通信教育関係

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新しい開発の見方

2004年2月:ラジオ短波での放送
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第2日(2004.2.13)代わりの見方

アマルティア・センという経済学者がいます。1998年のノーベル経済学賞を受賞した学者なので、名前をご存知の人も多いと思います。

センは若い頃は数理経済学という分野で目覚しい業績をあげました。数理経済学とは数学を駆使した経済学の分野です。前回お話した不可能性定理をめぐってもセンは多くの仕事をしました。そのような彼の若い頃の業績とは一見対照的に、後半生のセンは、貧困問題の解決に対してさまざまな取り組みをしています。インド人であるセンは、子供の頃に極端な貧困を目にしながら育ちました。「絶望的な貧困は社会の中でまず真っ先に解決しなければいけない問題だ」という信念がセンの思想の根本にあります。この問題意識から膨大な著作を出版しており、その全体像をここで紹介するのは不可能です。また、初期の出版物と後世のものとでは、同じ言葉を若干ちがう意味でつかっていることもあるので、センの業績をまとめるのはなかなか困難です。

そこで、今日は、センの思想に基づきながらも、セン自身の用語法に忠実であることにはこだわらずに、彼の思想のうち実際の開発の世界に大きな影響をあたえていることについて、4つの点を指摘することにしたいと思います。センは開発の目標として
  1. 保健・衛生状態がよくなること
  2. 教育水準が高くなること
  3. 自立していること
  4. 社会生活を健全に営めること
を含めることを主張しています。もちろん、いずれをとっても、センの独自の発明というわけではありません。ただ、「潜在能力」という概念をつかってこれらの要素の重要性を説明しようとした点にセンの独自性があります。

センは、「人が自ら生きる価値があると思うような生活をするための力」を潜在能力と呼んでいます。何かのチャンスをあたえられたときに、そのチャンスをどのように活用するかは、人それぞれの自由です。人によって好みがバラバラだからです。多様な価値観が混ざり合っているのが現代社会です。そのような好みのちがいは積極的に良いものとして認めることができますが、あたえられたチャンスを活用する能力のバラツキは、簡単には認めることができません。目的を設定したときに、あたえられたチャンスをどのように活用できるかは、人それぞれのおかれた環境によって異なります。

保健・衛生状態が悪い環境に住む人々は、肉体的・身体的に不健康な暮らしをしているために、チャンスがあたえられても、そのチャンスを自分にとって一番良いと思う形で活用することができません。保健・衛生状態の改善は潜在能力の拡大のために必要になります。

同じように、教育水準を向上させることも、潜在能力との関連で説明します。肉体的・身体的に健康であっても、チャンスを活用するためのノウハウがなければ、あるいは不十分であれば、チャンスを自分にとって良いように利用することができません。精神面、知性の面での健康とでも言うのでしょうか。技術を備えていなければ、どのような個人もチャンスを自分のために活用できません。技術を身につけるための手段は、言うまでもなく教育です。教育水準が高い地域・集団の方が、そうでない地域・集団よりも豊かだと判断できます。潜在能力が高いからです。

保健・衛生状態がよく、高い教育を身につけていても、それだけで開発が終わるわけではありません。実際の地方経済、途上国経済の問題を調べると、しばしば「自立」ということが問題になっていることがわかります。ここでは、自立という言葉を「自分たちの住む地域のことを自分たちで決めることができるような状態」という意味でつかうことにします。政治的自由とか、地域自治といったものと同じ意味でつかうということです。肉体的・身体的にも、また知識の面でもチャンスを活用する能力があるのに、そのチャンス自体が、地域外部の人に摘み取られてしまっている状態では、せっかくの能力が無意味なものになってしまいます。政治的自由の保証がないところでは、潜在能力が十分には発揮できません。それならば政治的自由も潜在能力の一部であると考えて、開発の対象にすべきでしょう。

4番目に指摘した「社会生活を健全に営めること」は、センの人間観(人間をどのように見るか、ということ)に支えられた主張です。センによれば、人間とは社会から切り離されて生きることができない存在です。GDPのもつ一つの性格として労働の意味についてちょっとしたコメントを前回しました。似たような話をセンもしています。失業がなぜ問題になるのかを考えるとき、それが所得の喪失を意味し、食料の確保をおぼつかなくさせるからという論点もありますが、失業をそれだけの問題とするべきではないとセンは主張します。人間は社会の中で、まわりの人間との関係を構築することで豊かさを実感する存在であり、孤立しては生きていけない。センはそう考えます。だからこそ、社会生活を営めているかどうかを地域・集団の豊かさを考えるときに、視野に入れようという提案です。

