1.2.4 改訂日本点字表記法抜粋

日本点字委員会


内容

  1. 「第1章 総論 第3節 改訂日本点字表記法について」の抜粋
  2. 「あとがき」

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 改訂日本点字表記法の概要を紹介するために、「第1章 総論」の一部と「あとがき」を引用する。

(1)「第1章 総論 第3節 改訂日本点字表記法について」の抜粋

1.改訂の経過

 日本点字委員会では1972年(昭.47)10月、東京で開かれた第5回総会において、すでに刊行された「日本点字表記法(現代語篇)」に多くの問題が残されていることを確認し、これらに検討を加えて1977年(昭.52)までに全面的な改訂を図ることを決めた。その後の経過は次のとおりである。

 第6回総会(1973年7月)では、今後の検討課題として、(1)カギ・下線・棒線など、(2)長音の表記、(3)小文字符と外来音の表記、(4)「ようだ」の接続、および(5)分かち書きの原則、の五つを取り上げ、研究資料としてまとめ、「日本の点字」第2号に発表して関係者の意見を求めた。

 第7回総会(1974年11月)では、第10回総会までの研究スケジュールを立てた。

 第8回総会(1976年1月)では、かなづかいと分かち書きの問題を集中的に討議した。

 第9回総会(1976年8月)では、第8回総会においてまとめられたかなづかいと分かち書きの原則の確認と字句の検討が行なわれ、「改訂日本点字表記法」の目次案の大綱が確認された。そしてこれまでの討議の結果をまとめて「日本の点字」第3号で中間報告を行ない、広く意見を聞くこととした。

 日点委としては、関東・関西小委員会を中心に、その地区の盲学校・点字関係施設等の関係者と協力して検討を続けた。また日点委事務局へは、多数の盲学校や点字関係施設および個人から貴重な意見が寄せられた。

 第10回総会(1977年8月)では、関東・関西小委員会を中心とする検討結果と、全国から寄せられた意見を基に検討を重ね、「日本の点字」第3号に掲載された改訂原案の大部分につき、一部修正して決定した。しかし、特殊音点字および若干の符号など、未審議の部分もあり慎重論も強かったので、最終結論は次の総会に持ち越されることとなった。そして第10回総会の審議内容と各地から寄せられた意見を「日本の点字」第4号に掲載して、さらに広く意見を求めることとした。

 第11回総会(1978年4月)では、関東・関西小委員会を中心とする検討の結果を基に、盲学校・点字関係施設・個人から寄せられた意見、および「点字毎日」などに掲載された意見を参考にしながら慎重に審議を重ねた結果、多くの点で合意を得て改訂の大綱が決定された。そして関東・関西小委員会で分担して執筆し、第12回総会で確認を得た後、1979年春までに「改訂日本点字表記法」として発行することとなった。審議の模様は「日本の点字」第5号に発表した。

 第12回総会(1978年11月)では、特殊音点字など継続審議の課題につき検討し結論を得て後、全体にわたって再点検した。

 第13回総会(1979年8月)では、編集委員会から提案された規則および用例の問題点について検討し、日本の点字制定90周年記念として発行するための作業日程を確認した。

 

2.点字の主旨

 日本の点字は日本の視覚障害者の共有財産であって、一部の専門家や研究者のものであってはならない。それは90年にわたる過去の経験の蓄積を踏まえるとともに、現代における点字の意義を自覚し、将来における視覚障害者の生活と文化の向上を準備するものでなくてはならない。日本国民の一人としての視覚障害者が、社会的に発言し、多くの情報を収集できるためには、点字は単なる視覚障害者相互のやりとりの手段であってはならない。さらに、速く読み書きできるとともに、意味を正確に理解できる必要がある。そのためには、触読に対する配慮とともに、日本語の本質に忠実である必要がある。

 点字がこれらの要件を満たすためには、(1)墨字との対応関係を明らかにする、(2)表記法としての体系化、すなわち表記法内部の矛盾をなくし、表記法の理論的根拠を明らかにする、(3)符号の多様化に対応する、の3点を踏まえる必要がある。

 このような主旨に基づいて今回の改訂は進められたのである。

 

