マルクス経済学I,IIの履修にあたって
このページでは,今までに受講者から寄せられた質問,要望,批判などに答える形式をとりながら,私のマルクス経済学I,IIの講義を履修する上での留意点を記します。
また,関連事項として,単位取得に欠かせない試験の答案作成のための注意点をまず掲げておきます。
学習のための課題と指針のページに記しているように,毎年,課題を基礎とした問題を出題しているのですが,皆さんの答案を採点していて,(白紙同然や勉強した形跡がまったく見られない答案は論外として)提示された問題に対する解答としてあまりにも不充分なものや評価に値しないものが少なくありません。またある程度書けていても課題を基礎とした出題(課題そのものの出題ではない!)という意味が理解されていない答案が多いため ,答案とはいったい何なのか,どういう点に留意して書けばよいのかを以下に記します。
問題自体には厳密な限定がつけていない場合が多いので,マルクス経済学の方法論や理論体系に基づく解答以外にも,さまざまな立場からの多様な解答も許容していると考えてもらってかまいません。しかし,定期試験の問題が課題を基礎として出題されることがアナウンスされ,注意事項として「講義で説明されたポイントをふまえて」解答せよと指示されていることは,講義内容を無視した解答や思いつきの解答まで許容しているのではないということです。
もちろん講義内容の正当な理解に立ち,その内容を批判しつつ現実妥当性のある別の見解が論理的に展開された解答であれば,それは充分評価に値するものと考えています。
問題文を読めばわかるはずですが,解答として要求されているのは,それまでに提示されたいくつか課題のどれかに対する解答をそのまま暗記して記述することではありません。また,この問題に関連して諸君が知っていることをすべて書くことを求めているのでもありません。逆に結論だけ書けばいいということでもありません。
「与えられた時間とスペースで必要かつ十分な答案」となるように,これらの問題が基礎としている課題のポイントを取捨選択して,問われていることに対する解答として論理的に再構成することが求められているのです。数学でいえば,計算結果だけでなく結果にいたる論理的展開が必要だということです。もちろん必要十分であるように取捨選択できるということは問題で問われていることが十分理解できているということでもあります。
問題に対する解答は,問われていることの核心に対して,最低限必要な論点を中心(木に例えれば幹)とし,付随する論点(枝葉)を時間とスペースに応じて付け加えていくように文章化しなければならないのです。答案とは,いわば問題文をテーマとする小論文なのです。
補足
定期試験試験終了後には,問題と採点基準,採点結果を掲載しています。上述のことのより具体的な内容についてはそれらを見て確認してください。(過去の試験問題と採点基準,採点結果と講評はWhat's Oldにあります。)
毎回の課題に対してまじめに丹念に解答してレポートとして提出する努力と答案の水準との間には,明らかに正の相関関係があります。試験前の勉強だけでなく,課題レポートの作成の際に以上のことを参考にしてトレーニングを積むことが,この講義のためだけでなく,あなた自身の能力の向上につながると思います。
毎回のレポートや試験問題の最後で時間があれば講義や試験問題に対する感想や批判を書いてもらうようお願いしています(もちろん何を書いても点数や評価には無関係です)。だいたい1割から2割くらいの人が,短いものではひとこと,長いものでは十数行にわたってまじめに書いてくれています。ありがとう。講義や試験の改善の参考にしています。全体的に好意的で,しかもきちんと理由をあげて高い評価を与えてくれた感想が多くみられます(答案に書くということが多分に影響しているのでしょうが)。もちろん,批判や要望もあります。
試験やレポートだけではなく,私に直接質問や要望を言ってくれる人もいますが,それらのうち,毎年,同じような内容のものがあります。そこで,今まで寄せられた感想や要望,批判に対して,私がどのように考えているか,いくつかに分類して答えたいと思います。(引用形式をとっているものも書かれた文面そのままではありません。またA君といっても慶應伝統の呼称で性別に関係ありません。)
今後この講義を履修する人や不幸にしてこの講義の単位を取得できずにもう1年私に付き合わざるをえなくなった人には,おそらく受講するにあたって何がしか役に立つでしょう。単位を取得済みの人には直接の意味はないかもしれませんが,他の人がどんな感想を持ったかを知ることはそう無駄ではないと思います。