さて、センの主要な論点4つのうち、最初の2つ=「保健・衛生状態の改善、教育水準の向上」については次回に人間開発指数を紹介しながらもっと掘り下げた話をすることにします。第3の「自立」については最終日のテーマとしましょう。

今日の残りの時間では、第4の論点である「社会生活を健全に営めること」についてまずまとめ、次に潜在能力の概念についてコメントをして、経済中心の考え方に代わる見方の基本姿勢について整理することにします。

社会生活

まず社会生活についてです。

「人間は社会の中で生きる存在だ」

そんなことをあらためて言われると、なるほどと思う人、何をあたりまえのことをと思う人、いろいろいるでしょう。

センがこのようなことを言う背景には、経済学の人間観(人間をどのように見るかについての考え方)があります。経済学では、個人はバラバラに独立して生きている存在だと想定されています。まわりの人間の考え方や、自分が生まれ育った場所特有の考え方などといった、まわりの環境には無頓着に、確固とした個が確立した個人を想定しています。個人がおこなうのは、市場・マーケットからアナウンスされた価格情報に基づいて、自分にとってもっとも良いと思う選択(消費者ならば消費計画、生産者ならば生産計画)を市場・マーケットに申告することです。その決定の際に見るのは価格情報だけで、その他の社会要因は一切関係ないと想定するんです。

つまり、経済学の想定する世界では、個人はバラバラに孤立した存在であり、それら孤立した個人を結びつけ、利害を調整する装置・メカニズムとして市場・マーケットがあります。

このような経済学の想定に対して、センは痛烈な批判をします。もっとも有名なのは『合理的な愚か者』 (rational fools)という論文です。孤立した個人が利己主義的な動機だけで自分の満足を最大にするように行動しているという経済学の想定の非現実性を指摘しています。また、このような意味での利己主義的な人間観を作り出した人としてアダム・スミスの名前を引き合いにだすことのまちがいについても、さまざまな文献で主張しています。確かに、アダム・スミスは利己主義についても語っていますが、それ以前に個人が守らなければいけない基本的な道徳についていくつもの主張をしています。アダム・スミスは経済学の創始者である以前に道徳哲学の巨人だということを忘れてはいけません。

個人をあまりにも極端に社会から切り離す見方を批判する一方で、逆の極端に流れてしまうことについてもセンは批判を加えます。余談にはなりますが、その点についても紹介しておきましょう。『アイデンティティに先行する理性』というタイトルでおこなわれた講演の中で、センは、集団の意思だけに引きずられて意思決定をするのではなく、自立した個人が理性をもって意思決定をしている現実とその重要性について語っています。社会との接点を過少評価しても、過大評価してもいけないというのがセンの立場です。

今日の話で重要なのは、個人を社会から切り離された存在と想定してしまう発想に対する批判の方です。開発の目標の中には、「個人が社会生活にどれだけ参加しているか」ということも含まれるべきだということが、センの主張の中に盛り込まれることは、以上の説明で自然に理解できたかと思います。たとえば、失業率を低下させるための政策を開発政策の一環として提言するときには、失業を所得が失われた状態として理解するだけでなく、失業イコール個人が社会生活から切り離された状態として問題にする視点をもつべきだということになります。

個人と社会との接点という話題から開発問題を考えるとき、もう一つ紹介しておきたい話があります。社会関連資本というものです。英語ではソーシャル・キャピタル(social capital)と呼ばれている概念です。簡単に言えば、人と人とをつなぐ何か、個人間の信頼関係を作り出す何か、といったような概念です。

伝統的な開発の発想法は、経済中心の見方を基本とすると同時に、土木工学を中心に、自然科学の成果を利用して人間が発明した技術を基礎にすえるものでもありました。たとえば、河川=川から遠く離れた村落に水路をひく開発プロジェクトを例にしましょう。それまで河川から離れたところに住んでいたために、その村落の人々は、まず朝最初に川まで行き、水を汲んでくるのが日課でした。手間も労力もかかることです。いきおい、他の生産的な仕事に集中する余裕ができません。また、河川が遠くにあるため、下水処理もままならず、衛生状態がきわめて悪かったとします。

そこで、上流から水路をひき、その村落を通って、下流でまた河川に合流させるプロジェクトを計画することにしましょう。上流から上水をひき、下流へ下水を流すシステムを作るということです。