3.主な改訂点

 今回改訂された主な点は次のとおりである。

表 点字表記の改訂

 具体的には(点字表記法の)それぞれの頁をご覧いただきたい。

(1)点字の記号(第2章)

a.特殊音点字の一部改定および追加

(2)語の書き表わし方(第3章)

a.長音、特にオ列長音の書き表わし方

(3)語の関係と分かち書き(第4章)

a.分かち書き体系の明確化

b.「ようだ」の分かち書き

(4)文章記号とその用法(第5章)

a.読点と中点の用法

b.カギ・指示符類およびカッコの用法

c.段落挿入符・星印・文中注記符の用法

d.矢印・棒線・点線の長さ

e.空欄記号・伏せ字記号の新設とその用法

(5)書き方の形式(第6章)

a.詩行符の新設とその用法

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(2)「あとがき」

 日本点字委員会は、日本の点字表記法を決定する唯一の機関として1966年に誕生したが、点字表記の統一と体系化をめざす今回の改訂にあたったのは、第2期にひき続いて1978年に改選された第3期の委員である。すなわち、全日本盲学校教育研究会から選出された盲教育界代表として、阿佐博(筑波大学附属盲学校)、池田瑛(兵庫県立盲学校)、越沢洋(岐阜県立岐阜盲学校)、小林一弘(筑波大学附属盲学校)、永井昌彦(京都府立盲学校)、宮村健二(石川県立盲学校)の6名、日本盲人社会福祉施設協議会から選出された点字図書館や出版所の代表として、石森優(ヘレン・ケラー協会)、岩山光男(名古屋ライトハウス)、下沢仁(日本点字図書館)、高橋実(点字毎日)、西尾正二(カトリック点字図書館)、疋田泰男(日本ライトハウス)の6名、学識経験者として、木塚泰弘(国立特殊教育総合研究所)、本間伊三郎(全国盲学校長会推薦)、本間一夫(日本点字図書館)、宮田信直(日本ライトハウス)、村谷昌弘(日本盲人会連合推薦)の5名の計17名で委員会を構成し、その他に事務局委員として、加藤俊和、金子昭、塩谷治、当山啓、藤野克己、渡部彰が庶務を担当している。なお、編集にとりかかるころ亡くなられた肥後基一(東京点字出版所)前会長には、多くの有益な御意見をいただいたことを深く感謝している。

 改訂の主旨の経過は第1章の第3節ですでに述べたとおりであるが、第5回総会(1972年10月)から第2期の委員によって積み上げられてきた討議に加えて、中間報告に対する各界の御意見をも踏まえて、委員改選後の第12回総会(1978年1月)で最終決定を行なった。そこで、会長に本間一夫、副会長に阿佐博と本間伊三郎、事務局長に下沢仁の各委員を選ぶとともに、木塚泰弘を委員長とする編集委員会を構成し、事務局とともに「改訂日本点字表記法」を編集・発行する作業を開始した。永井、加藤、木塚、阿佐、小林、疋田が分担作成した原案を第13回総会(1979年8月)に提出し、問題点を討議した。その前後に、関東地区月例研究会と近畿点字研究会で十数回にわたって検討し、他の地区の委員の意見をも参考にして、本年1月原稿を確定した。ただちに当山と下沢が点字の製版と校正を行なう一方、加藤、藤野、金子、小林が分担して墨字に訳したのち最終調整を行ない、印刷・製本に移した。

 国語学者の野村雅明・鈴木重幸の両先生、第2期までの折本盛美(大阪府立盲学校)、長谷川功(ヘレン・ケラー協会)の両委員と、新井健司・岩上義則の両氏を始め、改訂作業を支えてくださった多くの方々に感謝するとともに、この表記法が日本点字の統一と体系化をもたらすことを切望してやまない。

 なお活字版の印刷に際して、点字を表わす活字の製作や各種の記号の使い分けなどを労をいとわずやってくださった合同印刷の方々とともに、表紙のデザインをしてくださった横浜市立盲学校の霧生明良氏と表紙の発泡印刷をしてくださった凸版印刷の小平武雄氏、およびグラビアの制作をしてくださった日本点字図書館の大塚隆一郎氏に、深く感謝の意を表する次第である。

1980年2月5日(立春)

「改訂日本点字表記法」編集委員会

委員長 木塚 泰弘

 

出典:「改訂日本点字表記法」、日本点字委員会、1980年2月5日.


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