有機農業と地域経済 |
有機野菜にとって信頼性の確保は何より重要である.そこで私たちは,消費地と生産地が隣接していて,消費者が実際に生産現場を見ることができる都市農家に着目し,東京世田谷の大平農園と神奈川の港北地域における有機野菜生産を調査した.
本章では大平農園を中心に取り上げ,始めに大平農園の概要を説明する.その後,無農薬主義・地域密着型農業という大平農園の二つの特徴と都市での有機野菜生産の意義についてまとめると共に大平農園調査の感想を述べる.なお,最後に港北区における調査報告も載せてある.
5-1 大平農園の概要 ( 5-4まで尾上 )
5-2 大平農園の特徴
5-3 都市農業としての位置付け
5-4 感想
5-5 港北区の有機農業 ( 竹内 )5-1 大平農園の概要
園主 大平博四氏 場所 東京都世田谷区等々力の閑静な高級住宅街の中. 広さ 70アールと小規模で4区画ほどに点在. 収穫作物 ネギ,キャベツ,トマト,ナスなど野菜を中心に年間30種類以上. 農法 無農薬・無化学肥料の有機農法.
具体的には,水は井戸水を使い,害虫にはその天敵を育てることによって対応し,堆肥には落ち葉や枝を使うなど,徹底した無農薬・無科学肥料に取り組む.特に害虫の天敵育成には力を注ぎ,畑の中に池を作って蛙を育てたり,堆肥作りでは小動物,昆虫,微生物など食うものと食われるものとがバランスよく繁殖できることを第一に考えるなど,畑の中に生態系を作り出すことで害虫対策を行っている.有機農法に取り組むきっかけ 農薬障害と思われる症状で両親が亡くなり,人体を蝕む農薬の恐ろしさを肌で感じたことがきっかけとなり,1968年から取り組み始めた.
大平家は400年続く伝統ある農家で,園主の大平博四氏の父親はビニールハウスを考案するなど,農業の最先端を進んでいた.そのような大平家の下には毎日のように農薬メーカーから新薬が届けられ,ビニールハウスという密閉された中でそれらを使い続けたことが農薬障害の原因となったと博四氏は考えている.労働力 園主と住みこみで常時2人くらいいる研修生が中心. しかし,それ以外にも農業に興味のある近所の人や学生などが入れ替わりやってきて,無償で働く大量の有志の存在がある.私たちが訪れた際にも8人の方がお手伝いに来ていた.その層は老若男女を問わない. 生産量 現在取引している約300世帯分程度. 販売方法 若葉会という団体を通した配達方式と大平家での直売方式の二つ.
若葉会とは,大平農園が提携している全国9箇所の有機農家と消費者を結ぶ会であり,毎週火曜と金曜に大平農園から会員に野菜や果物などが届けられる.また月に1回,消費者のグループ代表が大平農園に集まり,畑の状況の説明を受けたり,野菜の感想を述べあったり,今後何を植えるかを協議したりする.会員数は公害などが問題となった1970年代には300人ほどいたが,現在は90人ほどである.園主は会員数の減少は,消費者に農薬への関心が薄くなったせいだと言っていたが,私はむしろ有機野菜が一般的になり,以前は若葉会でしか手に入らなかった情報や商品が様々な所で入手可能になったことが会員数減少の理由ではないかと思う.若葉会の会員が減ったかわりに,最近は直売所に足を運びに来る人が増えたことからも農薬に対する関心が薄くなったと一概に言うことはできない. なお,今後遠方との取引やスーパーなどへの出荷といった取引の拡大は生産量の限界から考えていない.購買層 世田谷区や目黒区などの近隣住民.今も昔も小さな子供を持つ母親の関心が最も高い.
5-2 大平農園の特徴
(1) 徹底した無農薬主義
大平農園では徹底した無農薬主義を貫いている. 農林水産業の定義では,有機農産物として認定されるものは無化学農薬・無化学肥料を前提としている.よって,化学農薬・化学肥料以外の農薬・肥料の使用は認められている.具体的には,次表にあるような多くの農薬の使用が可能である.
<有機農産物で使用可能な農薬>(出所)農林水産省告示第59号「有機農産物の日本農林規格」第4条別表2
除虫菊乳剤 硫黄粉剤 硫酸銅 混合生薬抽出物液剤 デリス乳剤 硫黄・銅水和剤 生石灰 カゼイン デリス粉 水和硫黄剤 液化窒素剤 パラフィン デリス粉剤 シイタケ菌糸体抽出物液剤 天敵等生物農薬及び生物農薬製剤 ワックス水和剤 なたね油乳剤 炭酸水素ナトリウム水溶剤 性フェロモン剤 二酸化炭素剤 マシン油エアゾル 炭酸水素ナトリウム・銅水和剤 誘引剤 ケイソウ土剤 マシン油乳剤 銅水和剤 忌避剤 硫黄くん煙剤 銅粉剤 クロレラ抽出物液剤
大平氏の話では,有機農業に取り組む農家の多くで表にあるような農薬は使われており,また本来禁止されている化学肥料や化学農薬を少量用いている農家も少なくないという.大平農園のように完全無農薬で生産している農家を探すのは至難の技であり,若葉会の提携農家を増やさないのもこうした理由によるものであるらしい.