2002年度秋学期からは,匿名アンケート形式の学生による授業評価を実施し,その集計結果と私のコメントを公表しています。学生の自由記述への私のコメントなど,このFAQのページの趣旨にも共通するものですので,そちらもご覧ください。学生による授業評価のページへ。
(1) 講義の進め方についてA君のような感想はかなりありました。この講義を担当したごく初期には板書をあまりしませんでした。私が学生時代に習った先生たちの多くのやり方を踏襲していました。それで充分伝わるはずだと思っていたのですが,試験をしてみて理解度の低さに愕然として(若気の至りか)Dを乱発してしまいました。(b)口頭説明しかし,学生の理解度が低い原因の一端はこちらの責任でもあると考え直し,現在のような板書,口頭説明,課題レポートと解説,課題を基礎とした出題という(親切過ぎる?)やり方にしたのです。板書を写していればきれいなノートにはなるかもしれませんが,それだけで十分なほど板書しているわけではありません。ノートは余白を多めにとり私の説明や自分でテキストを読み直し補足説明を加えるなどしてください。
B君のような要望も結構あります。三田の講義ではレジュメを配布しています。出席者がそれほど多くないことのほか,内容がやや高度なこと,理論体系として1年間に講義をすべき分量が多いことが理由です。
なお,2001年度からは割り当てられた教室の構造上,OHPを使って講義をし,OHPの原稿(講義レジュメ)を前もってこのサイトからダウンロードできるようにしています。
私が黒板に書くスピードよりノートに書くスピードのほうが速いはずですし,重要なことは2度3度と繰り返して説明しています。最初は大変でも毎回出席していれば聴講技術も熟練してくるはずです。また4単位というのは予習・復習の時間も含んでいるのは当然知ってますよね。
皆さんの感想の特徴で対照的なのが混在しています。ただ最初の講義のときに話していますが,マルクス経済学T,U(経済原論V)は現実を分析するもっとも基礎に位置する理論であって,現代の問題を分析するには長い上向の旅と段階論が必要です。講義では理論的厳密さをやや犠牲にしても現代の問題も織り込むようにしています。具体例はできるだけ出すようにしていますがまだ不充分かもしれません。努力します。E君「話し方が単調で昼休みの後ということもあって眠くなることがある。」
ただ,C君とD君の感想が対照的であることや他の講義やゼミでの感想からも考えると,D君のような感想を持つ人がイメージしている具体例というのは,どうも皆さんの身近な現実の企業名や商品名を含んだ例のようです。現実の経済現象を一般化・抽象化したものが理論ですから,その説明のための具体例もある程度一般化できるものにならざるをえません。そこから自分で身近な例に当てはめて考えるという努力もしてみてください。
これもいくつかありました。話の内容が暗いのだからもう少し明るく話したほうがいい,というのもありました。気持ちはわかります。話し方は勉強していきます。(c)進度
進み方が早すぎる・分量が多すぎるというのはありませんでした。講義を担当した最初の年度は板書も少なく課題もその解説もなかったので,第5章までと終章まで進めました。私も本当はせめて1年間で第4章まではきちんと説明し終章につなげたいのですが,現在のようなやり方ではなかなか果たせません。第3章まで(『資本論』第1部にあたる部分までは終わるのでそれなりの意味はあるのですが)がやっとなのです。(2) 課題レポートについて
2001年度からはOHPを使い講義レジュメを前もってダウンロードできるようにした結果,第4章まで進めるようになっています。
課題を出して解説をするという形式はかなりの人が良い感想をもち,今後もこの方法を続けたほうがよいと書いてくれました。(b)課題レポートへの要望
年度初めにも強調していますが,大学での学習に絶対の正解というものはないのです。課題の解説もこうした論点が最低限説明されるべきだろうという指針に過ぎないのです。自分で考えることをせず,解答例を見てこう書けばいいんだと暗記して事足れりと思っている人は大学で学ぶ価値がないと思います。(c)課題レポート方式の功罪次に返却については,しないというより物理的にできないのです。履修者400人以上,提出されたレポートが毎回150〜200枚,これを採点してさらには添削して返却するのは不可能です。解説を参考に自分で自分の文章を読みなおして完成度を上げる努力をしてください。それこそが大学での学習というものでしょう。試験前に解説と照らし合わせて自分のレポートを読みなおしたら何を言っているかわからなかった,という感想もありました。
