国内ワークショップの報告」『教育実践総合センター研究紀要』奈良教育大学、第17巻、pp.325-334、2008年
- 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年
- 永野由紀子「インドネシア・バリ島におけるグローバル・ツーリズム下での移住者の増加と伝統的生活様式の解体-デンパサール近郊プモガン村の事例-」『山形大学紀要(社会科学)』第37巻第2号、pp.161-208、2007年
- 成田弘成「観光のグローバリゼーションとは何か? : 世界遺産「白神山地」を事例の中心にして」『桜花学園大学人文学部研究紀要』第6巻、pp.233-246、2004年
- 広井良典『コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来』筑摩書房、2009年
- 服藤圭二「世界遺産登録による経済波及効果の分析-「四国八十八ヶ所」を事例として」『調査研究情報誌ECPR』第15巻、pp.45-51、2005年
- 保母武彦「内発的発展論」宮本憲一、横田茂、中村剛治郎編『地域経済学』有斐閣ブックス、pp.327-349、1990年
- 益山代利子「交通網の整備と観光振興:中央東線高速化による滞在型観光への影響」『地域総合研究』松山大学、第6巻、pp.173-179、2006年
- 松本潔「コミュニティ・ビジネスにおける組織概念に関する一考察 : 「ソーシャル・キャピタル」と「場」のマネジメント概念を通じて」『自由が丘産能短期大学紀要』第41巻、pp.15-38、2008年
- 水野節子「自然観光資源を有する観光地の環境測定分析 : 岐阜県白川村を事例として」『日本建築学会計画系論文集』第613巻、pp.167-172、2007年
- 森信之「ツーリズムと計画システム : 空間的側面を中心に」『大阪明浄大学紀要』第4巻、pp.117-127、2004年
- 山村高淑「本書のねらい―「世界遺産」と「地域振興」を再考する」山村高淑、張天新、藤木庸介編著『世界遺産と地域振興-中国雲南省・麗江にくらす』世界思想社、2007年、第1章1節
- 山村高淑、張天新「世界遺産登録と観光地化の光と影」山村高淑、張天新、藤木庸介編著『世界遺産と地域振興-中国雲南省・麗江にくらす』世界思想社、2007年、第2章3節
- Beeton, S, Ecotourism: A Practical Guide for Rural Communities, Csiro, 1998(本稿執筆にあたっては小林英俊訳『エコツーリズム教本 先進国オーストラリアに学ぶ実践ガイド』平凡社、2002年を参考にした。)
2009年9月の現地調査のようす (白神)
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青森県弘前駅にて
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白神自然学校からの風景
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白神山地、暗門の滝
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白神山地散策
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西目屋村役場
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白神山地を守る会
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論文全文(ゼミ関係者のみダウンロード可))
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