2008年9月に「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」(教科書バリアフリー法)が施行された。この法律の目的は、拡大教科書等の障害のある児童生徒が検定教科書に代えて使用する「教科用特定図書等」の普及促進を図り、児童生徒が障害その他の特性の有無にかかわらず十分な教育が受けられる学校教育の推進に資することである。本法律では、障害のある児童生徒を対象と規定しているが、現在時点での「無償給与実施要領」よれば、給与される図書は、給与対象者が在籍している学校において使用する検定教科用図書と同一の内容の教科用拡大図書(拡大教科書)又は教科用点字図書(点字教科書)とされており、実質的に視覚障害のある児童生徒に限定されている。そのため、視覚障害のある児童生徒のための拡大教科書や点字教科書の給与実績は増加しているが、その効果や課題については、必ずしも明確ではない。また、個別対応や高等教育へのトランジションを考えた場合に有効だと考えられているデジタル化の可能性についての検討はほとんど行われていない。教科書のデジタル化については、視覚以外の障害のことを考慮しても極めて重要な視点だと考えられる。そこで、本シンポジウムでは、デジタル教科書の可能性に関する国内外の取り組みや視覚以外の障害への対応の可能性について議論を行う。
最初に、アメリカにおける障害児の教科書へのアクセスの最新事情について、東京大学先端科学技術研究センターの近藤武生氏に話題提供をしていただく。この話題提供を受け、文部科学省初等中等局特別支援教育課の樋口一宗氏には視覚以外の障害への対応や国の政策の観点から、企画者の中野は日本における拡大教科書の現状と課題という観点から指定討論を行う。
米国の初等中等教育では,障害児がインクルーシブな教育機会を得るための権利保障を背景として,紙の印刷物である教科書・教材を利用することに困難をもたらす障害(Print Disabilities,印刷物障害)のある児童生徒がアクセシブルなデジタル教科書・教材(Accessible Instructional Materials, AIM)を入手するためのインフラが整備されている。本話題提供では,肢体不自由や学習障害など,障害認定のある児童生徒がAIMを入手して学校や教室で使用するまでの過程を,ワシントン州北西部の複数の学区での事例に基づいて紹介する。これらの事例紹介を通して,出版社の著作権保護や,印刷物障害児が他の児童生徒と同じ内容の教科書・教材へアクセスする権利保障の法的背景,パソコン等の一般製品と支援技術ソフトウェアを中心とした最新の読み書き支援技術および人的支援を含む読み書きの合理的配慮の一般的内容,教科教員や特別支援教員だけではなくAIMの利用に必要な支援技術やリハビリテーションなどパラエデュケーションの専門性を持つ人員の配置,障害のある児童生徒ごとの個別ニーズと学区の予算制約を勘案したAIMの提供のため,保護者と本人,学区の合意の下の意志決定の場となるIEPミーティング,初等中等教育から高等教育,就労への移行において変化する支援リソースの違いを題材に,AIMを取り巻く制度と実践に関する日米の比較や残された問題点について議論する。
教科書バリアフリー法により、視覚障害以外の障害のある児童生徒でも教科用特定図書等が使えるようになった。また、第7条には、「国は、発達障害その他の障害のある児童及び生徒であって検定教科用図書等において一般的に使用される文字、図形等を認識することが困難なものが使用する教科用特定図書等の整備及び充実を図るため、必要な調査研究等を推進する」ことが規定された。
文部科学省では、平成21年度から「発達障害等に対応した教材等の在り方に関する調査研究事業」を開始、2年間の委託研究を実施したところであるが、更に学習障害だけでなく、注意欠陥多動性障害や自閉症のある児童生徒がこういった教科用特定図書等を使用した場合の効果についても23年度から研究することとしている。これらの研究事業について情報提供する。
一方、学校へのデジタル教科書導入の準備も急激に進んでおり、今年の4月28日には「教育の情報化ビジョン」が公表されている。この第4章は「特別支援教育における情報通信技術の活用」となっている。「教育の情報化ビジョン」についても情報提供したい。 漢字、平仮名、片仮名の3種類の文字を常に使用する世界唯一の言語である日本語の読みは、単一の種類の文字を使用する英語などとは異なる情報処理過程を経ていることが想定される。日本語で書かれたデジタル教科書は、読みに困難を有する児童生徒のためにどのような機能を持つべきなのか問う。
ここ数年,教科書会社各社によるデジタル教科書の作成が進み,電子黒板の学校導入と相まって,学校現場への導入も進んで来ている。各社のデジタル教科書は,コンテンツが豊富で子どもたちの関心を引くものとなっていると同時に,使う側の教師がデジタル教科書の内容や機能,また電子黒板の機能等を熟知して使用することも求められている。
発達障害の中でも,読み書きの困難のある子どもたちは,認知面での偏り,注意集中の難しさ,眼球運動の問題,興味関心の偏りなど様々な背景をもつ。そういった子どもたちに対して,通常の学級の担任や通級指導教室の担当者らは,彼らの読み書きの困難の背景を丁寧に探り,その特徴に応じて教科書のページを拡大コピーしたり,アンダーラインを引く,スラッシュを入れる,丸で囲むなどの見やすい工夫をしたりしながら指導を進めてきた。このような子どもたちに対し,現在開発が進められているデジタル教科書は本当に役立つのだろうか?現在の教科書でさえも,現場で指導にあたっている担当者らからは,「絵が多すぎて注意がそれる」「大切なことに注目しにくい」などの声が聞かれている。
金森(2010)が行った,発達障害対象の通級指導教室担当者への調査でも,多くの教師が教科書のテキストデータがあれば使用したいと答えている。このようなことからも,読み書きの困難のある子どもに対しては,一人ひとりの特徴に応じてカスタマイズできるよう,教科書のテキストデータの使用が認められることが,まずもって優先されるべきではないかと考える。
読み書きの困難のある子どもにとって,本当にアクセシブルなデジタル教科書とは何かを問いたい。
教科書バリアフリー法により、弱視児童生徒用の拡大教科書の給与は飛躍的に増えている。拡大教科書を提供する発行者も増加しており、本年度は、小学校のすべての教科書の拡大版が用意された。給与や製作の実績を見ると、弱視児童生徒用の拡大教科書は、理想的な展開が出来ているように思われているが、今後、安定供給を行うための課題は少なくない。ここでは、平成21〜22年度に文部科学省の委託を受けて実施した全国調査(拡大教科書発行者25社、ボランティア72団体、盲学校高等部在籍弱視生徒338人、小中学校通常学級在籍弱視児童生徒636人、弱視特別支援学級在籍弱視児童生徒138人、弱視通級指導教室在籍弱視児童生徒97人、盲学校教員1848人)の概要について紹介しつつ、弱視教育における拡大教科書の現状と課題について問題提起する。また、デジタル教科書に対する期待や課題等に関連するデータを紹介し、日本における教科書へのアクセシビリティ向上のあり方について問題点を整理する。