おわりに


ノーマライゼーションの原理を体系化したベンクト・ニィリエ(1998)の著書の中にエーリック・リンドグレーンが書いた詩集「道なき人」の引用があります。

かけがえなく生まれてきたのに、
運悪く生まれてきたと信じるようになってしまう

 この詩は障害のある子供の境遇を的確に描き出しているのではないでしょうか。どんな子もかけがえなく生まれてきます。しかし、心身の機能が平均 的な人と違っていると、つまり、機能低下(impairments)という障害があると、その子は運悪く生まれてきてしまったと思われてしまうのです。視 覚障害のことについて言えば、目の機能が平均的な人より低下しているというだけで、多くの人はその子を祝福する前に不幸だと思わざるを得ない状況なので す。なぜ、不幸だと思わざるを得ないかというと、障害のある人が生活をしていくには、今の世の中の「環境(状況)」が十分に成熟していないからです。多く の人は、障害があると生活をするのも、勉強をするのも、職業に就くのも、結婚をするのも不利になるだろうという暗黙の信念を持って(持たされて)いるから でしょう。つまり、現代の社会は、障害があるとノーマルな生活が出来ないと思わざるを得ないような状況にあるということです。生命や人生を創り出すことは できないのに、なぜ、かけがえのない生命の誕生を、また、そのかけがえのない生命を守り、この世に送り出した母親の偉業を讃えることができないのでしょう か? これは、私たちが形成してきた文化が未成熟なためではないかと思います。障害のある人が他の平均的な人達と同じように生きていける状況が当たり前に なり、同じ尊さの生命であることが実感として認識できるような文化を形成していく必要があるのです。障害のある子供たちの教育の歴史は、まさに、成熟した 文化を創造する道だと言えます。
 拡大教科書や拡大図書は、まさに、弱視の子供たちを取り巻く環境であり、その環境を育て、守ることは文化だと思います。拡大教科書や拡大図書が当たり前 に入手できる世の中になれば、それらが必要不可欠な弱視児・者が感じる障害をある程度、軽減させることが可能です。その意味では、教科書バリアフリー法 は、弱視の人達にとっての大きな環境改善だと言えます。
 しかし、拡大教科書や拡大図書は、すべての弱視児・者に有効なわけではありません。大は小を兼ねない場合もあります。これが弱視の多様性です。拡大教科 書さえあればよいという風潮が生まれつつあるように感じますが、大切なことは、個々の、一人ひとりの子供達の学ぶ力、生活する力を支え、育むことです。拡 大教科書が必要なケース、通常の教科書でいいケース、点字を併用するケース等、それぞれの弱視児・者の障害特性や発達段階を踏まえた判断が必要だと思いま す。また、最終的な選択は本人が行うわけですが、自分で気づいていないこともあるため、判断の拠り所となる科学的な裏付け(エビデンス)も必要になるので はないかと思います。本研究がその一助となることを願っています。
 最後に、本調査研究に快くご協力いただいた全国の盲学校の教職員及び弱視生徒の皆さん、お忙しい中たくさんのアドバイスをくださった研究協力者の皆さ ん、全国調査及びデータ分析を担当してくださった調査員の皆さん、MNREAD-Jの文章を提供してくださった東京女子大学の小田浩一先生、教科書の試作 を許諾してくださった教科書会社の皆さんに心から感謝いたします。また、調査の実施にあたっては、全国盲学校長会の澤田晋先生、三谷照勝先生及び文部科学 省の吉田道広調査官にご支援いただきました。ここに記して謝意を表します。

中野 泰志

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