1.1 点字読み書きの効率性と普通文字との共通性をめざした点字表記の改善とその課題

木塚 泰弘


内容

  1. 効率性と共通性との対立
  2. 表音式仮名づかいの発展
  3. 点字表記法の体系化をめざして
  4. 「日本点字表記法」(1990年版)の発行まで
  5. 今後の課題

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効率性と共通性との対立

 世界で最初の盲学校であるフランスのパリ盲学校では、創立者のバランタン・アウイが考案した「浮きだし文字」を教科書として使用していた。1809年にパリ郊外のクーブレーで生まれたルイ・ブライユは、幼児期に馬具職人であった父親の仕事場で、錐をもて遊んでいて眼を突き失明したと言われている。その生家は今、ルイ・ブライユ記念館となっているが、そこにルイのために父親が作ったアルファベットの文字板が展示されている。それは、板の上に小さな鋲の活字体のアルファベットの形に並べて打ち込んで作られている。1997年の10月に、「日本点字委員会結成30周年記念スタディツアー」でそこを訪ねたとき、阿佐博会長は、「これが点字考案の原点ではなかったのか」と感想をもらした。私は「点の集合の方が針金を張り付けるより強い刺激として学習を促したのではないか」という感想をもらした。二人の感想はそれぞれ異なってはいるが、共に父親の愛情を感じ、就学以前にルイはすでにアルファベットの形を学んでいたことを知った。

 ルイ・ブライユは、パリ盲学校に入学して「浮きだし文字」の教科書で学んだ。「浮きだし文字」は、読みの効率が悪いだけではなく、生徒が自分で書き表せないという最大の欠点をもっていた。一方、砲兵大尉のシャール・バルビエは、声を出さずに命令を伝達する暗号として「夜の文字」を考案した。これは縦6点、横2列の12点点字であったが、兵隊には触読できず暗号としては実用化されなかった。そこで、盲学校を訪ねて全校の生徒に紹介した。その生徒の中に12才のルイ少年がいたのである。

 ルイ・ブライユは非常に感激し、書く道具も揃っていたので、自分で書いたり読んだりしてみたが、縦6点では点が多すぎて横に触読するとき読みにくいと感じた。シャール・バルビエが再び盲学校を訪ねた時、校長室によばれたルイ少年は、感想を求められたので、縦の点をもっと少なくしてほしいと頼んだ。バルビエ大尉は憤然として帰ったので、ルイ少年は自分で考えるしかなかった。そして、1825年16才の時、縦3点、横2列の6点点字で、アルファベットと数字と楽譜の大系を完成させ、1829年に出版したのである。

 このルイ・ブライユの6点点字の大系は、生徒達に歓迎され、寄宿舎などで自分で書け、自分で読めることを喜んでいた。「浮きだし文字」に比べて読みの効率は飛躍的に高かった。しかしながら、授業では、「浮きだし文字」の教科書が使われており、点字は文字としては認められず、「文字の代用品」か、メモ書き用の暗号のように扱われていた。卒業後音楽の教師となったルイ・ブライユは、1852年に43才で亡くなったが、校内では次第に認められていた点字も2年後の1854年にフランス政府が公式に認めるものとなった。いまではフランス人で世界に貢献した偉人をまつるパリのパンテオン廟に、ビクトル・ユーゴーやエミール・ゾラのすぐ近くにまつられているルイ・ブライユも、生前には、点字の読み書きの効率性が極めて高いにもかかわらず、普通の文字との共通性の壁に苦慮してしていたのである。

 その後もイギリスでは、点字が普及しているにもかかわらず、「ムーンタイプ」という触読用に崩した凸文字が今でも使われている。わが国でも、石川倉次による仮名文字大系の点字の考案以前はもとよりのこと、点字が普及した後も、「文字の代用品」か「盲人が使用する特殊な文字」として扱われ、点字の文字としての市民権は十分には確立されていない。国語辞典などでも「文字」の説明に「視覚的に見る」という説明がなかなか消えない。また、「オプタコン」が登場した時、これで点字が使用されなくなると考えた有識者も存在したのである。しかしながら、最近では、点訳奉仕者以外でも点字の読み書きを覚え、点字使用者と点字でコミュニケーションをとろうとする人も多くなった。