このような頑固なまでに徹底した無農薬主義が大平農園の特徴であり,またブームになる以前から有機に取り組み始めた為,全国からこうしたこだわりに共感を持った生産者や消費者が大平農園を訪れるようになり,その信望は今でも厚い.
また八郷のように,生協に出荷するとなれば有機といえども多少形の良し悪しを意識しなければならないが,大平農園のような相対取引を主としている場合,購入する側が納得さえすればどのような形のものを売っても構わないし,大部分を虫に食べられていたとしても構わない.このように,形状などの見た目にこだわる必要がないことも無農薬主義の継続に関係していると考えられる.
(2) 地域密着型農業
堆肥に使う落ち葉や枝は材木屋から毎日運ばれ,生産には計画から収穫まで地域住民が参加し,消費するのも地域住民である.仕入れも販売もほとんど市場を通しておらず,まさに地域密着型という言葉が当てはまる農園である.
労働力不足に悩まされている農村が多い中,大平農園では地域住民が積極的に農園を訪れ農作業を手伝っている.こうしたことを通して,自然と消費者と生産者のコミュニケーションがなされ,地域に溶け込んだ活動を行うことができている.
また,一般的に有機野菜は生産コストが高く,その為販売価格も高くなってしまう.有機野菜のデータはまだ少ないため,環境保全型野菜と慣行野菜の販売価格の差を比べてみると次図のようになり,環境保全型野菜の販売価格の方が慣行野菜よりも約16%高いことが分かった.なお,環境保全型野菜とは農薬又は化学肥料の使用を地域の慣行的に行われている栽培より50%以上節減している野菜を指す.化学合成農薬,化学肥料の一切の使用が認められない有機野菜よりも緩い基準となるので,有機野菜の場合にはより販売価格が高くなると考えられる.
<1kg当たり販売価格(2000年)>
(出所)農林水産省統計情報部「環境保全型推進農家の経営分析調査」2000年
http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/12-43.pdf
一般的にはこのように有機野菜の販売価格は慣行野菜よりも高いが,大平農園での販売価格は近くのスーパーで売られている慣行野菜よりも安い.もちろん直売形式なので,仲介によるマージンが上乗せされていないということもあるが,園主曰く,生産コスト自体が慣行野菜より安いそうである.堆肥には材木屋から提供される不要な落ち葉や枝を利用していること,害虫駆除には天敵を育成して自然の特性を活かしていること,そして大量の有志が存在することで人件費がかからないことがその理由と考えられ,労働力や肥料の確保が地域社会と連携することで効率的に為されていることがコスト低減に大きくつながっていると考えられる.5-3 都市農業としての位置付け
近年,スーパーでも有機・減農野菜コーナーを目にするようになり,2000年には有機JASマークの認定が規格化され流通性が高くなるなど,有機野菜の市場への進出は広がりを見せている.また,各地域で農業振興の一環として有機農業への取り組みが相次いでいる.こうした市場拡大の流れの中で,従来の農産物であれば,大平農園のような小さな個人農家は衰退していくだろう.しかし,有機野菜は価格のみではなく交流・連携を通しての信頼性確保が何よりも重要な商品である.実際に,環境保全型野菜に取り組んでいる地域では,取り組む前に比べて,直売での販売が著しく増えているという結果がある.このことは慣行野菜よりも有機野菜の購入において,消費者が生産者との「顔の見える関係」を望んでいることを示唆している.
<環境保全型農業以降前後の出荷先割合の変化>
(出所)農林水産省統計情報部「環境保全型推進農家の経営分析調査」2000年
http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/12-43.pdf
また有機野菜は何より安全性に価値を置いた商品であり,当然消費者からも安全性への要求が高くなる.どんなに評価基準が整備されようが,相次ぐ産地や品質の偽表示問題などが起こっている現状では,自分の目で生産現場を見ることほど信用できる情報はない.次図にあるように農林水産省が行ったアンケートでも,無農薬栽培農産物等に関する表示の信頼度は低い.
これらのことから,たとえ技術力で他の産地に劣ることになっても,有機野菜の性質上,大消費地である都市において,消費者に安心を提供できるという都市有機農家の存在意義は大きい.昨今の交通網・保冷技術の発達で,市場への近接性というかつての都市農業の特徴は意味を持たなくなってきているが,消費者への近接性という特徴は有機野菜において十分に意味を持つものである.
<無農薬栽培農産物等の表示の信頼度>
(出所)農林水産省総合食料局「特別栽培農産物についてのアンケート」2003年
http://www.maff.go.jp/sogo_shokuryo/enq.pdf
また,大平氏は都市こそ堆肥作りに最も適した地域だと述べている.大平農園で作られている堆肥は材木を中心としたものだが,都市ほど多種多様な材木が集まる地域はないそうである.有機肥料となる素材がたくさんあり,また手間がかかり大量生産に向かない有機農業は,小さな畑が多いという特徴を持った,まさに都市農家向きの農業ということができる.
