2008年「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」(以下、「教科書バリアフリー法」)が成立し、通常の学級に在籍する児童生徒にも、点字や拡大教科書が無償で提供されるようになり、義務教育段階では、すべての出版社から教科用拡大図書(以下、「拡大教科書」)が提供されるようになった。そして、拡大教科書の普及に伴い、その教育効果等に関する研究も飛躍的に進展してきた(中野,2009;中野,2010;柴崎ら,2010等)。しかし、高等学校用教科用図書の発行点数が多いこともあり、発行された教科用図書全てに対応した拡大教科書が発行されているわけではない。また、高等学校、特別支援学校(視覚障害等)高等部(以下、「盲学校高等部」)及びボランティア団体等は、教科書デジタルデータの提供を受け、拡大教科書を製作することが可能であるが、供給実績は少ない。 盲学校高等部における拡大教科書の利用実態に関しては、中野ら(2009,2010)による全国調査(2009年度:272名の弱視生徒へのアンケート調査、1,312名の盲学校教員へのアンケート調査、78名の弱視生徒へのフィールド調査、2010年度:338名の弱視生徒へのアンケート調査、1,848名の盲学校教員へのアンケート調査、114名の弱視生徒へのフィールド調査)がある。中野ら(2009,2010)は、高等学校の教科書は原本の情報量が多く、操作性の観点から単純拡大教科書が有用であることや社会的自立を視野に入れると、拡大教科書と同時に、視覚補助具に対するリテラシーを育成する必要性があることを明らかにした。また、彼らは、視覚補助具を利用したくない理由を調査し、「人目が気になる」「疲れる」という理由が最も多いことを明らかにした。さらに、当時、話題になり始めたばかりの「デジタル教科書」についての調査も実施し、過半数以上の弱視生徒が「デジタル教科書」を使ってみたいと思っていることを明らかにした。
中野(2009,2010)の調査結果を踏まえると、今後、高等学校や盲学校高等部において拡大教科書を普及させるためには、人目が気にならず、アクセシブルで使いやすい視覚補助具を用いて、原本と同じ操作性が補償できる教科書にアクセスすることが重要だと考えられる。そこで、本研究では、視覚補助具の拡大機能等を有し、なおかつ、人前で使うことに抵抗のないタブレット型情報端末を用いて、原本教科書とレイアウト等が同じPDF形式の教科書デジタルデータにアクセスする方法が、拡大教科書と同等以上の効果があるかどうかを検討する。検討にあたっては、弱視生徒に提供するシステムの検討や個々の弱視生徒にとっての教育・学習効果だけでなく、学校において組織的に使用・管理する上での課題の明確化、授業や家庭学習における指導上の課題等を明らかにする。そして、タブレット型情報端末の教科書デジタルデータが拡大教科書と同等に使用できるための在り方、情報端末の使用方法及び管理の在り方、教員等による指導の在り方を提言する。
本研究では、教科書デジタルデータを拡大機能を有するタブレット型情報端末により活用する方式が拡大教科書に代えて利用できるかどうかを検証するために、以下の3つのサブテーマに分けて、研究を実施する。なお、本研究の計画に関しては、慶應義塾研究倫理審査委員会の審査を受けた。
2010年以降、様々な種類のタブレット型情報端末が登場している。本研究では、タブレット型情報端末の機能を比較し、弱視生徒が利用可能で、なおかつ、使いやすい情報端末を選定する。選定にあたっては、盲学校教員、視覚障害教育の専門家、眼科医、メーカー、教科書出版社等の専門家から構成される「調査研究委員会」を開催する。
タブレット型情報端末は多機能で、アイコンのレイアウトや文字サイズ等を変更することが可能である。また、拡大機能、白黒反転機能、音声化機能等を有している。多機能で設定が変更できるが故に、どのような設定にすべきかを明確にしなければ、使い勝手が悪くなってしまう。そこで、教科書としてタブレット型情報端末を利用する際、どのような設定にすべきかを試用事例に基づいて決定する。設定の決定にあたっては、盲学校教員、視覚障害教育の専門家、眼科医、メーカー、教科書出版社等の専門家から構成される「調査研究委員会」を開催する。
本研究では、タブレット型情報端末の教科書デジタルデータが拡大教科書と同等であるかどうかを検討するために、条件を制御した実験と日常的な場面でのフィールド調査の2つのアプローチを行う。実験では、読書効率、検索効率等の比較を行う。また、フィールド調査では、タブレット型情報端末の教科書デジタルデータを授業や家庭学習等に用いた際の課題の抽出を行う。実験及びフィールド調査は、盲学校長会等を通じて、協力者を募集する。
教科書デジタルデータを用いて、タブレット型情報端末で拡大教科書を発行する方法について検討を行う。また、教科書デジタルデータの流出予防策等、セキュリティ上の課題の抽出を行い、セキュリティを考慮したシステムを試作する。
上述の検討結果に基づき、教科書デジタルデータを用いて、タブレット型情報端末に拡大教科書を発行する。発行にあたっては、学校での一元的管理や弱視生徒の利便性を考慮したシステムを構築する。
タブレット型情報端末で教科書にアクセスする方法の教育効果を検証する。上述のシステムが授業や家庭学習において、従来の拡大教科書と比較して効果的か否かに関する事例を収集する。また、生徒や教科の特性によって、効果に違いがあるか否かを事例を通して検討する。経費に申請した旅費と人件費は、教育効果に関する事例を収集するために必要な経費である。
タブレット型情報端末による拡大教科書を研究協力校に配布し、利用上・運用上・管理上の課題等を抽出する。例えば、タブレット型情報端末を充電する際の問題点、盗難に対する対策、端末の不具合等への対応、端末やデータ等のメンテナンス等に関する課題等を収集し、対応策を検討する。
タブレット型情報端末の操作を習得するためには、適切な指導が必要である。なぜなら、拡大、白黒反転、音声化等のアクセシビリティ機能だけでなく、電源のオン・オフ、アプリケーションの操作、アイコンの配置等、基本操作を習得してからでないと教科書としての機能を使いこなすことが出来ないからである。しかし、タブレット型情報端末のマニュアル通りに指導することは効果的ではない。なぜなら、弱視生徒の視覚・認知・運動特性に応じて、指導方法を工夫しなければならないからである。そこで、弱視生徒の視覚・認知・運動特性を考慮したタブレット型情報端末の先進的な操作指導事例を収集する。また、盲学校教員や保護者等に操作を指導する際の方法についての先進事例も収集する。
上述の先進的な指導事例に基づき、「弱視生徒用指導マニュアル」と「教職員・保護者等用指導マニュアル」を試作する。