 一方、点字使用者の方でも、普通の文字を読み書きしたいという願望も強くなってきた。エンボスの「点線文字」や発泡インクなどの「凸文字」を読んだり、「オプタコン」や「ピンディスプレイ」などで文字や図表などを読んだり、「レーズライター」などで読み書きしたりする人もいた。また、フレームなどを用いて、手書きでサインなどをしたり、最初は盲人のためにフランスで開発されたという欧米のタイプやカナタイプなどもかなり普及した時代もあった。これらは、その後パソコンなどのフルキーボードに移行していった。

 最近では、電子化された普通の文字のデータやOCRで読み取って電子化されたデータを、点字や音声に変換して読むこともできるようになった。また、フルキーボードのホームポジションのキーを、点字キーに、みたてて点字で入力し、普通の文字に変換することも行われている。このように、電子化されたコードを媒介として、普通の文字の入・出力、点字の入・出力、あるいは音声合成や音声認識などの中から、自分の好みのものを用いて読み書きできる相互変換の信頼度も次第に高まってきている。このような情報処理技術の発展の中で、点字の読み書きの効率性と、点字と普通の文字との共通性との対立の時代は終わり、「共通コード」を媒介とした入・出力の媒体の選択の時代へと変わりつつあるということができる。

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表音式点字仮名づかいの発展

 欧米の点字表記と普通の文字の表記とは、基本的は1対1に対応している。綴り字も、分かち書きも、句読法も基本的には1対1に対応している。ただ、点字では字の大きさや書体を変えることができないから、大文字符やイタリック符などのように点字独特の符号を前置して表記している。ただし、これはフルスペルで表記するグレード1のことである。欧米には、点字の読み書きの速度をあげるために、使用頻度の高い単語や綴り字群を少ないマス数で表す「点字略字」があり、これを用いた点字表記をグレード2という。さらに、速記用などには、グレード3やグレード4もある。ただ、グレード2の場合でも、分かち書きや句読法は普通の文字と同じである。そのため、コンピュタなどによる相互変換は極めて容易で正確にできる。

 これに対して、日本語の場合は点字表記と普通の文字の表記との間に大きな差がある。普通の文字で現代語を書き表す場合、ひらがな、かたかな、漢字、算用数字、アルファベットの5種類の文字を使用しており、分かち書きがなく、句読点などの表記符号が多数使われている。一方、点字表記では、ひらがなとカタカナの区別も漢字もなく、点字仮名と、算用数字、アルファベットの3種類の文字を使用し、分かち書きして表記し、表記符号は極力少なくしている。そこで、日本の点字表記の問題を、点字読み書きの効率性と文字との共通性の観点から、今後の課題を考えてみたい。

 1890年(明治23年)に石川倉次が仮名文字大系の点字を考案し、それまでローマ字表記であった日本の点字の読み書きの効率性を飛躍的に高めた。仮名文字論者であった石川倉次は、普通の仮名文字表記法と点字の表記法とをできるだけ一致させようとした。勿論、濁点や半濁点を前置するなど、触読の効率性にも十分に配慮している。そこで、平仮名とカタカナに共通に対応する一種類の点字仮名を用意し、仮名づかいは普通の文字と同じ歴史的仮名づかい、分かち書きは仮名文字と同様とした。当時は一般でも句読法はあまり用いられていなかったので、それと同様に表記符号はほとんど使用していない。小文字を使用していなかったので、その後、拗音を追加した。

 1900年(明治33年)に小学校令が改正され、小学校の教科書に「字音仮名」(字音棒引きとも言い、漢字の「音」の長音は、現在の外来語や擬声語のように長音符で表記した)が、採用されるとすぐに点字表記にも取り入れ、「折衷仮名づかい」(和語は歴史的仮名づかい、漢語は表音式仮名づかい)となった。日ロ戦後の復古調の中で、小学校の表記はすべて歴史的仮名づかいに戻ったが、点字表記ではすでに東京聾学校に転任していた石川倉次の意見を根拠として、「字音仮名」を踏襲した。

 その根拠となったのは、1901年(明治34年)8月10日に「きんこーどーしょせきかぶしきかいしゃ」から発行された。「いしかわ くらじ あらわす はなしことばの きそく」であった。この本は、本文236ページ、付録174ページで、すべて平仮名で助詞も分かち書きされて書き表されている。この本は、口語文法の草分けとして、国文法学者の間での評価も高い。

