第1章 弱視用拡大教科書の歴史と問題の所在
中野 泰志
内容
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1.1 はじめに
弱視児童・生徒用の拡大教科書に関する取り組みには長くて地道な活動の歴史がある。弱視児童・生徒は、眼疾や視力・視野等の視機能の障害の状態等、視覚
特性が一人ひとり異なっており、それぞれの見え方に応じた教科書や教材等を用意するためには、個別対応をせざるを得ないからである。そこで、拡大率等が必
要に応じて変えられる拡大補助具を使いこなす力を身につけることが弱視教育の重要な目標とされてきた。しかし、低年齢であったり、他の障害を併せもってい
たりする児童・生徒は、拡大補助具の活用が困難なケースもあり、教科書や教材そのものを大きくする拡大教科書や拡大教材が必要になった。これら拡大教科書
や拡大教材等の作成は、長年、ボランティアや教員等が中心になって、個別対応(プライベートサービス)をしてきた。
出版ベースで拡大教科書を作成する体系的な試みは、1992年に国語(光村図書:光村図書出版株式会社から発行)と算数(啓林館:東京ヘレンケラー協会
より発行)の拡大教材が刊行されてからである。また、この拡大教材の刊行と同時に国立特殊教育総合研究所(現在の国立特別支援教育総合研究所)が実施した
「弱視児童生徒用の拡大教材の改善に関する調査研究」により、拡大教材の利用実態が明らかにされた。
このような歴史の中で、2008年に「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」(教科書バリアフリー法)が施行さ
れた。この法律の目的は、拡大教科書等の障害のある児童生徒が検定教科書に代えて使用する「教科用特定図書等」の普及促進を図り、児童生徒が障害その他の
特性の有無にかかわらず十分な教育が受けられる学校教育の推進に資することである。この法律により、拡大教科書の在り方に関する標準規格の作成、ボラン
ティアへのデジタルデータの提供、各教科書発行者への拡大教科書発行に関する努力義務の制定等が行われ、拡大教科書の安定供給への道が拓かれた。そして、
小・中学校に通う視覚に障害のある児童生徒への拡大教科書等の給与実績も、2004年度が4,421冊(対象児538人)、2005年度が8,949冊
(604人)、2006年度が11,298冊(634人)と飛躍的に増えてきた。しかし、高等学校段階の拡大教科書に関しては、利用実態がわかっておら
ず、そのため、標準規格も作成されていない。そこで、本研究では、高等学校段階の拡大教科書の在り方を検討するための科学的エビデンスを調査することに
なった。なお、本報告は、平成21年度文部科学省発達障害等に対応した教材等の在り方に関する調査研究事業で実施した「高等学校段階における弱視生徒用拡
大教科書の在り方に関する調査研究」の第1年次の研究成果をまとめた資料である。
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1.2 研究体制
本研究は、以下に示す研究協力者のご意見等を基に、全国盲学校校長会のご協力を得て実施した。本研究の実務は、慶應義塾大学自然科学研究教育センターの研究員が担当した。
研究協力者一覧(50音順)
- 氏間 和仁(福岡教育大学)
- 大倉 滋之(品川区教育委員会)
- 太田 裕子(東京都教育庁)
- 香川 邦生(健康科学大学)
- 田中 良広(独立行政法人国立特別支援教育総合研究所)
- 千田 耕基(独立行政法人国立特別支援教育総合研究所)
- 土屋 暢子(神奈川県拡大写本連絡協議会)
- 土屋 宏(全国拡大教材製作協議会)
- 仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター病院・眼科)
- 永井 伸幸(宮城教育大学)
- 西村 秀和(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科)
- 前野 隆司(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科)
- 松浦 淳(株式会社第一学習社)
- 三谷 照勝(全日本盲学校長会事務局、東京都立葛飾盲学校)
- 村上 靖幸(実教出版株式会社)
- 渡辺 能理夫(社団法人教科書協会、東京書籍株式会社)
研究員(50音順)
- 新井 哲也
- 大島 研介
- 勝野 有美
- 木村 理恵
- 草野 勉
- 山本 亮
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1.3 問題の背景
2008年6月10日「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」(教科書バリアフリー法)が国会において成立し、
同年9月17日に施行された。この法律の目的は、拡大教科書等の障害のある児童生徒が検定教科書に代えて使用する「教科用特定図書等」の普及促進を図り、
児童生徒が障害その他の特性の有無にかかわらず十分な教育が受けられる学校教育の推進に資することである。拡大教科書の普及促進に関しては、文部科学大臣
がその標準的な規格(標準規格)を策定・公表することとし、各教科書発行者は、それに適合する標準的な拡大教科書を発行する努力義務を負うこととなった。
また、教科書デジタルデータの提供については、教科書発行者に文部科学大臣等へのデータ提供義務が課され、当該提供されたデータをボランティア団体等へ円
滑に提供する仕組みを構築することとなった。そのため、小・中学校に通う視覚に障害のある児童生徒への拡大教科書等の給与実績は、2004年度が
4,421冊(対象児538人)、2005年度が8,949冊(604人)、2006年度が11,298冊(634人)と飛躍的に増えてきている。しか
し、高等学校段階の拡大教科書に関しては、利用実態がわかっておらず、そのため、標準規格も作成されていない。
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1.4 研究の概要
小中学校の拡大教科書標準規格では、レイアウト変更した拡大教科書が推奨されている。これに対して高等学校では、弱視生徒の発達段階、社会的自立に向け
た指導の必要性、経済的負担等の問題から、単純拡大教科書の可能性に関する議論がなされている(拡大教科書普及推進会議第二次報告,2009)。しかし、
単純拡大方式と言っても拡大率、綴じ方、本のサイズ等によって、様々な拡大教科書が作成可能である。そこで、高等学校の主要教科について、様々なタイプの
単純拡大教科書を試作し、レイアウト変更した拡大教科書と比較しながら、どのような単純拡大方式(拡大率、綴じ方、字体等)が適切かについて検討する。
第1年次は、1)拡大教科書の要件を明らかにした上で様々なタイプの拡大教科書を試作し、2)弱視生徒を対象としたニーズ・実態・利用効率を調査し、
3)拡大教科書で指導を行う教員の意識を明らかにするための試作・調査・実験研究を実施した。その結果、高校では小さな文字サイズの方に好みがシフトして
いること、模擬授業の結果ではさらに小さな文字サイズの方が高い効率を示していること、単純拡大方式の拡大教科書が有効な生徒が少なくないこと等が明らか
になった。また、フォント(書体)変更により、単純拡大教科書の有効性がさらに向上する可能性があること、レンズ等の拡大補助具の利用・併用に対する要望
が生徒にも教員にも一定数以上あることが示唆された。
そして、次年度の課題として、拡大教科書の有効性を向上させるためのフォントの要件に関する調査とレンズ等の拡大補助具の利用・併用を含めた総合的問題
解決の在り方に関する調査を行い、弱視生徒の社会的自立を考慮した際の拡大教科書や補助具等の活用方法の在り方を明らかにする必要があることがわかった。
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