なお私の自由研究セミナーでは小人数ですのでレポート作成・その報告・私のコメント・再提出という方法をとっています。
対照的にこういう捉え方もあります。
K君「延近先生の授業スタイルは非常に私好みです。大学の授業の本来とるべきスタイルであるような気がします。学生の自主性の尊重。HPによる学習の指針の提示。任意のレポートなど,自主的に勉強に来ている私たちには非常に良い方法だと思います。(考えようによってはサボりやすいということなのですが……)」
現在の授業のやり方には(1)で述べたような経緯があります。HPの利用は98年度から始めました。両君とも考え方には共通している部分があるようです。このように考えてもらえば私のやり方の趣旨はわかってもらえているようにも思います。あとは,まさにどれほど「自主性」をもって努力するかでしょう。(3) 試験についてただ,J君が課題レポートだけやっていればいいわけではないと考えているのはそのとおりですが,課題レポートだけでは「一連の流れの把握」ができないと受取っているならちょっと違います。課題レポートをすべてきちんとやった人ならわかると思いますが,年間で10回余の課題は講義で取り扱った全範囲にわたっており,これらを充分に理解すれば1年間の講義内容が最低限理解できるように工夫して作成しています。このことは試験についてのみなさんの感想が物語っていると思います。
L君,M君は充分勉強してかなりの自信があったのでしょう。50分という試験時間では,N君の言うように総合的な問題に対する解答を組み立てるには1問が限界だと思うのですが。N君へ。問題は総合的ではありますが,課題を充分に勉強していればその組み合わせで最低限は書けると思います。
これは,現在のような出題形式にする前の受講者の要望です。以前は,大問1問か大問2問のうち1問選択という形式が多かったのです。こうした要望に応え,またヤマカケ勉強を防ぐために現在のような(1)が基礎的概念の説明,(2)が論述問題という出題形式に変更しました。(4) 評価について
両君の気持ちはわかる気がします。他にも同じような感想はあったし,書かなくても同じように思っている人はいるでしょう。(5) その他O君に対して。詳しく答える気にならないんだけど,成績は相対評価ではありません。過去の成績統計が示しているように,一定水準以上のレポートの提出回数と試験の成績にはかなり高い正の相関関係があります。
また,そもそも君は成績だけのために毎回レポートを書き授業に出席していたのでしょうか?その過程で面白いとか興味がわいたからこそ続けられたということはなかったのでしょうか?
もしあったとすれば成績以上の何かが得られたとは思いませんか?またそうだとしたら試験の出来も悪かろうはずはないと思うのですが。P君に対して。レポートと成績の取り扱いは迷っているところがあります。レポート提出や出席を義務づけると授業を聴く気もない人が嫌々ながら教室にいて,結局はまじめな学生の迷惑になるということは多いと思います。(2)の感想にもあったように自主性を重視したいのです。
レポートは,一定水準以上のものの提出回数に応じて成績の最終評価の際に若干の考慮の対象にする,という取り扱いにしています。2001年度からは内容と提出回数を点数化し,試験の点数に加点して成績評価をするようにしました。ただし,レポートの点数のウェイトはごくわずかですので,レポート提出で単位は確実だと誤解しないように。
このように感じてくれたとしたら講義をした甲斐があったというものです。今後一層深めていってください。R君「この理論が現在の経済現象のどういった点で見られるかに興味があったので,その点を考慮されると理想的だった。」
この講義に限らず,現在の経済現象に関心を持ちつつ受講するのはよいと思います。初回の講義でも話しているように,マルクス経済学の理論体系は,経済学部の講義ではマルクス経済学I,II(経済原論III)というもっとも基礎的な部分から三田の独占資本主義論という段階論,それらを基礎としつつ現代の問題を対象とする現代資本主義論や現代日本経済論などの講義から成り立っています。それらの講義を履修されることを勧めます。まだまだ感想はいろいろありました。多少「我田引水」的な紹介に見えたかもしれませんが,みなさんの「学習の指針」を提供するというこのサイトの趣旨に基づくものと理解してください。
トップページへ(検索サイトからこのページへ来られた方用)