 その後、大正期に入ると和語も表音式になり、1922年(大正11年)5月11日に創刊された「点字大阪毎日」の創刊号の表記は殆ど「現代仮名づかい」のそれと類似している。一般の表記がまだ歴史的仮名づかいを踏襲していた当時に30年近くも以前から点字表記は表音式仮名づかいを先行させていたことになる。昭和期に入ってからはさらに表音式が徹底し、現在カタカナで表記されている外来語や擬声語の表記に近づくのである。分かち書きについては助詞などは続けていたが、8マス以上の長い言葉は適宜区切ると言う規則なども主張されて、比較的切れ目の多いものが増えてきた。表記符号は、普通の文字の表記では次第に増えてきていたが、点字表記では表記符号を殆ど作らず、2マスあけが多用されるようになった。

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点字表記法の大系化をめざして

 第2次世界大戦の敗戦後多くの改革が行われた。その一貫として国語審議会からの答申に基づいて、「現代かな遣い」、「当用漢字(後に常用漢字)とその音訓表」、「外来語の表記」、「送り仮名のつけ方」などと次々と実施された。すでに30年以前に表音式仮名づかいを実施していた点字の世界では、これらの漢字仮名交じり文の国語改革には全く無関心で、しかも各点字図書館や点字出版所は、それぞれ独自の点字表記法を使用していた。そのため、盲学校では教科書の点字表記の不統一に多くの問題を感じていた。

 教科書に用いる点字表記の統一をめざして、1955年(昭和30年)に鳥居篤治郎は、「日本点字研究会」を発足させ、京都府立盲学校に事務局を置き、毎年夏に全日本盲教育研究会の前日に総会を開くことになった。

 日本点字研究会では、「聞きよく、読みよく、覚え易い点字」をモットーにする一方、国語の語法を重視した。そのころから統一的に検定教科書に採用されるようになった橋本文法系の「学校文法」を意識しながら、「点字には独自の文法があってよい」という主張で、「点字文法」を編集・発行した。次いで、高等学校の教科書にも対応できるように、「点字数学記号」と「点字理科記号」を改訂・増補した。「点字文法」に対しては、各方面からの意見が寄せられたので、「改訂点字文法(国語表記法)」を編纂・発行した。

 約10年間の日本点字研究会の精力的な活動の後、「日点研を解散して、全日盲研に点字部会を作ってもらって欲しい」と鳥居先生から頼まれたので、全日盲研事務局、点字図書館、点字出版所、日本盲人社会福祉施設評議会事務局などと調整した。

 その結果、日本点字委員会プランをまとめ、「日本点字研究会会報19号」(最終号)に掲載、1966年(昭和41年)8月の全日盲研松山大会において、日点研の解散と日本点字委員会の結成がなされた。

 日本点字委員会の最初の数年間の活動は、主として、各点字図書館や点字出版所などで異なっている10数項目の相違点を互いに譲り合い妥協しながら統一を図ることであた。議論の中では、点字表記の大系化のために、「現代仮名遣い」、小学校低学年の教科書に採用されている「文節分かち書き」、公文書などに採用されている「句読法」などとの関係をどうするかが課題とされた。しかしながら、十分な合意が得られないまま、「日本点字表記法(現代語編)」を1971年に発行したのである。このとときから古文や漢文の表記法は長い間の宿題とされた。

 つぎの10年間は、日本点字表記法の大系化をどう考えるかがもっとも大きな課題であった。将来のコンピュータによる点字と普通の文字との祖互変換を予測して、一般の国語表記法との共通点を明確にしておく必要があった。しかしながら、使い馴れた表記法の変更には抵抗が大きく、将来への備えと、なじみの表記法は変えたくないという、表記法がもつ二つの側面を痛感させられた。とくに、特殊音では、現行の覚えにくい特殊音の大系の追加にとどまり、普通の文字のすべての特殊音に対応できる大系は採用されなかった。ただ、表記符語については若干の追加・修正をおこない、相互変換もかろうじて対応できるものとなった。

