2008年9月に「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」(教科書バリアフリー法)が施行された。この法律の目的は、拡大教科書等の障害のある児童生徒が検定教科書に代えて使用する「教科用特定図書等」の普及促進を図り、児童生徒が障害その他の特性の有無にかかわらず十分な教育が受けられる学校教育の推進に資することである。その結果、小・中学校に通う視覚に障害のある児童生徒への拡大教科書等の給与実績は、2004年度が4,421冊(対象児538人)、2005年度が8,949冊(604人)、2006年度が11,298冊(634人)と飛躍的に増えてきた。また、2009年度には、標準規格に高等学校段階の拡大教科書に関する記述が加わり、高等学校の拡大教科書も発行され始めた。このように、拡大教科書に注目が集まっているが、児童生徒が十分な教育を受けることができるかどうかは、児童生徒の障害特性や発達段階等の個人特性と教材等の種類、教材等の活用方法、指導方法、視覚補助具の活用の状況、環境整備等の環境特性との交互作用で考えなければならない。
本シンポジウムでは、弱視児童生徒用の拡大教科書の現状と課題について、多角的な観点から議論を行う。まず、文部科学省の吉田氏に国内における拡大教科書に関する国内の最新動向について、拡大教科書普及推進会議、標準規格策定等の経緯、全国調査等に言及しつつ、話題提供していただく。次に、国立特別支援教育総合研究所の田中氏に、海外における拡大教科書やデジタル教科書等に関する最新動向をご紹介いただく。両氏の話題提供を受け、宮城教育大学の青木氏と筑波大学の佐島氏に指定討論をお願いする。青木氏には、弱視の当事者の立場で、進学・就労という生涯学習の観点からの論点整理と討論をお願いする。佐島氏には、弱視児童生徒の発達段階や教授法という総合的な観点からの論点整理と討論をお願いする。最後に、フロアを交え、特別支援教育における教科書の在り方について議論を行う計画である。
文部科学省で平成20年度に行った拡大教科書普及推進会議の第一次報告及び第二次報告の概要、平成21年度に行った高等学校段階における拡大教科書標準規格等検討会の概要について説明することで、拡大教科書の標準的な規格の策定等の経緯についてまとめる。また、平成21年度に実施した小・中・高等学校等に在籍する弱視等児童生徒に係る調査の結果(在籍者数、主に使用することが望ましいと判断している教科書の種別等)について概説する。
平成20年度、21年度に実施した韓国におけるデジタル教科書の開発状況、及び米国における教科書デジタルデータの活用状況について概説する。韓国では2013年度を目処に障害のある児童生徒を含め、小学校から高等学校の全ての段階においてデジタル教科書を用いた授業が行われることになっており、現在、そのコンテンツの開発や授業についての研究が行われている。米国においては教科書デジタルデータの活用に関して、全国統一規格のファイルフォーマットを策定し様々なアクセスを保障している。また、教科書デジタルデータの貯蔵機関もその運用を開始している。今後のインクルーシブ教育の進展を考えた時、我が国においてもこれらに関する具体的な取り組みが求められてくると考える。
視覚障害児童生徒の用いる教科書について考えるときには、卒業後の社会生活をも見通して考える必要がある。文書を読むという行為は、社会人においても必須のことであるからだ。一般に社会生活においては、書籍や仕事で配布される文書は拡大されない状態で手にすることが多いと考えられる。それゆえ、弱視児童生徒の教科書には、教科書を使用することを通して、適した補助具を用いて原本のまま読む能力を習得させる役割も含まれるのではないだろうか。指定討論では、筆者らが実施している社会人弱視者に対する学生時代の補助具の使用に関する調査結果を踏まえながら、今後の弱視児童生徒の教科書のあり方について問題提起したい。
学校教育における学習の過程は、文字と言語による思考活動の芽生える小学校1年の段階から文字言語による成人期の論理的思考活動の基盤の完成する高等学校段階に位置づけられる。教科書は教科教育の学習にける基幹教材であり、思考活動の基盤としての文字言語獲得の基幹教材の役割も自ずとその行間に持っている。個に応じた教科書は、第一にこうした教科教育・言語教育における学習の過程の本質としての教科書の役割に起拠し、さらに弱視児の学習における特性を考慮し、基本方針を定めることが重要である。同時に、学習能力や学習経験、教室環境・学習環境など個々の弱視児の生態学的状況は一つとして同じでない。また、コミュニティに点在するが故に彼らの本質的教育ニーズが埋没しつつある特別支援教育の現状の分析も必要である。シンポジウムでこうした視点から討論を深め、弱視児童生徒用拡大教科書の基軸となる方向性を見いだしたい。