このような開発プロジェクトをすすめるとき、伝統的な開発方式では、土木工学的にもっとも効率的な水路設計をするのがふつうでした。もっとも低費用で上水を確保し、下水を流す仕組みを設計することに、何の疑問もありませんでした。おそらくこの話を最初に聞いた人のほとんども、あたりまえのことではないか、という思いをすることと思います。

ところが、実際の経験を蓄積してみると、土木工学的に最適だと判断して実行したプロジェクトの多くが失敗に終わってしまいました。もちろん、成功した例もたくさんあるので、失敗を過度に強調するのはいけないことですが、なぜ失敗したかを調査して、今後のプロジェクト立案に活かすことも必要です。

調査の結果わかったのは、土木工学で最適なものは、「人間」という要素を考えたときには、必ずしも最適なものではないということでした。水路の設計をするときには、水路の周辺に住む人々の文化とか、人間関係にも配慮しなければいけないという発見です。たとえば、どのようにしたら水路の上流に住んでいる人々が無秩序に下水を水路に流さないかについても考える必要があります。せっかく水路を作っても、最上流に住む人々が下水を流してもしまうと、それより下流の人々には宝の持ち腐れになってしまいます。また、水路を一度作ればいつまでもつかえるわけではなく、人工で作ったものであるからには、ときおり保守作業・維持作業が必要になります。そのような維持管理の仕事を村落の中でうまくマネジメントできなければ、せっかく作った水路がいつのまにか使えないものになってしまいます。

村落の中に、まわりの人に迷惑をかけてはいけないという文化や人間関係があるかどうかで、開発プロジェクトが成功するか失敗するかが変わってくるわけです。集団の中の信頼関係、人間関係を作るものは何なのかを追求する必要があります。地域・集団によって考えるべき要因はちがうでしょうが、それらを総称して社会関連資本と呼ぼうというのが最近の流れです。社会関連資本も考慮した上で、土木工学の知恵を借りようというのが新しい開発の考え方です。

社会から切り離されて孤立している個人の行動を集計しただけでは、社会・集団にとって最適な意思決定をできるわけではない、ということにつながります。個人と社会との接点をきちんと考慮した上で開発のありかたを考えなければいけないわけです。

潜在能力アプローチ:プロセス重視の側面

話を潜在能力のことに戻しましょう。

潜在能力の説明のためにセンは次のような項目を列挙しています。 以上に列挙した項目を整理したのが、今日の最初に提示した4つの論点です。

潜在能力を別の側面から見ると、経済生活の結果ではなく、結果を生み出すプロセスでどのような環境におかれているかを重視している姿勢を読み取ることができます。さきほど、「チャンスをあたえられたときに、自分にとって良いと思える形でそのチャンスを活用する能力」という言い方をしました。この言い方には、結果ではなく、結果を生み出すプロセスを見ているんだという意味合いも入っています。

実は、「結果ではなくプロセスの重視」ということも、伝統的な経済学に対する批判です。伝統的な経済学では、選択肢があたえられたときに、その選択肢の中から自分にとってもっとも良い点だけを選ぶのだから、仮に選択肢が狭まっても、最適な点が選択肢の中に残っていれば、選択肢が狭まったこと自体は個人の満足に影響をあたえないと考えます。話がややこしいですね。たとえば、10個のリンゴがあるとします。あなたはその10個の中から1個自分の一番気にいるものを選びなさいと言われるとします。そして、あなたは一番大きいリンゴを選ぶとしましょう。それでは次に、その一番大きなリンゴは残っているけれども、選べるリンゴは5個だけになったとしましょう。解くべき問題が変わったわけです。あなたの行動基準は「一番大きなリンゴを選ぶ」というものですから、2つの問題の結果は同じです。しかし、この2つの問題を、実質的に同じものだと評価することはできるのでしょうか。

経済学の発想では、同じと考えます。その点をセンは批判するわけです。結果だけを見るから同じと判断してしまうのであって、その結果にいたるプロセスで選択肢が狭かったことを考慮していないのは問題だと考えるわけです。選択肢が拡大することを開発と考えるべきだという基本姿勢があるからです。

同じような発想で、結果にいたるプロセスで個人がどのような努力をしたかということの重要性も主張します。たとえば、母国の独立という目的を達成するとき、自分がその独立に貢献していなくてもうれしいですが、貢献していればもっとうれしいはずです。結果にいたるプロセスも考えるべきだというのがセンの主張です。