 「現代仮名遣い」との関係については、すべて同じにすべきであるという意見もあったが、助詞の「は」と「へ」を発音どおり「わ」「え」と表記することと、ウ列とオ列の長音の位置、「現代仮名遣い」で「ウ」と表記する部分だけ長音符を用いるという2点だけを除いて、あとはすべて「現代仮名遣い」と共通にすることとした。分かち書きについては、すべてを「文節分かち書き」にすべきであるという意見もあったが、長い自立語内部を区切るという分かち書きの第2原則の「切れ続き」を設けることが大勢をしめた。これらについては戦前から行われてきていたが、その根拠が明確ではなかった。そこで、意味のまとまりとマスの長さおよび文節関係を内包しているという三つの観点を考慮することとした。句読法のうち、文末の句点・疑問符・感嘆符を用いてその後ろを二マスあけることは完全な合意を得たが、文中で読点や中点を用いるか、それらの機能を一マスあけと二マスあけで適切に使い分けるかが大激論となり、両案併記のままにとどめた。これらをまとめて1980年に「改訂日本点字表記法」を発行した。

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「日本点字表記法」(1990年版)の発行まで

 日本点字委員会の次の10年間の活動は、前半と後半に分けることができる。前半は、「改訂日本点字表記法」にとりあげることができなかった「試験問題の表記」や改訂の趣旨を、機関誌の「日本の点字」で答えていくことであった。「日本の点字」の「点字表記に関する問答欄」で、「オ列長音について」、「動詞「する」の切れ続き」、「数・助数詞およびおよその数の書き表し方」などを解説し、改訂の趣旨と根拠を示した。さらに、この時期に専門委員会活動として、「点字数学記号解説」、「点字理科記号解説」、「情報処理用言語の6点表記」などをまとめた。

 この時期に国語審議会は、「現代仮名遣い」の改訂作業を始めた。そこで、日本点字委員会は、「現代仮名遣いに関する意見書」を国語審議会に提出した。その主張の主眼は、戦後の国語改革において、「歴史的仮名づかい」からの残滓をひきずって、表音式仮名づかいとして不徹底に終わっている点を指摘し、改善を求めるものであった。(1)ウ列と長音をウと書き表すのはよいが、オ列長音のうち、「ほ」と「を」は「オ」に変えたのに、「フ」は「ウ」としたことで、そのため、オ列長音は、発音にかかわらず歴史的仮名づかい名残りを残して、「ウ」と「オ」に書き分けられているが、これをすべて金田一京助説のように「オ」と表すべきである。(2)助詞の「ヲ」は発音上問題がないし、助詞にしか用いないのでそのままでよい。しかし、助詞の「ハ」と「ヘ」は、発音どおり「ワ」と「エ」と書き表すべきで、同じ仮名文字を二通りに発音させるのは、小学生にとっても負担が大きく、特に派生語では大人でも誤記して居る場合が多い。(3)漢字の陰にかくれている促音化は、発音符号的な意味で小文字の「ツ」を用いているが、「キ」や「ク」の促音は仮名書きの場合、もとの漢字の意味を誤解しやすいので使用に歯止めをかける。(4)熟語化している連語の連濁は、語源や漢字づらに引きずられずに、「シス シャシュ ショ」を用いるのを認めるべきである。

 国語審議会に意見書を提出したのは、日本点字委員会と「文芸家協会」だけで、「文芸家協会」の意見書は、我々とはまったく逆の立場で、「歴史的仮名づかいをもっと尊重するように」というものであった。結果は、両意見書とも相打ちとなって、「現状が定着しているから」とほんの小改定的に終った。その後、中間発表と説明会での質疑応答があった。後に、国語審議会へ要望書を提出した。今回の改正で歴史的仮名づかいと比較した説明はさけて、条文をわかりやすく表現してほしいという我々の意見は受け入れられ、また、序文に「この仮名づかいは、点字の表記を規定するものではない」という一文をつけ加えるという配慮を示してくれた。しかしながら、国語学的な理論面では我々の主張が正しいと今でも思っているし、もし我々の意見が採用されれば、「現代仮名遣い」と「点字かなづかい」をまったく一致させることができ、国語教育上も優れて居ると思ってだけに残念であった。ここでも国語表記の慣習と保守性を痛感した。