さらに,有機農業の最大の特徴は農薬に頼らない分,人による作業量を通常よりも多く必要とすることだが,都市にはその人口の多さを活かして労働力を確保しやすいという利点がある.これは,生産者の側だけでなく農業に興味はあるが普段土に触れることが少ない都市住民にとってもいい機会である.実際に,大平農園へ農作業の手伝いに来る人が毎日絶えないという現象は,潜在的に農業への都市住民の労働力供給があることを示している.5-4 感想
大平農園は「無農薬である」ということに対して,強い信念と誇りを持っている農園である.
博四氏は,農家として生き残る為の経済的理由や有機野菜に対する注目の高まりといったことではなく,農薬が持っている危険性を自らが肌で感じた経験から有機農業に取り組んだ.おそらく,そのことが博四氏の強いこだわりを支えているのではないか.
また,大平農園は畑も小さく,大量販売を目的としていない.さらに古くから徹底した無農薬主義を唱え,有機農業の先駆者としての信頼も高いことから,固定的な顧客も多い.こうしたことから,農協などの出荷団体に属する必要がなく,相対取引を通じた販売をすることができる.こうして形などにこだわることなく生産が続けられたことも無農薬栽培を徹底してくることができた要因だろう.
そして消費者との関わりが強い大平農園を見て感じたことは,都市農業には消費者が野菜の安全性を確認できるということはもちろん,生産と消費が乖離してしまった都市において,自らの生命を支える食糧がどのような過程で作られるのかを知ることができ,さらにそうした営みに実際に参加できるという利点があるということである.近年,都市に住んでいる人の中で,週末を地方で農作業をして過ごす人が増えているという.これは,自給自足や農業に対しての関心が都市において高まりつつあることを意味しており,身近に大平農園のような農業に触れる場があれば,多くの人に農業を考えるきっかけを与えることとなるだろう.
大平農園は園主のこだわりが詰まった場所であると同時に,都市に住む人々のオアシス的な要素を持っている.手伝いにきている人たちの作業に没頭している姿や,活き活きとした顔を見ていると,土をいじること,何かを育てることはこれほど人に充足感を与えるものなのかと驚く.また,大平農園は東京の中心部という場所,園主のキャラクターなど,様々な要因によって,独特の雰囲気を持つ農園であり,それが農作業を手伝う大量の有志や,根強い顧客を惹き付ける理由なのかもしれない.5-5 港北区の有機農業
有機農業の実態
港北区で生産される野菜は100%有機ではなく,減農野菜が多い.その原因は港北の有機農業地の面積が小さく,しかも場所にばらつきがあるところが多いことにある.そのような状況では,たとえ有機栽培を行っても隣接する農業地で農薬が使われれば風で農薬が飛んでくるような事態が起こり,100%の有機野菜にはならない.しかし,冬になると虫が少なくなって農地全体の農薬の使用量も少なくなるので,有機に近い野菜が増えることになる.
販売形態
港北区の有機野菜の販売形態は次の三つに分かれている.
@ 畑の前で売る.
A 定期的に近場の減農野菜市場で売る.
B 有機野菜を扱うの株式会社に卸す.
実際,近場のお店では港北区の有機野菜がどのように売られているのかを調べる為に,私たちは八百屋とスーパーマーケット,有機野菜専門店を回った.最初にいった八百屋では港北区の有機野菜はおいてなかった.その理由は港北区の有機野菜の品目と量も少ないので欠品する可能性が大きく,取り扱いができないということだった.しかし,その次に訪れたスーパーマーケットでは神奈川県産の減農野菜が販売されていた.また,自由が丘の有機野菜専門店「地球人クラブ」でも,全国各地から仕入れていた有機野菜の中に港北区に有機野菜が若干ではあるが並んでいた.
まとめ
港北区の有機農業と八郷のそれとのおおきな違いは,販売形態である.
港北区では生産品目と生産量が少ないゆえにアクセスできない市場が多い.しかし,その代わりに近隣の住民に直接売ったり,近場の有機野菜を扱う株式会社に卸したりして販売の問題を解決できるという面では,八郷町よりも地理的条件に恵まれているといえるだろう.
感想
港北区の有機農業を調べるに当たって,情報収集に非常に苦労した.地元の八百屋からは,それほどこだわりがないからあまり宣伝していないのではないかという話を聞いた.確かに,港北区では生産物の販売口に困らないゆえに,有機への強いこだわりや宣伝による差別化の必要性があまりないのかもしれない.
しかし,今後の日本の農産物市場を取り巻く環境を考えると,港北区もあまりうかうかしていられないかもしれない.日本はいま東南アジア・東アジアの国と自由貿易協定(FTA)を結ぶことを検討し,また既に交渉を開始している.FTAが結ばれると安価な輸入農産物が流入し,日本の農産物市場の競争は厳しくなることは避けられないだろう.その中で生き残っていくためには,やはり有機へのこだわりなどによって農産品の高付加価値化をはかることが重要だと思う.