このようなセンの考え方をさらにすすめると、自分で何も貢献せずに経済的に豊かになるよりも、多少の貧しさならば自分でその実現のために貢献しているときの方が豊かだということになります。このような判断にどれだけの人が合意するかは若干の疑問があります。努力しなくても経済的に豊かになれる状態を望むのか、経済的な豊かさだけでなく、社会への貢献からも喜びを見出すのか、基本的な人間観(人間をどのような存在と見るか)ということによって判断が分かれます。

この問題を掘り下げだすととても難しくなるので、ここでは、プロセスを重視する姿勢を指摘するにとどめましょう。

開発の分野では「プロセス」という言葉が別の意味でつかわれることもあります。

いままでの説明の中で開発プロジェクトという言葉をつかってきました。プロジェクトの反意語としてのプロセスという言葉遣いです。

プロジェクトは、計画、実施、完成という手順で話がすすみます。始まりがあり、終わりがあるわけです。そして、現実の開発プロジェクトの多くは、期間が短く設定されています。しかし、プロジェクトが実施される場所に住んでいる人たちは、プロジェクトの期間だけそこに住んでいるわけではなく、プロジェクトの前にも後にも住んでおり、そこで生活をしています。住民たちにとっては、自分たちの生活プロセスが先にあり、その一部にプロジェクトが実施されるわけです。

プロジェクトの計画をするのはおおむね、地域住民ではなく、外部の誰かです。中央の役人であったり、援助国の技術者であったりです。プロジェクトの計画を作る人たちの発想は、プロジェクト期間という視野の中に限定されており、そこに住んでいる人たちがプロジェクトの前にも後にもそこで生活するという単純な事実を見落としてしまうことが往々にしてあります。どれだけ地域住民のことを理解しようと努力しても、なにがしかの意識のずれが生じるのは当然のことです。

開発プロジェクトが、プロセスの中で生きている地域住民のためにおこなわれるものであるとしたら、プロジェクトという単位で意思決定をする発想を、全面的にではないにしても捨てる必要があります。新しい開発の発想では、このような意味でのプロセスの重視ということが言われるようになっています。

最優先の目的

最後になりましたが、新しい開発の考え方のもっとも重要な点について話をします。

第1回にトリックル・ダウン仮説という伝統的な考え方を紹介しました。全体が豊かになることで、すべての人にその恩恵がいきわたるはず、経済的に豊かになることで、広い意味での豊かさも実現するはず、という考え方です。新しい開発の発想でもう一つ指摘するとしたら、トリックル・ダウン仮説は誤りであり、まず絶対的な貧困を撲滅する必要がある、という基本姿勢です。

センの研究の出発点に、子供の頃に見聞した絶対的貧困の悲惨さを痛感したことがあるという話を今日の最初にしました。新しい開発の考え方を一言でまとめろと言われたら、「貧困問題の解決を最優先する」と答えます。この点は、センの思想というばかりでなく、世界中の国々、援助機関の公式見解になっています。かつて、開発の目的は経済的豊かさの追求であり、それによって自動的に他の面での豊かさを実現するという考え方でしたが、現在は、豊かさの追求ではなく、貧しさの撲滅こそ最優先だという考えになったわけです。

この点を象徴することとして、世界銀行の発行している世界開発報告の特集テーマの移り変わりがあります。世界銀行は開発に関する世界的なリーダーです。この世界銀行が毎年、そのときどきに問題になっている開発問題を特集して発行している報告書に、『世界開発報告』というものがあります。80年代まではマクロ経済政策に関する話題がほとんどだったのが、1990年の報告書では、そのものずばり「貧困」を特集のテーマにしました。このテーマ選択は世界中で大きな反響を呼びました。貧困撲滅が最優先の課題だという考えは徐々に形成されてきたものですが、この特集号の発行が象徴的なできごとになって、その後、90年代以降は貧困撲滅を最優先にする考えがしっかりと開発の世界に根付いたと言ってよいでしょう。

潜在能力の拡大というセンの主張も、貧困とは何かという問題意識を出発点として主張されたと理解できます。撲滅すべき貧困とは、単に食料の欠如を意味するのではなく、自らチャンスを利用し自分にとって良い選択を選び取る能力と理解しようというのがセンの提案です。







わたしたちは貧困撲滅という社会的意思決定をしなければならない。そのためには誰もが納得するであろう豊かさの条件として、潜在能力というものを考えよう、という言い方でセンの思想を整理することもできます。

それでは、具体的にセンのアイディアを活用するにはどのような道具を作ればいいのでしょうか。その点が次回のテーマであり、解答として人間開発指数の考え方を紹介することにします。

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