 1990年が日本点字制定100周年に当たるので、日本点字委員会のこの時期の後半の活動は、記念切手の発行や記念行事の準備の他に、「日本点字表記法」の問題点の解消に集中した。国語審議会の「外来語の表記」の見直しに伴って、特殊音を10個追加すると共に、覚えにくい特殊音を少しでも理解しやすくするために、「音」と「記号」との関係を整理して解説することを試みた。しかしながら、普通の文字で用いられている特殊音(小文字表記)にすべて対応する大系でないので、今後限界に達することが予想される。これらの特殊音は、新たに追加された略記号とともに付加記号として位置づけられた。

 「外来語の表記」は普通の文字とまったく同じとしたが、「現代仮名遣い」が殆ど変更されなかったので、点字の仮名づかいも変更せず、「現代かなづかい」の合理化を待つこととした。読点と中点の使用は、書く方面で促進されてきたが、やはり両案併記の用例を示すことにとどめた。これで点字仮名大系の点字表記と、漢字仮名まじりの文表記との相互変換は、装飾的な要素は当然除外するとして、漢字の読みと表記符号の問題を含めて、辞書や変換ソフトでなんとか対応できるようになった。

 ところが、大問題になったのは、漢字仮名まじり文にはない分かち書きの問題である。なかでも第2原則である「自立語内部の切れ続き」であった。前回の三つの観点のうち、分節関係を内包するということはなかなか理解されにくいので省くことにした。意味のまとまりは「自立可能な意味の成分」とし、長さの単位は、「拍」(モーラ)とした。「一つの自立語の内部に3拍以上の自立可能な意味の成分が二つ以上あればその境目で区切り、2拍以下の意味の成分は副次的なものはつづけ、独立性の強いものは区切る、という意味の原則をたてたが、その解釈や用例の適否をめぐって、激論が続いた。なかでも、複合動詞とみられている「する」をめぐって最後まで世論も含めて意見が二つに分かれたが、100周年記念日に間に合わせるために、原則の例外ではあるが、慣習に近いかたちで妥協が図られ、「日本点字表記法(1990年版)」が発行された。

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今後の課題

 「文の単位の分かち書き」と「自立語内部の切れ続き」の問題は、点字表記と普通の文字の表記との共通性の問題ではないが、点字触読の効率性、特に語の構成要素の意味の理解と初心者の学習の効率性にとって重要な問題である。その意味で、この10年間日点委総会の論議は殆どここに集中した。医学用語や動・植物名などの専門語はもとよりのこと、一般的な複合語の「切れ続き」の問題も多く議論されてきている。「拍数」が一人歩きして、機械的に点訳されてはいないか?「自立可能な意味の成分」とは複合語の構成要素のどの範囲を指すのか?「する」がたとえ複合動詞であっても、「切れ続き」の原則の例外としてもよいのか?動詞の連用接続と補助動詞との関係はどうか?また、助動詞といわれている「ようだ」、伝聞の「そうだ」、「らしい」、「ごとし」などは続けることに合理性があるのか?これらの問題を、ようやくまとまってきた古文や漢文の問題も含くめて早急に検討する必要がある。相互変換とも関連がある「ルビかっこ」の存在も解決しておく必要がある。

 もうひとつ重要な問題は、点字科学記号の問題である。1980年代の始めに、点字数学記号、点字理科記号、情報処理用言語の点字記号などをそれぞれ別々に決めたが、互いにぶつかりあって、点訳や相互変換に際して困難は生じている。そこで、1991年に点字科学記号専門委員会を構成して検討を開始した。1998年に、暫定改訂案をまとめて、学習指導要領の改訂に基づく教科書の点字版作成にまにあわせることとした。

 今後、初期の目的である根本的な改訂の作業を進めていくことが必要とされている。たまたま同じ年の1991年に北米点字委員会でも、「統一英語点字コード」の検討が開始され、それがInternational Council on English Brailleに取り上げられ、英語を母国語とするすべての国で検討され、現在各国で評価を行っている。それは、グレード2モードで一般の英語文書扱い、グレード1モードで、数学・科学・コンピュータ記号を扱うというもので、すべてを統一的にしようとするものである。もしこれが現実に英語圏で使われることになった場合、日本でも共通に使用する方法が便利な面もある。ただし、その場合は、教育用のステップモードや特殊な領域の略記モードなどを用意する必要はあるであろう。それとも、わが国独自のな点字科学記号を作りあげたほうが有利かどうか判断するときがくるであろう。

(文責:木塚泰弘 1999年3月)


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